今や日本水泳界・背泳ぎをけん引する存在となった古賀選手。北京オリンピックの出場を逃し悔しさを味わってから、本格的に才能は開花した。2009年世界選手権では、100m背泳ぎで金、50mで銀と大爆発。2010年は新たなフォームを模索し、さらなる進化を誓う。(2010.8.13掲載)
2006年の日本選手権200m背泳ぎで高校新記録を更新して以来、逸材として注目を集めてきた入江選手。北京オリンピックでは、周囲のメダルへの期待を背負って自分と葛藤し、4位に終わった。ロンドンオリンピックへ向けて、芽生えたエースの自覚を語った。(2010.7.30掲載)
2010年バンクーバー冬季オリンピックで銀メダルを獲得した長島選手。トリノ大会で500m13位、1000m32位に終わった雪辱を果たしたはずが、自身はまだ満足ではないという表情も見せる。バンクーバーで見せたガッツポーズの裏に見え隠れする、その真意は。(2010.6.18掲載)
スケルトンがオリンピック競技に復活したのは2002年のソルトレークシティー大会。当時日本にはあまり知る者がいなかった同競技の第一人者として、3度のオリンピックに出場、バンクーバーは日本の冬季オリンピック史上最年長の45歳で臨んだ。国内唯一の競技コース、長野市ボブスレー・リュージュパークにて、20年近くに及ぶ競技人生を語った。(2010.4.30掲載)
全日本ジュニア選手権で史上2人目の3連覇を達成し、16歳で全日本選手権を初制覇。トリノ冬季オリンピックでは15位に終わるも、2007年世界選手権で優勝を果たした安藤美姫選手はトップスケーターへと成長。2010年2月、「最高の演技をしたい」と語るバンクーバー冬季オリンピックに挑みます。(2010.2.25掲載)
初出場のトリノ冬季オリンピックでは、自身の転倒による失格に終わった。あれから 4年、多くの人に支えられてきた藤本選手は、2009年世界選手権5000mリレーで3位になり、日本勢9年ぶりのメダルを獲得。「表彰台を狙う」と語るバンクーバー大会への思いとは。(2010.2.12掲載)
1994年リレハンメル冬季オリンピックから5大会連続出場。1998年長野大会では銅メダルを獲得し、以降3大会連続で入賞を果たしている岡崎選手。バンクーバー大会では日本代表選手団の旗手を務め、岡部孝信主将とともにチームジャパンを牽引する。(2010.2.5掲載)
2007−2008シーズンのワールドカップで年間総合優勝、昨シーズンの世界選手権ではモーグルとデュアルモーグルで2冠を達成した上村選手。4度目の出場となるバンクーバー冬季オリンピックでは「圧倒的な滑りをしたい」と語る。(2009.6.26掲載)
1998年長野から3大会連続でオリンピックに出場、2006年のトリノでは日本勢50年ぶりの入賞を果たした。 「何年もやっている中にアップダウンがあって」と語る皆川選手は、2010年のバンクーバーを目指す。(2009.6.5掲載)
アテネに続き、北京オリンピックで2大会連続の金メダルを獲得した柔道男子66kg級の内柴正人選手。60kg級から階級を上げた時の思い、ケガを抱えて出場した北京オリンピック、今後の目標などを語る。(2009.2.27掲載)
フェンシングで日本初のメダルを獲得した太田選手。一時期は、フェンシングを辞めようとまで思っていた。快挙を成し遂げた今、「僕を大きく成長させてくれたオリンピックへの恩返し」がしたいと語る。(2009.1.29掲載)
陸上競技男子4×100mリレーで銅メダルを獲得した朝原宣治選手。オリンピックで歴史的快挙を果たした朝原選手が、競技を長く続けて得ることができたものとは。(2008.12.25掲載)
北京オリンピック男子200mバタフライ。8月13日の決勝前夜、松田丈志は自分のメダル獲得を確信していた---。危機感を乗り越えて、北京オリンピックでメダル獲得、そして、次の目標へ。(2008.11.14掲載)
「一番大事なのは、自分が納得いく泳ぎができるような練習をしていくこと---」シドニーオリンピック7位入賞、アテネオリンピック銅メダル獲得。中西選手は3度目のオリンピックに挑む。(2008.7.4掲載)
2000年シドニーオリンピックで戦後日本人初の決勝進出。2004年アテネオリンピックでは戦後日本人最高の15位を記録した杉谷選手。4大会連続出場となる北京オリンピック、そして馬術競技への思いとは。(2008.4.24掲載)
2007年10月にシカゴで行われた2007年アマチュアボクシング世界選手権ライトウェルター級で銅メダルを獲得した川内将嗣選手。アウトボクシングを信条とする川内選手が北京への思いを語る。 (2008.4.1掲載)
2007年世界選手権3位で北京オリンピック代表の座を手にした彼の競技人生にあった2度の転機とは。そして、トップアスリートになった上山選手が、はじめてのオリンピックにかける思いを語る。(2008.2.14掲載)
2007年9月の世界選手権で、男子グレコローマン12年ぶりのメダル獲得となる2位になり、2008年北京オリンピックの代表に内定した60kg級の笹本睦選手。しかし、彼の顔に満足感はなかった。3回目のオリンピックを前に、笹本選手が追い求めるものとは。(2007.12.14掲載)
9月に行われた第11回IAAF世界陸上競技選手権大阪大会・女子マラソンで見事な粘りを見せ、北京オリンピック代表の内定を手した土佐礼子選手。アテネに続く2回目のオリンピック出場。次に狙うのは「やはりメダルってことになる」と語る。(2007.11.9掲載)
5月の近代五種アジア・オセアニア選手権で5位に入り、北京オリンピックの出場権を獲得した村上選手。競技に対する気持ちも充実し、出るからには結果を出したいと語る。(2007.9.28掲載)
ソウルオリンピック銀メダリストの福島選手。シドニー、アテネを経て、今、彼女は北京オリンピックに照準をあわせる。撃ち終わると気力も体力もなくなるような射撃を一度はやってみたいと語る。(2007.8.24掲載)
チーム最年少でアテネオリンピックに出場した原田選手。北京オリンピックを来年に控え、彼女がたどってきた3年間での成長と、残り1年にかける意気込みを語る。(2007.7.6掲載)
日本男子トップスケーターとして、数々のタイトルを獲得する髙橋選手。だが、彼に見えているものは過去ではなく未来。限りない可能性に向かう気持ちを語ってくれた。 (2007.6.14掲載)