MENU ─ オリンピックを知る

オリンピアンズ・ストーリー

オリンピアンズ・ストーリー
- 遠征の心得その3「選手村での心得」-

選手村でのハプニング

私は過去5回オリンピックに出場している、いわば「オリンピック リピーター」。そこで、リピーターだからこそ知るオリンピックの選手村の生活について、今回は触れたいと思います。

まずは選手村への入村。選手村のゲートから自分たちがこれから過ごす部屋まで入るには、2時間はかかると覚悟しておいたほうがいいでしょう。テロ行為などを絶対回避するために厳重なセキュリティチェックがあるわけですから、すんなりと選手村に入れるはずがありません。そんなときでも腹を立てずにリラックスしながら待ちたいもの。

私などは、仕込んでおいた面白いネタをここぞとばかりに話します。これからオリンピックという大舞台に臨むわけですから、団体でも個人でもムードメーカーを中心に楽しく会話をするなどして、リラックスした状態を保てるよう心がけて頂きたいと思うのです。

いざ選手村に入っても不都合はたくさん出てきます。オリンピックの選手村は大会終了後、分譲マンションとして使われる建物が宿舎として利用されるケースが多くあります。選手は発売前の物件にテスト入居するようなことになるわけで、整備が整っていない場合もしばしばあります。エレベーターの故障を例に挙げてみましょう。

選手たちはスーツケースや道具など、さまざまな荷物を持ってエレベーターに乗るので、重量が最大になってしまうことが連続し、そのうちエレベーターの調整がおかしくなり、扉が開いてもエレベーターの床がエレベーターフロアより15cmぐらい上で止まっているといった状態が起きることもありました。そうなるとすぐに使用禁止になります。アテネオリンピックで私たちは3階の部屋を使っていたのですが、エレベーターが故障すると30kg近くあるアーチェリーのケースを持って上がるはめになりました。しかし腹を立てても仕方ないので、30kgの荷物を持ち、階段を使って上り降りしました。

部屋も狭いと思っておいたほうがいいです。2004年のアテネオリンピックの部屋は4畳半ぐらいの寝室に1畳あるかないかのシャワー室とトイレ。ベッドも173cmの私がちょうどよいぐらいの大きさだったので、長身の選手などはさぞかし苦労したと思います。テレビや冷蔵庫、ファックスは有料でレンタル。冷蔵庫のないチームはアイシングの氷をバケツに入れて飲み物を冷やすなど、生活の智恵が必要な場面が見られました。

選手村にプライベートはない

選手村は必ず相部屋です。しかも端数が出ると他の競技の選手と同じ部屋になることがあります。初めての人との共同生活は正直照れますし、リビングからトイレ、お風呂まで共有しますから、「今からトイレ入ります」や「シャワー使います」など自主申告していかないと規律が乱れてしまいます。しかも壁も薄く隣の音も聞こえてしまうほど。ですから選手村での生活にプライベートはないと思ったほうがいいでしょう。

毎日の洗濯も気をつけなくてはいけません。選手村のランドリー施設に洗濯物をネットに入れて持っていくと洗ってもらえるのですが、待つことは当たり前。乾燥までしてもらうとさらに大変なので、多くの選手は洗ったあとは自分たちの部屋で干していました。でもその光景はオリンピックならではで、士気を高めてくれることでもあります。

オリンピック選手ならではの環境を楽しもう

例えばバレーボールやバスケットボールの選手たちのユニフォームが並んで干されているのを見るのも面白かったですし、民族衣装を着てベランダで過ごす選手たちもいて、部屋から見渡す景色はまさに国際色豊か。そんな光景を目の当たりにすると「オリンピックに来た!」という気持ちが高まるのです。

選手村の設備は、1984年のロサンゼルスオリンピックの頃からかなり充実し始めました。複合施設には美容院やゲームセンター、カラオケなどがあります。しかし最近の日本人選手はこういった娯楽施設に顔を出さなくなりました。1980年代に行われたオリンピックではよく利用している姿がありましたが、最近の日本人選手は自分で持参したゲーム機で遊ぶか、パソコンでDVDなどを見ているケースが多いようです。

その反面、トレーナーズルームは選手たちの憩いの場となっていました。ここでは予約をすればマッサージをしてもらえるのですが、選手たちはマッサージを受けなくてもコミュニケーションの場として利用していました。違う競技の選手たちとこういった場で話をすることにより、見識も広がりますし、時には悩み相談もしあえ、なかなかいい機会だったと思います。

選手村の中には陸上競技場があるのですが、そこで各国のアスリートたちがトレーニングする姿を見るのは楽しいものです。オリンピック選手ですから、当然超人的レベル。走っている選手のスピードは半端ではないですし、三段跳びの選手には“よくこんなに跳べるな”とついつい見とれてしまいます。オリンピック選手には日頃の努力のご褒美として、テレビでしか見たことのない「世界のスーパースター」と間近に会え、言葉も交わせるチャンスが与えられているのです。私はこのようなオリンピックならではの光景を観ることが、何よりの楽しみです。

選手村ならではの食事の楽しみ方

アテネでの選手村を例にお話しましょう。
選手村の食堂も良し悪しがあります。私たちの部屋は食堂から近かったのですが、中には食堂まで歩いて10分というチームもありました。このような場合は、食堂まで巡回バスに乗って行きます。

選手村の食堂はどこでもいかにも“食堂”といった無機質な感じです。しかも衛生面を考えてか、スタッフがビニールの手袋を使ってご飯を盛りつける光景はどこか日本の病院の食堂を彷佛とさせました。

しかし料理の種類は豊富で、アジアンフードはなかなかの充実ぶりでした。白いご飯とお味噌汁がありましたし、日本人シェフが入っていたおかげで、時にはお寿司が出ることもありました。もちろんアテネですから、ギリシャ料理のコーナーも設置されていました。

中でも選手たちに人気だったのが、パスタとピザ。また食堂の入り口付近にはマクドナルドがあり、若い選手たちには好評でした。アーチェリーの若い選手も、普段日本では頻繁には食べられないので、ここぞとばかりに滞在中毎日利用していました。それもストレス解消のためには非常によい手段だったと思います。

オリンピックやアジア大会での私の食生活は、一切肉や魚を断ち、炭水化物と野菜を中心とした食事にして体調管理をします。普段の日常生活ではどうしても家族のことを考えますので、好き勝手はできないのですが、選手村では自分が食べたいものを好きなように選べるので嬉しいです。

選手村の食事はほぼ毎日同じようなものが並びます。かわりばえのしない食堂の中では思うように食事が楽しめないこともあるでしょう。競技によっては栄養士が完全に管理することもあるでしょう。しかし指示されたものをただ食べるだけではなく、そこで自分の個性を出すことも必要だと思うのです。

食事は見た目でも味わうものですから、例え決められた食事を口にしなくてはいけなくても、盛りつけやサラダの置く位置を毎日変えるだけでも、ずいぶん気持ちが変わります。このように視覚的な新鮮さを自ら創り出すことなど、ちょっとした工夫も競技に何かプラスに働くことあるのではないかと思います。

大会前日、眠れない自分も楽しもう

平常心は大事ですが、オリンピックは大きな祭典ですから気持ちが高ぶって眠れなくなることもあります。私もアテネでの決勝前日はさすがに眠れませんでした。しかし40歳を過ぎてもなお、明日起きるかもしれない素晴らしい出来事を思うと、まるで子供の時の運動会前日のようにハラハラ ドキドキして眠れなかったものです。同じ年代の人には遠い記憶になってしまっている体験ですが、私はまだ現役でこんな気持ちを楽しむことができるのだと思うと、眠れないことも楽しめるのです。これもまたオリンピックならではの体験なのかもしれません。

写真提供:アフロスポーツ


写真
山本博(やまもと ひろし)
1962年10月31日生まれ、43歳。中学校1年生でアーチェリー競技を始め、3年生で全日本アーチェリー選手権大会に出場。高校では全国高等学校総合体育大会で3年連続優勝。オリンピックでは1984年の第23回ロサンゼルス大会銅メダル、2004年の第28回アテネ大会で銀メダルを獲得。単一競技でのオリンピック5回出場は日本人最多記録。JOCアスリート専門委員会委員。