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アスリートメッセージ

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カーリングでトリノ大会を目指すチーム目黒

昨年の11月19日から韓国で行われた第14回パシフィックカーリング選手権大会で優勝したチーム目黒。小野寺歩選手、林弓枝選手、目黒萌絵選手、寺田桜子選手、本橋麻里選手の女子選手5名が実力を発揮した。そのチーム目黒は青森県協会に所属し、青森市・合浦町を拠点に2005年の全日本選手権、世界選手権、さらには2006年にイタリアのトリノで行われる第20回オリンピック冬季競技大会を目指す注目のカーリングチームである。
今回のアスリートメッセージではチーム目黒の5選手のうち小野寺選手、林選手、目黒選手の3選手に、カーリングの魅力、目標についてお話を伺った。

合浦町にある青森市スポーツ会館は、冬季に4シートのカーリング専用リンクが屋内に設営され、冬季以外にはバドミントン、バウンドテニスなどのコートとしても使用される。ほかに剣道場、柔道場、弓道場を備えた複合的なスポーツ施設である。

インタビューには、まず林選手が応じてくれた。林選手は2002年にソルトレークシティーで行われた第19回オリンピック冬季競技大会にカーリングの日本代表選手として参加している。出身地は北海道・常呂町。カーリングの盛んな地域である。

「カーリングを始めたきっかけは、両親がカーリングを楽しんでいたこともありましたが、実家のある常呂町にカーリングの専用リンクができ、そこで同級生に誘われて、チームを組みました。中学校1年生、12歳の時です」現在、林選手は青森市文化スポーツ振興公社に所属。26歳。当時、同じチームには、ともにソルトレークシティー大会で戦った盟友・小野寺選手もいた。

「カーリングという競技は、相手チームとの駆け引きなど、見ている以上に奥深さがあります」と林選手。重さ約20kgのストーンを約40m先のハウス(円)をめがけて投げる。対戦する相手チームのストーンをハウスからはじき出し、できるだけ円の中心近くに自チームのストーンを置く。

競技には4選手が出場し、ひとり2投、計8投する。対戦相手と交互に投げあう。従って、作戦次第ではストーンが円からはじき出されてしまう。もっとも円の中心近くにストーンのあるチームが勝者となる。同時に、敗者チームのもっとも円の中心に近いストーンから内側にある勝者チームのストーンの数がポイントとなる。

ひとつの対戦は、すべてのストーンを両チームが投げ終え、得点の確認が終わると1回が終わり(これを1エンドと言う)、10エンドまで行う。
10エンドを終え、得点の高いチームが勝者となる。「10エンドを戦う中で、点を取ると、次のエンドは先攻になります。それを避けるために、わざと相手に1点程度を与え、後攻にまわるようにしたりと、常に対戦相手との駆け引きが作戦として必要になります」

カーリングを始めた頃は、競技者としての将来のことなど考えもしなかったという林選手は、日増しに「奥深さ」の虜となっていった。もちろん今では社団法人日本カーリング協会(JCA)の強化指定選手であり、女子カーリング選手の第一人者にまで登り詰めた。(チーム目黒はJCA強化指定チームで、各選手はJCA強化指定選手)

「ソルトレークシティー大会の後、一時は引退しようと思ったこともありました。でもそのオリンピックでの苦い思い出が残っていて、それを乗り越えてもう一度オリンピックにチャレンジしたいと思っています。それまで頑張ります」

トリノ大会まで後1年。前回のオリンピック出場から、あっと言う間に時間が過ぎたという林選手。結成から3年目を迎えるチーム目黒のチームワークも抜群だという。そこには阿吽の呼吸がある。我々が観戦し応援するポイントを「投げ手と履き手(スイーパー)、コール役(スキップ)の4人でひとつのショットを決めていきます。そのチームワークを是非見てください」と教えてくれた。

ハウス内で指示を出すスキップ役の目黒萌絵選手は今年20歳。弘前大学の2学年に在学している。カーリングではスキップ役の選手名がチーム名となる。その目黒選手は小学校3年生の時にカーリングを始めた。「カーリングをやっている両親に連れられて、はじめのうちは氷の上で遊んでいる程度でした。小学校4年生の頃から本格的にカーリングを始めました」という目黒選手は北海道・南富良野の出身。

「中学生の時には2000年と2001年のジュニアの全国大会で優勝して、そしてジュニアの世界選手権にも出場しました」小学生の頃から大会で活躍を続けてきた目黒選手は、ジュニアの世界選手権出場が、さらなる目標を掲げる大きなきっかけとなった。

「ジュニアの世界選手権出場を決めた頃から、本格的なコーチングも受け始めました。競技としてのカーリングの面白さが解ってきたのもその頃です」
今回はスケジュールの都合で話を聞くことができなかったチーム目黒の寺田桜子選手とは、ジュニアの頃からのチームメート。

「ソルトレークシティーのオリンピックに出場した小野寺さんと林さんは、私にとって憧れの選手でした」目黒選手にとって、小野寺、林両選手は憧れであると同時に、かつてのライバルだった。その二人と同じチームで戦えることが何よりも嬉しいという。

トリノ大会を目指すチーム目黒にとって、海外遠征、合宿など競技力を高めるためのトレーニングが続く。「カーリングに集中できる恵まれた環境に身をおけていることは幸せだな、と思っています」と目黒選手。さらにカーリングという競技について、

「各チームには、それぞれ独自の戦略があります。その戦略が試合でぶつかり合います。勝つためには優れた戦略に加えてチームワークの良さが必要となります。単純に技術が上だからというだけで勝てるわけではありません。どんなチームと対戦する時でも、油断は絶対にできないスポーツです」と語ってくれた。

それでも常に勝つことのできる「強いチーム」はあるもので、豊富な試合経験に加え、メンタル面の強さなど「勝つための要素」がある。
目黒選手にとって昨年のパシフィック選手権は、ジュニア以来の国際大会となったが「気負うことなく競技に集中できた」とのこと。出身地である南富良野はカーリングの盛んな地域でジュニアの育成にも力をいれている。目黒選手は南富良野が生んだカーリングのエースなのだ。

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