コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

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やっぱり北京ではメダルが欲しい。恩返しがしたいんです。

進化するレスリング。それができるのは、笹本が常にライバルを想定してその相手に勝つことを最大の目標にしているからだ。大学時代は、日体大のOBで毎日練習にきていた西島隆に勝ちたい一心でやってきた。最初はボロボロにされた彼に追いつきたいと。

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インタビュー風景。試合とは違うおだやかさ。

「その先輩がいなかったら多分、今の自分はレスリングはやってただろうけど、強くなってはいなかったと思います」
と振り返る。

西島に勝てるようになると、今度は日本一だった西見健吉を目標にした。世界選手権に出たいとか、オリンピックに出たい、メダルを獲りたいという思いは一切なく、「勝ちたい、勝ちたい」と思ってやり続けてきただけだ。その西見にやっと勝った時、目の前にはシドニーオリンピックがあった。

シドニーオリンピックでは8位になった笹本は、26歳で出場したアテネオリンピックを集大成のつもりで挑んだ。準々決勝は過去2戦2敗している世界大会5回優勝のナザリャン(ブリガリア)との対戦だった。0−3で迎えた終了1分前に2点を返し、俵返しに入った笹本の下半身をナザリャンが手で触った。だが審判はその反則を認めず、逃げきられて敗退。後一歩でメダルを逃す5位に終わったのだ。

「あの時はメダルを獲れないという悔しさより、あそこで勝てなかった、投げられなかったという悔しさの方が大きかったですね。他の人は『反則さえなかったらメダルを獲れた』と言いますけど、それはわからないじゃないですか。残り10秒しかなくてきれいに投げられる体勢じゃなかったし、向こうも必死だったから。ただ、それまで持ち上げたことがない人を、はじめて上げられたことは良かったんですけどね(苦笑)」

そのナザリャンを、翌年8月のピトライスニスキ国際ではじめて破った時、次の決勝では気抜けがして敗れてしまった。「欲がないんですね。コーチには『何してるんだ!』って怒られましたけど」、と笑う。

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2007年明治乳業杯全日本選抜選手権

そんな笹本だが、2006年12月の第15回アジア競技大会(ドーハ)と2007年世界選手権は結果にこだわったという。アジア競技大会は2006年世界選手権で1回戦負けしていたために結果を残さなければならなかった。そして世界選手権は大会前の強化合宿で左足首を負傷しての強行出場だったため、勝つレスリングを心がけたのだ。

「2位になってオリンピック代表には内定したけど、スタンドでポイントを取れなかったのが満足できないですね。それに相手も、決勝で負けたベディナゼがいるし、3位になったルーマニアのディアコヌには3回負けてるんで、その人たちには勝ちたいですしね。だから、それを目標にするというスタンスは変わらないです。北京ではまず組み合わせを見て、その選手と当たるところまでは頑張って。それで当たったら、勝つことを目標にして頑張るだけですね」

そうは言うが、笹本にとって北京は3回目のオリンピックになる。2大会連続入賞はすごいことだが、形になるものをもらえない入賞だけではもったいないのではないか、という気持も芽生えてきた。

「やっぱり北京ではメダルが欲しいですね。それを大声で言う気はないですけど(笑)、最後くらいは形のあるものが欲しいから。でもそれは、自分の為じゃないと思うんです。シドニーからずっとやってきた会社(綜合警備保障(株))の人もそうだし、一緒にやってきて僕のわがままをずっと聞いてきてくれた全日本のコーチもそうだし。そういう人たちに何かを形で返すとしたら、やっぱりメダルしかないですからね。本当に恩返しをしたいと思うんです」

笹本がそんなことを考えるようになったのも、アジア競技大会で金、世界選手権で銀とメダルを獲ったからだろう。そのメダルを見て喜んでくれる人たちの存在の貴重さを改めて感じたからだ。

世界選手権で彼は、未経験だった優勝への執着心の差で金メダルを逃した自分に気がついた。
もう少し手を伸ばせば届いたはずの頂点。笹本はその大会で銀色に輝くメダルとともに、これまでに感じたことのない大きな悔しさを手にしたのだ。それは北京で戦おうとする彼にとっては、金メダルより貴重なものだったはずだ。
無欲を装う彼の心の中に、フツフツと欲が沸き始めた。3度目のオリンピックにして彼は、やっと本番を迎える。

(2007.12.13)

インタビュー風景
笹本選手からのビデオメッセージ「レスリング・グレコローマンの面白さは・・・」を見る

 

Profile
笹本睦(ささもと まこと)

1977年10月21日東京都生まれ。綜合警備保障株式会社所属。
2006年全日本選手権大会 優勝(2000年から7連覇)、2006年全日本選抜選手権大会 優勝(2001年から6連覇)
第15回アジア競技大会(2006/ドーハ) 優勝。2007年世界選手権2位。これにより、北京オリンピック代表選手に内定。好きな歌手はケツメイシ(アテネオリンピックプロフィールより)



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