コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

水泳・競泳 入江陵介



出場の喜びと、メダルへの期待 生まれた周囲とのギャップ

8月、北京。初めてのオリンピックの場は、新鮮なことばかりだった。「行く前から映像などを見て情報は得ていましたが、行ってみるとその現物が目の前にあったことに感動しました。町の盛り上がりを肌で感じたり、選手村ではマクドナルドが食べ放題と聞いていたけれど本当なんだと体験したり、オリンピックが本当にあったことに、すごくワクワクした。水泳だけじゃなくいろんな競技の、テレビで見るような選手や海外の選手もいっぱいいて、本当にスポーツの祭典だなと思いました」


2008年北京オリンピック、背泳ぎ200mで決勝へ進出
写真提供:アフロスポーツ

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2008年北京オリンピック背泳ぎ200mで決勝、メダルへの期待を集めた
写真提供:アフロスポーツ


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2009年5月の日豪対抗、200mで世界記録を上回り、笑顔を見せる。水着の問題から公認されなかったが、世界トップスイマーであることを照明した
写真提供:アフロスポーツ


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2009年7月、世界選手権200mで、世界新で優勝したピアソルに次いで銀メダルを獲得
写真提供:アフロスポーツ

競泳の会場は、連日、観客がスタンドを埋め尽くした。各国の選手や応援団の歓声がこだまする。「すごく不思議な感じでしたね。観客席に親がいるのが見えたり、冷静ではありましたが、どこか夢見心地な感じでした。落ち着いていたつもりだったけれど、どこか自分が消えていた、地に足踏んでいないような」。どこかふわっとした感覚の中、それでも入江はメダルを強く意識して200mのレースに臨んだ。「僕のレースまでに、康介さんや中村礼子さん、松田丈志さんがメダルを獲られて、自分も獲らなければ、という気持ちが強かったですね」

自身の気持ちとともに、世界ランク3位ということから来る周囲の声も、影響していた。「大会前からメダルも期待されていたので、メダルを獲るために泳がないといけないみたいに思っているところもありました。そもそも自分自身は、オリンピック出るだけでもすごい事ですし、予選、準決勝、決勝と3本泳げるだけでも光栄だと思っていました。周りからのメダルへの期待と自分自身とは、ギャップというか、葛藤がありましたね」。そんな心境で入江は200mに臨む。予選は全体の7位、準決勝は全体の4位で決勝に進んだ。

そして決勝。入江は好スタートを決める。前半、積極的なレース展開を見せる。だが本来の後半の強さが見られない。ライアン・ロクテ、アーロン・ピアソルらに遅れ、5位にとどまった。「力みもあったし、それまで自分より速い選手と泳ぐ機会もあまりなかったこともあります。ペースがみんなばらばらで、波もすごくて、自分のレースができませんでした」

北京から帰国した入江は、「外に出たくない」と思った。人と顔を合わせたくなかったからだ。「おめでとうじゃなくて、残念だったね、という声のほうが多かったんですね。自分自身それを理解しているから、それを言われるのはしんどかったです」

しかし振り返るのが苦しいほど、4年後への闘志は高まった。「ロンドンオリンピックではメダルを獲ってやる。オリンピックの借りはオリンピックでしか返せない」。学生選手権などの大会を経て、入江は気持ちを徐々に切り替え、前へ進もうと強く意識した。

明けて09年4月の日本選手権200mでは、自身の持つ日本記録を更新し、北京オリンピック金メダルのロクテが持つ世界記録にあと0.08秒に迫る好タイムをたたき出す。5月には、日豪対抗の100mで日本記録を樹立し、ピアソルの世界記録にあと0.02秒に迫る。そして200mでついに、世界記録を1秒以上上回る1分52秒86の新記録を打ち立てた。水着の問題から公認されなかったが、まぎれもなく世界のトップに位置するスイマーになった証明であった。「(記録が認められなかった)悔しさがあったし、とにかく世界選手権でメダルを獲りたいと、結果を残さないといけないと思っていました」

2009年7月、ローマで世界選手権が開幕する。入江は最初の種目の100mは4位。「メダルは正直狙っていたので残念だったけど、いちばん狙っていたのは200mだったので、しっかりメダルを獲って帰らないといけないと思っていましたし、まわりの選手から『200mもあるから』と声をかけてもらって気持ちを切り替えて集中できました」。その200mで念願の銀メダルを獲得する。オリンピック、世界選手権を通じて初めてのメダルであった。


2009年7月、世界選手権200m、ゴール直後に電光掲示板を振り返る
写真提供:アフロスポーツ

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