コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

菅原選手は宮城県の出身。宮城県鼎が浦(かなえがうら)高等学校に入学し、全国大会で数多くの優勝実績を持つフェンシング部に所属した。
鼎が浦高校フェンシング部創設は1952年。1964年の東京オリンピックのフェンシング日本代表の選手には菅原選手の大先輩が選ばれている。

高校卒業後は日本体育大学で学び、現在は体育の教諭として鼎が浦高校に戻り、フェンシング部の顧問を務めている。
「私が宮城に戻って2年後に国体があるという時だったので、タイミングよく帰れてよかったと思っています」と菅原選手。
高校教諭を続けつつ、日本代表のメンバーとして年間10回前後の国際試合に出場するという多忙な日々を送る。
「フェンシング部の生徒には、私がいないことが多くて申し訳ない気持ちもあります。学校からは活動のためにいろいろ考慮していただいています」と感謝の気持ちを語った。

上海の翌週には日本で、とワールドカップが連続して開催される。自宅に戻る間もなく大会に備えて練習を続ける菅原選手は「フェンシングの選手はオリンピックが終わると1年程度の休養に入りますが、私はまだアテネ以降休んでいないんです」この作戦が優勝に結びついたといえるだろう。

3月11日から13日まで行われた「高円宮杯フェンシングワールドカップ2005」は、ワールドカップの中でも「グランプリ大会」と呼ばれる大きな大会だった。
「日本で行われる数少ない国際試合ですから楽しみでもありますし、いい成績が残せたらいいなと思っています」と、大会前日に語っていた言葉通り、菅原選手はハンガリーのアイダ・モハメド選手との決勝では7対12で破れたものの準優勝となり、2大会連続で表彰台に上がるという素晴らしい成績を納めた。
また同大会最終日の男子フルーレ個人では、福田祐輔選手(警視庁)がエジプトのタメル・モハメド・タフン選手を15対9で下して初優勝を飾った。

3月15日に国際フェンシング連盟が発表した世界ランキング5位に浮上した菅原選手に3年後のオリンピックについて尋ねると、
「北京はまだ遠くて・・・・・・。目の前の1戦1戦に集中することが今の目標です」
という。有言実行の頼もしい戦いぶりにこれからも注目したい。


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菅原智恵子(すがわら ちえこ)

宮城県出身、1976年8月15日生まれ、28歳。
宮城県鼎が浦高等学校でフェンシングを始める。高校卒業後日本体育大学を経て、現在母校の鼎が浦高等学校の教諭とフェンシング部の顧問を務める。
2004年のアテネオリンピックに日本代表選手として参加。2005年3月6日に中国の上海で開催されたワールドカップで日本人女子選手として初優勝、自己最高記録を更新。続く3月12日には東京・駒沢オリンピック公園体育館で開催された「高円宮杯フェンシングワールドカップ2005」で準優勝、2大会連続で表彰台に上る好成績を納めた。


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