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アスリートメッセージ

水泳・競泳 古賀淳也



50mに自信、100mへ意欲 そして頂点へ

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2006年アジア大会では50m背泳ぎで優勝
写真提供:アフロスポーツ


古賀の夢が実現したのは06年の日本選手権だった。50m背泳ぎで2位になり、年末のアジア大会と翌年3月に開催される世界選手権の代表に決まったのだ。 初めての日本代表での戦い。アジア大会では優勝、世界選手権は7位と結果を残すと、50mだけでなく100mも気になる種目になってきた。「50mをやりきったというより、単純に『今100mを泳げば速いだろうな』と思っただけなんです。陵介も『多分そうだろうと思うよ。ちゃんと泳げていたし』と言ってくれたから、泳げるかもしれない、頑張ってみようと思い始めたんです」


2007年世界選手権にも出場を果たした
写真提供:アフロスポーツ

100mを泳ぐスタミナは付いてきているという手応えはあった。08年秋になって自分を変えなければいけないと思った時、その自信が一歩を踏み出す後押しをした。それまで行くこともなかった早稲田大学の高地合宿へも初めて参加してみた。さらにはインターナショナル合宿では88年ソウルオリンピック100m背泳ぎ優勝の鈴木大地や、04年アテネオリンピック100m背泳ぎ銅メダルの森田智己を育てた鈴木陽二コーチに師事して練習に参加。その後もセントラルスポーツの練習生という形で指導を受けるようになったのだ。

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2009年の日本選手権100m背泳ぎでは、入江選手との接戦を制し日本新で初優勝
写真提供:アフロスポーツ


「気合いというか、自分がどうなりたいという明確なイメージがないと、自分としてもなかなか踏み出せないんですね。だからやっぱり、自分が自然にそういう気持になった時じゃないと成功しないと思うんです。例えば道具にしても、『こういうのが必要だ!』と思った人がそれを作るから世界へ広まっていく仕組みになってると感じる。それと同じで、自分の中でこれが必要とか、これをしたい、というのがないと絶対にそこまでは到達できないと思うんです。僕は気分屋だったから、そういう気持を持つ大切さが分かるのに時間がかかったんだと思います」

セントラルの練習はそれまでより質も量も格段に高く、最初はついていけないほどだった。泳ぎの強化もピンポイントではなく、すべてを強化する方法だった。そんな練習をこなせたことも重要だったが、古賀にとってそれより刺激だったのは、常に世界と戦うという高い意識を持った選手たちと一緒に練習することだったのだろう。試合に対しても、結果を出して目立ちたいというのではなく、それまで自分がやってきたものをうまく発揮することが大事だ、と考えられるようになってきた。その結果が09年日本選手 権100mの日本新での初制覇だった。

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2009年の日本選手権100m背泳ぎ、初優勝を決めた
写真提供:フォート・キシモト


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2009年世界選手権100m背泳ぎで、完璧な泳ぎで金メダルに
写真提供:フォート・キシモト


だがそれでもまだ“2番手に甘んじる弱気の虫”は、彼の心の中に潜んでいた。それが頭を覗かせたのは、09年5月の日豪対抗だった。

「一度勝っている陵介には負けたくないと思っていたけど、負けた上に僕のベストもアッサリ抜かれてしまって…。そのうえ200mでは陵介が世界記録を上回るタイムを出したから、周りもバーッと盛り上がって、世界選手権に向けて自分は必要ないんじゃないのかな、と思ってしまったんです。『陵介がいれば日本の背泳ぎは安泰だ。俺はもういいや』って」

そんな時にスイミングクラブのコーチや周りの仲間から言われたのが「本当に結果を出したいのはどこなんだ」という言葉だった。それで古賀も「そうか、世界選手権だ!」と思い直せた。

7月26日からの世界選手権では、そんな古賀に運も味方した。7月8日の全米選手権で51秒94の世界記録を出したばかりのアーロン・ピアソル(アメリカ)が、準決勝9位で敗退したのだ。だが古賀は、その幸運にも浮かれることはなかった。「正直、ピアソルが落ちたと聞いた時はガッカリしたんです。周りの人は『なんで嬉しくないの、チャンスじゃない』と言ったけど、彼は小さな頃からずっと憧れていた選手だったから一緒に泳ぎたかったんです。彼と泳いで自分の位置を確かめたいというのと、もしかしたら勝てるかもしれないという気持もあったんで」

その素直さが彼の特質でもあるのだろう。古賀は決勝でも「やってきたことを出し切れば金メダルもついてくる」とだけイメージし、前半は隣を泳ぐ入江との差を目安にする冷静かつ完璧な泳ぎで金メダル獲得を果たしたのだ。かつては執着した最終日の50mは世界記録で泳いだリアム・タンコック(イギリス)に敗れて2位に終わったが、満足感の方が大きかった。いつの間にか、50mに執着していた気持は薄れていたのだ。

「50mは今でも楽しいけど、距離が短いこともあってココが良かったダメだったというのを実感しにくいんです。でも100mはそれを見つけやすいし、成長する部分がたくさんある。最近はむしろ、100mの方が楽しいと思えるようになったんです」。大舞台の勝利を経験した彼は、そこから新たな境地に一歩踏み出すことが出来のだ。

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