コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

アスリートメッセージ

自分を期待しすぎると、ダメだった時にすごく落ち込む。
だからあまり期待しないで、少々抑え気味に考える。

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インタビュー中、笑顔で答える。

陸上をやっていた親の影響で走ることが身近だった土佐は「子供の頃からスピードがなくて、リレーの選手になれなくて泣いた記憶もある」というような子供だった。だが長距離には自信を持ち、自然に陸上競技を続けていた。

とはいっても、松山大学在学中に走った初マラソンは2時間54分47秒。日本インカレも5,000mの12位が最高と、これといった実績はなかったものの、なぜか「実業団へいって走るんだろうな」という思いはあった。「短い距離はダメだろうけど、マラソンだったら何とかなるかな。本格的にやって、どこかの大会で上位に入れたらいいな」という希望を持っていた。

その希望通りに三井海上火災保険(株)(現・三井住友海上火災保険(株))へ入社すると、練習量が一気に増えたことで急成長した。1年目の1999年には世界ハーフマラソン選手権に出場して6位入賞。そして翌2000年には名古屋国際女子マラソンを2時間24分36秒で走り、シドニーオリンピック代表を決めた高橋尚子に次ぐ2位になったのだ。そして2001年は世界陸上選手権(カナダ・エドモントン)に出場して銀メダルを獲得。2002年はロンドンマラソンで、日本歴代3位の2時間22分46秒をマークと、とんとん拍子に好結果を残した。

その後は2年間は故障で苦しんだ。だがそれを乗り越えられたのも、「私、自分に期待しないことにしてるんですよ。自分を期待しすぎると、ダメだった時にすごい落ち込むし、『アッ、やっぱりダメなんだな』って思うんで。だからあまり期待しないで、少々抑え気味に考えるんです」という彼女の性格があったからだろう。自分が遅い選手だったという気持があるからこそ欲を持ち過ぎず、チャレンジャーでいられたからだ。

その無欲さはアテネオリンピックの選考レースでも発揮されたといえる。当初、土佐は高橋尚子と同じ東京国際女子マラソンに出場する予定だった。普通、オリンピック代表を狙うなら、シドニーオリンピックの金メダリストで、2時間19分46秒という記録ももっている高橋とは走りたくないというのが正直なところだろう。だが彼女にはそんな気持は微塵もなかった。

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取材の日はトラック練習だった。小雨のふる中を走る。

「勝算のようなものは無かったですね(笑)ただ、『アーッ、一緒に走るんだ』みたいなだけで。高橋さんとは2000年の名古屋(国際女子マラソン)以来だから、どのくらい走れるかなっていう感じで。もしそこで負けたら負けたで相手の方が強いんだからしょうがないし、万が一勝ったらオリンピックに向けて最高の自信になるし」
という軽い気持だった。だからこそ、故障で出場できなくなっても落ち込むことなく、次のレースへと意識を切り換えることができたのだ。

「でも次の大阪もダメで、最後のレースでと思っていた名古屋の前にまた故障した時は落ち込みましたよ。『間に合うのかな?』っていう感じだったんで。だからすごい落ち込みましたよ、一日でしたけどね(笑)。私、落ち込むとすごい疲れるから、一日だけの落ち込みで満足しちゃうんですね(笑)」

そんな開き直りが土壇場で彼女に力を発揮させ、オリンピック代表の座を手に入れさせたといえる。

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