コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

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第15回アジア競技大会(2006/ドーハ)より。
(写真提供:アフロスポーツ)

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第15回アジア競技大会(2006/ドーハ)走幅跳表彰式より。
(写真提供:アフロスポーツ)

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第15回アジア競技大会(2006/ドーハ)より。
(写真提供:アフロスポーツ)

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第15回アジア競技大会(2006/ドーハ)より。
(写真提供:アフロスポーツ)

一念発起した池田選手はそれまでのかがみ跳びからシザーズというハサミのように足を交差させて跳ぶフォームに変えた。また体重を自己ベストに戻し、以前の感覚を取り戻したという。
「どんなに辛くても陸上が好きで続けてこられたのは父のおかげです」
既出の通り、池田選手の父は元陸上選手。祖父もハードルでオリンピック候補に挙げられるほどの実力を持ち、まさに陸上一家だった。

「オリンピックや世界選手権で女子選手が7mを跳び、彼女たちがメダルをとると父は『お父さんの自己ベストは7m04だからお父さんに勝つとメダルが取れるぞ』と言うんです。だから私も頑張って、父に勝とうと思いました」

しかし3年前に実さんが他界。しばらくは池田選手も失意の底にいたが、落ち込んでいても父は喜んでくれないと思い、奮起するようになった。
「今までいい事も辛い事も父にすべて話してきました。頼れる存在がいなくなり、放心状態になりましたが、時間が経つにつれ、『自立しなさい』と父から言われているような気がして・・・。父が亡くなったことで嬉しい時も悲しい時も自分で考えられるような精神力を教えられた気がしました。だから日本記録も出せたのかな、と思います」

ドーハアジア大会で金メダルを獲得し、7m台の記録と2008年北京オリンピック出場への期待もさらに高まってきた感がある。特にアジア競技大会後は多くの取材を受け、練習以外でも多忙な日々を送っている。練習もままならず、イライラする気持ちも芽生えてくるかと思いきや、池田選手は取材なども仕事の一貫と受け取っている。
「取材で質問され、答えることによって自分を客観視することができるんです。言葉に出すことによって自分の考えが再確認できるんですよ」
常に自己分析することもトップアスリートには必要。取材を受ける以外にもその時の心理状態や跳ぶ時の感覚などを練習ノートにつけ、自分を見つめ直しているという。

幼い頃から天才少女と呼ばれ、また多くの天才を目の当たりにしてきた池田選手。彼女にとって天才とはいったいどんな人のことを指すのかと聞いてみた。すると意外な答えが返ってきた。
「執念を持つことだと思います。私も昔、陸上を仕事にしたいと言って来ましたが、周囲から『走幅跳でなんか将来やっていけないよ』と言われてきました。普通に考えたら、そうかもしれないけれど、周りに何を言われても『私は陸上をやる』という執念があったからここまでやってこられたんだと思います。

7mも昔は遠く思えたけれども、最近では報道陣から『次こそ7mですね』と言われようになり、やっと自分も7mの記録に近い選手だと認めてもらえるようになったんだなあと実感しています」

7mの記録、北京オリンピック以外にも池田選手には夢がある。陸上という競技をもっと世間一般に広めたいという夢だ。「キッズアスリートプロジェクト」というプログラムに賛同し、同世代でハードルの為末大選手や短距離の末續慎吾選手、棒高跳の澤野大地選手たちとともに学校訪問し、陸上競技の普及にも尽力を注いでいるという。

「幅跳って芸術作品みたいですよ。人間が走って美しく跳ぶというのはまるでひとつの作品を作り上げるよう。それに会場では選手が跳ぶ前に手拍子が起こるんですが、私にとってはありがたいこと。皆さんの手拍子のおかげで気持ちが盛り上がり、それで記録が出るとすごい達成感があるんです。観客の皆さんも自分たちの拍手で選手が記録を出すと嬉しいと言っているみたいですし。幅跳は個人競技だけれども、観客と一体になって跳び、記録を出している感じですね」
悲壮感なく、心から陸上を楽しむ池田選手。走幅跳に加え、ハードルにも挑戦し、数々の大会で優勝を収めている。まさに陸上の申し子。夢の7mももうすぐだ。

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池田久美子(いけだ くみこ)

1981年1月10日生まれ
山形県出身。 福島大学卒、スズキ陸上部所属。
2006年IAAFグランプリ大阪大会走幅跳優勝、第15回アジア競技大会(2006/ドーハ)走幅跳優勝、第89回日本陸上競技選手権大会 走幅跳優勝、100メートルハードル優勝。


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