MENU ─ オリンピックを知る

オリンピアンズトーク


シンクロナイズドスイミングで1986年に全日本ソロチャンピオン、1988年には第24回オリンピック競技大会(1988/ソウル)でデュエット銅メダルを獲得した田中ウルヴェ京さんに、競技を極めた一瞬のコツ、そして人生のコツについても語っていただいた。

身体の軸に集中

私が見えない壁を突破できたのは、「力を抜くことができた」時でした。1987年の初め、オリンピックを迎える2年前です。力を抜くということは1つに力を集中して他を解放することで、より高い集中力が必要でした。

私の場合はシンクロナイズドスイミングという競技の特性上、水中で倒立します。身体の軸がまっすぐになっている時は、プールの底から垂直に出ている1本の先の細い棒が伸びてきて、頭から入って身体の中心を貫き、足の親指までその棒にしっかり触れて動かない感覚がありました。その棒には太さまで感じられて、私の棒はペットボトルのキャップの直径くらいの太さ(約 3cm)でした。この感覚が得られた時は空中に出た足と水面の角度はぴったり90度です。うまくできた日の「自分ノート」には『うちに集中できた』と書いていました。

この話をアテネ大会で現役引退した武田美保さんにしたところ、武田さんも同じように棒を持っていたそうです。でも私のよりも真ん中あたりは太くて、先になるに従って細くなるという形状だったようです。選手によって、微妙に違うみたいですね。

無意識に始めていたセルフ・メンタルトレーニング

一日の出来事を綴っていた日記が「自分ノート」に変化したのは87年からです。前年ソロで初優勝してから、何か地に足のついていない練習をするようになった時期がありました。

今振り返ってみると、優勝したという外的な結果におごってしまい、自己の限界への挑戦という当たり前の目標を認識していなかったんですね。何か今ひとつ「迷いのある」練習の結果、87年のソロは2位でした。当然の結果でしたが、自分の練習姿勢に腹が立ち「自分の今までは何だったんだ」と思い、その頃から「自分に集中するにはどうしたら?」「きちんとしなくては!」と意識するようになり、何を感じたか、何が嫌だったかなどを書き始めました。知らないうちに認知行動療法をしていたのですね。

オリンピック出場までの最後の3カ月間の自分ノートはすごいボリュームで、よく書いたなと思います。毎日寝る前の5分くらいで「私はこんな風に思っている、なんでだろう、きっと恐いんだ、恐いからこそがんばるんだ・・・・・・」と、思ったことを何でも書いて恐怖や興奮というストレスを解放し、『うちに集中』していたようです。

手探りで探し続けた自分自身

引退後すぐに指導する立場になりましたが、その頃の私は人を支えるコーチという仕事の素晴らしさが理解できず、ベテランコーチの方々の真似をするばかりで、本当の自分と嘘の自分ができていました。

それでも、生き甲斐を持って指導をするにはもっと勉強が必要、ということは明確だったので(財)日本オリンピック委員会の在外コーチ研修制度を利用して、2年間アメリカ留学をさせていただきました。

シンクロ世界一のアメリカでコーチングと英語の勉強をしたい、ということが目的でしたが、その裏には自分をコントロールできず、人生真っ暗で死にたいと思っていた私がいて、環境を変えて出直したいという気持ちもありました。

アメリカではオリンピックヘッドコーチのアシスタントという素晴らしい立場で研修に臨みましたが、コーチが選手に与える言葉は心理学用語ばかりで、まず英語と心理学を学ぶべきだと判断しました。

英語を学びながら通った図書館でスポーツ・サイコロジーの本を見つけ、その面白さに気づきました。1冊の本すべてのページの一語一句を調べるうちに、どうしたらいいか分からなかった私の状況が、一流選手が抱える心理問題です、これはキャリアトランジションです……と書いてあり、悩みの答えがここにあると知り、すごく嬉しくなりました。スポーツ心理学などをセントメリーズカレッジ大学院で学び、結局卒業まで約4年アメリカにいました。

大学院で教えられたことは、コーチは人生の指導者でなければならない、自分の哲学を持ち、自分らしくあるように、といった自己向上、自己構築に関わることでした。その後コーチに戻った時は選手のためにすることが、自分のためにもなっていることを実感し、充実してとても楽しいものでした。

自分発見はセカンドキャリアへのスタート

一流選手になるほどトレーニングや試合など、競技に生活のすべてを費やしていて、その後のことまで考える余裕がないことは当然のことかもしれません。ですが、選手生活は長い人生の一部であり、選手であることは自分のほんの一部にすぎません。

一度「成功」した自分を「一部」と認識するのは辛いことですが、私は自己認知のプロセスを学ぶことができて幸運でした。これからの選手のみなさんには「選手以外の自分に気づける場所」があればよいのではと思います。

本当の自分に気づくということは、意識下に隠しておけた弱点をも直視することになり、勇気と覚悟がいりますが、それを受け入れることで、はじめて充実した人生を作り出せるのかもしれません。

そういった意味では、私の今は、水泳という競技でたとえると、やっと頭を水につけられた、くらいの初心者ですね。80歳までには、ちゃんと泳げるようになりたいです。

田中ウルヴェ京
1967年2月20日生まれ・東京都出身
メンタルスキル・コンサルタント
シンクロナイズドスイミング選手として1986年全日本ソロチャンピオン、1988年オリンピックソウル大会デュエット銅メダリスト。
1989、1994〜98年日本ナショナルチームコーチ。
日本大学医学部講師。
現在共同経営の(有)MJコンテスで、さまざまな競技のプロスポーツ選手やアーティスト、役者、一般人まで、幅広い層に向けて個々の能力開発を目的としたメンタルスキル・トレーニングを行っている。また企業やプロスポーツチームなどを対象とした講演や研修会なども多数行っている。
毎月、東京のエスポートミズノで「アスリートのためのキャリアトランジション勉強会」を無料で開催している。
フランス人のご主人との間に2児を持つ。
・財団法人日本オリンピック委員会アスリート委員