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アスリートメッセージ

アスリートメッセージ スケート・ショートトラック 藤本貴大



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「何事は諦めてはいけない」ということを改めて知った、昨年12月の全日本選手権
写真提供:アフロスポーツ


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「何事は諦めてはいけない」ということを改めて知った、昨年12月の全日本選手権
写真提供:アフロスポーツ

振り返ってみると、藤本の競技人生の節目には、いつも誰かの支えがあったように思える。小学生時代、両親の熱心なバックアップがなければ、競技は続けていなかったかもしれない。大学進学時に、名門校の監督から思いもよらぬ誘いがなければ、日本代表として活躍するまでには、成長していなかったかもしれない。気持ちの切れかかった昨年12月の全日本選手権で、周囲の熱い応援がなければ、2度目のオリンピック代表はなかったかもしれない。そして、第一人者の寺尾は、藤本に目をかけ続け、トリノ冬季オリンピックのときも「彼はまだこれから先のある選手」と暖かな目を向けた。

多くの支えが、競技人生の中にあった。だが、支えがあったということは、こう言いかえることもできる。藤本が、支えたくなる選手であったということ。「必死に上を追いかけてきた」、そのために真摯にショートトラックに打ち込んできた姿勢を周囲の人々も知るからこそ、得られた支えなのだ。

「応援のおかげで切れることなく代表となることができた全日本選手権は、達成感とともに、得たことがもうひとつあります。オリンピックの代表に限ったことではなく、何事でもあきらめるもんじゃない、小さくても向こうに光り輝くものがあれば、最後までやらなきゃいけないんだ、ということを改めて知りました。そんな思いが心に残った大会です」

こうして迎える2度目のオリンピックを前に、藤本は言う。 「これまで、国際大会で戦ってきて、世界との距離は縮まってきたとは思っています。でも、安定していい成績が残せているわけではありません。もしかしたら縮まっているとは言えないのかもしれません。でも何か、僕の中には手ごたえがあるんです。出場する500、1000、1500m、全種目で頑張ろうと思いますが、その中でも得意の500mに力を入れたい」

オリンピックでの戦略も、すでに思い描いている。 「トリノを経験しているとはいえ、リレー種目と個人種目では、おそらく雰囲気も違うと思います。だから最初に出場する1500mで、個人戦はこういう感じで行なわれるんだ、こういうお客さんたちなんだと全部把握しておきたい。そうすれば、500mにうまく臨めるはずです。そして、大会までの間に、うまく調整できるかどうか。まだ修正しなければいけないところがある。そこが重要になります」

最後に、ショートトラックの魅力について尋ねた。
「敵がいて、自分がいて、狭い空間をめぐって、駆け引きがある。ピストルが鳴ってスタートする瞬間からゴールまで何が起こるか分からないことからくる緊張感と興奮。ほんとうに何が起こるか分からないんです。でも勝つのは強い選手なんですね。僕の考える魅力は、そんなところにあります。そして競技の魅力を伝えるのに一番大きいのは、4年に一度の舞台で活躍することです。やはり誰もが注目する大会ですから。自分の思い描く成績を残せれば、きっと、競技の普及にもつながるはずです」

90年代以降、ショートトラックは、廃部する実業団が相次ぐなど、選手が競技を続けるのが厳しい状況にある。そんな競技環境への思いもある。だからこそ、藤本は、バンクーバー冬季オリンピックでの目標を、具体的にこのように掲げる。

「表彰台を狙います。そしてチャンスがあれば、表彰台のいちばん高いところを目指したい」

そういえば、全日本選手権でこんな出来事があった。藤本が最後の3枠目の代表の座を手にしたとき、一人のベテランが引退を決意した。藤本が長年憧れ、日本代表としてともに戦ってきた寺尾である。寺尾は、代表を逃すことになった最後のレースのあと、藤本に握手を求めた。


2月6日(日本時間7日)、本番会場のパシフィックコロシアムで練習。氷の感触を確 かめた。
(前:桜井美馬選手、後:藤本貴大選手)写真提供:AP/アフロ

「バトンを渡されました。次の後継者が現れるまで、しっかり自分が握っていたいと思います」
藤本は、試合のあと、潤んだ目でこう語っていた。

メダル獲得という目標を達成したとき、それは支えてくれた人々への感謝となり、憧れていた先輩から渡されたバトンを、たしかに引き継いだことになる。そして、98年の長野冬季オリンピックを最後に途絶えているメダルの獲得は、ショートトラックの新たな伝統を、再び築くことにもなる。

インタビュー風景
藤本選手からのビデオメッセージ!!
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藤本貴大(ふじもと たかひろ)/スケート・ショートトラック

1985年3月13日生まれ。熊本県出身。(株)セルモ所属。 3歳からスケートを始め、小学3年生のときにスピードスケートからショートトラックに転向。熊本県文徳高校から山梨学院大学に入学し、2年次には2006年トリノ冬季オリンピックの5000mリレーに出場するも、準決勝失格という結果に終わる。その後、2006年ワールドカップ第2戦韓国大会500mで銀メダル、2009年世界選手権5000mリレーで3位になり、日本勢9年ぶりのメダル獲得を果たした。2010年2月12日から開幕するバンクーバー冬季オリンピックでは、500、1000、1500mに出場予定。



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