コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

ボブスレー・スケルトン 越和宏



世界一になりたい

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「組織的に望めた」というトリノ冬季大会。1回戦では9位の好位置につけていたが、2回戦で失速し11位に
写真提供:アフロスポーツ

その越が、“特別な大会”と位置づけてきたのが、オリンピックだった。

「レベル的には世界選手権のほうが高いかもしれない。でも、周囲の認知、期待度が全然違う。しかも毎年行なわれる世界選手権と違って4年に一度。4年間がそこに出るわけです。怖いですよね」

だから、オリンピックこそ、もっとも大きなチャレンジの場であり、そこで世界一を目指してきた。

2002年のソルトレークシティーは8位、トリノは11位。そして迎えたのが、バンクーバーだった。


スケルトンではスタートが非常に重要。
左:ソルトレークシティー、右:トリノ
写真提供:フォート・キシモト 、 ロイター/アフロ 

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試合後、19位になった田山選手の肩を叩く越選手。後輩の成長を喜ぶと同時に、負けた悔しさがあった
写真提供:フォート・キシモト

20位に終わった試合の模様を伝えるテレビや新聞の中には、「集大成」という言葉があった。越が2007年に立ち上げたスケルトンクラブのメンバーであり、後輩の田山真輔を称えるかのような場面があったのもそう受け取られたのだろう。

越本人は、「そうではない」と、否定する。

「後輩の田山はトレーニングも一緒にやっていますから、彼が満足のいく滑りができたこと、育ってくれたことはうれしい。でも僕自身、勝負にいっているわけです。20位なんて惨敗。オリンピックに出る価値のない成績。負けたことに対して悔しさがあり、納得できない。満足は一切ない。満足している自分がいたら、選考で接戦で落ちていった選手たちに失礼だと思うんですよね。ただ、そこで物を投げつける姿とかを出せる年齢ではないなというのも自分でどこか、言い聞かせていた部分がありました。帰国してからDVDでいただいた試合の番組を観ていたら、『やり終えた越の姿が見えました』みたいなコメントがありましたが、全然思っていなかったですね。完全燃焼しなかった自分がいましたし、もし集大成だと思っていたら、この20年近くを振り返ったコメントが出ていてもいいんじゃないか。自分でそう思います」

そして今、3度のオリンピックを、こう振り返る。

「2002年のソルトレークシティーの時は、まだ子どもでしたね。次のトリノは、小さいけれど組織的に臨めて、自分の力で勝負できた大会。だからミスをした自分が許せなかった。バンクーバーは、組織力のなさがクローズアップされた大会でした」

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いつも練習を行っていたスパイラルのコースにて

今回、ソリ競技は、思わぬミスが相次いだ。それもまた、戦う組織として成熟していなかったことを象徴している。

完全燃焼しきれなかった大会を経て、今後向かう道を、どう見定めているのか。

「特に明確に言えるものはないんですね。ひとつ言えるのは、スケルトンクラブを立ち上げて、僕も若い選手とやってきた。だから若い選手を育ててオリンピックの場でメダルを獲らせたいな、と。獲るだけでなく、社会貢献のできる、人間としても慕われる、誰からも尊敬されるようなアスリートを育てたい。スケルトンでこれだけ夢を追求させてもらってきたので、恩返しをし、伝えていきたいものがある。バンクーバーで感じたものをどう改善していくかは連盟との問題になるので、その辺りでも経験を活かせる環境を作れればいいなと。近々の目標としてはそういうところで進んでいく。具体的なものはなにひとつありません」

一方で、こんなことも言った。 「海外チームからオファーが来ないかなとか、ふと思ったりもします。でも、まずは、若い選手たちもいいものを持っている。日本がスケルトンの世界でトップにいたこともあるので、その頃を取り戻したいですね」

一向に変わりない歯切れの良さ、エネルギッシュな姿を見ていると、ふと、こんなことを思った。ソチ冬季大会にも、再び姿を見せそうな気がする、と。

越は苦笑した。

「どうですかね。でも僕が出て行くようなことがあれば日本のスケルトンも終わりでしょうね。やっぱり引き際というのはちゃんと持っておかないと、今までのキャリアも消すことになりますから、やっぱり今後は黒子、裏方にまわって選手を育てなければ。指導するといっても、それもとても難しいことです。勉強しなければいけませんね。

自分の将来はどうなるか、普通こんなオッサンじゃいけないけど、今までは競技者だから進むべき道のりというのもだいたい明確にできるじゃないですか。今、選手としての目標はなくなりましたから、次どういうところに目標を定めて進んでいくのか、宝探しというか道探しをしていることが、余裕はないけどうんと楽しいところがあって、スゴロクで言うと“ふりだしに戻った”感覚ですね。ボブスレーからスケルトンに転向した時のような気分です。

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誰もが持っていた子供の頃の夢を、越選手はいつまでも忘れなかった

なんか今、たちの悪い中年のオッサンになっちゃって。何かやるにしてもドキドキしないと前に進んでいけなくなった。家内や家族はドキドキしていると思うけどね。まあ、家内も諦めていると思いますし(笑)。雑談している時だったと思うのですが、ふと、『あんたは自分の好きなことをやっていなければ先へ進まない人だから、制限したら本当の能力は出ないから自由にしててください』みたいなことを言われましたからね。でも、無職の時にお金がなくて苦しい時にも、家族には迷惑をかけなかったつもりです。僕自身は食えなくても家族だけは食わしてきたつもりです」

子供の頃の夢、大学時代の挫折が支えとなって歩んできた20年近くの競技人生。そう言うのはたやすい。大抵の人は、いつしか夢を忘れる。経験を次に活かすこともできない。

越は、少年の頃の願いを大切に抱えてきた。「逃げない」と自身に課して、実行してきた。そこには、己への徹底した厳しさがある。それが越和宏という存在を、スポーツの世界で際立たせる。開拓者、先駆者となれた理由でもある。

最後に越は、こう語った。
「選手としては世界一になれなかったけれど、違う形で世界一になる方法はある。僕の開発したソリで世界一になることだってそうです」

今なお、気力に衰えは一切ない。

インタビュー風景
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越 和宏(こし かずひろ)/ボブスレー・スケルトン

1964年12月23日生まれ。長野県出身。(株)システックス所属。
高校時代は陸上部に所属していたが、仙台大学ではボブスレー部に入部。1992年アルベールビル冬季大会への出場を目指したが叶わず、当時オリンピック種目ではなかったスケルトンに転向した。指導者や用具もないところからのスタートだったが、自らの力で道を切り拓き、1999年のワールドカップ長野大会で優勝。ソリ競技のワールドカップで日本人初のメダルを獲得した。スケルトンが54年ぶりにオリンピック正式種目に復活した2002年ソルトレークシティーで8位入賞、2006年トリノでは11位、冬季大会史上最年長の45歳で出場した2010年バンクーバーでは20位。



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