MENU ─ オリンピックを知る

オリンピアンズトーク


第23回オリンピック競技大会(1984/ロサンゼルス)の体操に出場し、金・銀・銅合わせて5つものメダルを獲得した具志堅幸司さんに、競技を極めた一瞬のコツについて語っていただいた。

具志堅幸司さんは1980年のモスクワ大会において体操で日本代表に決定していましたが、日本不参加となり、オリンピック初参加の夢を掴むことができませんでした。その時の気持ちは具志堅さんの心の中に今でも鮮明に記憶されています。

「私は1968年のメキシコシティー大会で、個人総合で金メダルを獲得した加藤澤男さんに憧れて13歳で体操を始めました。11年かけてオリンピックを目指し、ようやく手が届いたと思ったのに・・・・・・。2〜3カ月は体操の練習をする気持ちもなくなり、時間だけが過ぎて行きました。気分転換のために体操以外のスポーツをゲームとして楽しんだりしながら、自分の気持ちが一段落するのを待ちました。再スタートしてからは、次のオリンピック出場を目指し、1年1年結果を積み重ねました」

具志堅さんは学生時代、練習中に足首骨折とじん帯損傷の大怪我をして入院生活を送ったこともありました。

「イメージトレーニングがいかに大切なものかを入院して知りました。入院前にはできていなかった演技が、入院中にしっかりイメージできると、退院後本当にその通りに実践できました。反対に、しっかりイメージできなかった演技はやはりできないんですね。この経験の後、思考と実践の反復練習をするようになり、競技力が高まりました」

ロサンゼルス大会で具志堅さんは念願のオリンピック出場を果たしました。その結果は個人総合で金メダル、団体総合で銅メダル、跳馬で銀メダル、つり輪で金メダル、平行棒で5位入賞、鉄棒で銅メダル。1つの大会で金メダル2個、銀メダル1個、銅メダル2個を獲得した。
「オリンピックで金メダルを取ることが、私の最終目標でした。世界選手権で2位になっていましたから、この上は金しかないという思いでした。なかでも脚力が弱かった私が跳馬で銀メダルが取れたことは、神様が後押しをしてくれたかのようでまさに感無量、一生忘れることはありません」

体操競技にとって競技を極める一瞬のコツというものはあるのでしょうか。
「難しい技に挑戦している時には、やはり初めてできた瞬間は嬉しいものですが、それはまぐれかもしれません。何度も何度も繰り返して練習し、いつでも確実にその技が使えるように、自分のものにすることが大切です。緊張感を自覚できるかどうか、第三者的に自分を見ることができれば成功したといえます。試合は練習の横移動なんです。練習の時には心的負荷をかけて本番のようにドキドキするように、本番は練習のつもりで臨みます」

昨年のアテネ大会で、体操は男子団体総合で第21回のモントリオール大会以来28年ぶりに優勝、金メダルを獲得しました。この勢いを維持し、北京大会へ向けてさらに強いチームとなるように、日本体操協会は具志堅さんを男子体操強化本部長に抜てきしました。
「選手に指導することは、今も昔もそれほど変わりはありません。自分で考えて自分の力を引き出すための、一歩上のアドバイスをするつもりです。選手は自分流が出来てきたら一人前。それからルールと器械・器具に慣れることも体操選手には大切です。北京大会までに残されている時間はあっという間だと思います。なにしろお年玉をあげる年齢になってから、時間が経つのが急に早くなりましたから(笑)」

2005年、具志堅さんが選手と共に闘う試合は、ワールドカップ、NHK杯、ユニバーシアード、東アジア大会、世界選手権、アジア選手権と数多くあります。現役時代に培った、どんな壁に直面しても決して諦めない不屈の精神で、アテネ大会で取り戻した栄光を不動のものにしてくれることでしょう。

具志堅幸司(ぐしけん こうじ)
1956年11月12日生まれ、48歳。大阪府出身。13歳の時にメキシコシティー大会の加藤澤男選手の演技を見て体操に憧れ、清風高校に入学。日本体育大学研究生の時にロサンゼルス大会に出場し5つのメダルを獲得。現在日本体育大学助教授。2005年より日本体操協会の北京大会強化委員会の男子体操強化本部長。