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アスリートメッセージ

世界選手権やオリンピックといった大きな舞台を踏んできた大島選手だが、ベテランといわれることには抵抗があるという。
「まわりから見ればベテランなのかもしれません。でも私はどんな試合でもいまだに緊張するし、まだまだ自分は育っていないと思うんです」

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大島選手、ド−ハアジア大会での床の演技。
(写真提供:アフロスポーツ)

そんな大島選手も一度は引退を考えた。アテネオリンピック後、持病のヘルニアが悪化し、気持ちが体操に向かわなくなったからだ。
「本当は2005年に辞めようと思ったんです。燃え尽き症候群になり、これならやっていても意味ないな、と。でも同じ年に全日本選手権の団体に出場したとき、チームを引っ張っていけたのがとても楽しくて。よく考えた結果、自分は体操で何もできていない、このまま辞めたら後悔すると思ったんです。自分は家族やコーチなど多くの人に迷惑をかけてここまで来ました。恩返しをするにはやはり自分が活躍するしかない。今は腰に負担がかからないよう背筋や腹筋をつけ、少しでも痛いようなら針で治療しています」と強いまなざしで語ってくれた。

また上村選手にも体操を辞めようと考えた時期があった。原因はやはりケガだ。
「高校1年生の時に練習で顔を大きく切ったことがあり、こんな怪我をするなら辞めようと思いました」
しかしあることが彼女を体操にとどまらせた。同世代の友人たちの活躍だ。
「小学校の友達も違う分野だけど頑張っているんです。例えば囲碁の世界で活躍していたり、小学校の教員免許を取っている人もいて。その子たちの話を聞くと自分はまだ頑張っていない、頑張らなくてはいけないと思ったのです」

別世界で活躍する友人から刺激を受けるのは大島選手も同じだ。
「女子柔道48kg級で今年の講道館杯全日本体重別選手権を制した山岸絵美選手は高校の同級生なんですが、彼女の活躍を見て、私も頑張ろうという気持ちになります。山岸選手も谷亮子選手という大きな壁がありますが、私も下の世代が育ってきているので、厳しいのは同じ。でも一緒に北京オリンピックに出られたらいいなと思います」

同世代はライバルでもあり、喜びや苦しみを分かち合える最高の仲間だという上村選手と大島選手。この2人もまたライバルであり、同じチームで苦楽を分かち合う戦友だ。 マイペースな上村選手対して大島選手は負けず嫌いの性格。一見、正反対のようにも見えるが、2人はとても仲がいい。
「私が他の選手と衝突しても美揮さんがうまく仲を取り持ってくれるんです」
と上村選手を姉のように慕う大島選手。

そんな2人の共通の願いは北京オリンピックの団体出場権を得ること。体操女子は1996年アトランタオリンピック以来、団体出場の切符を逃している。北京オリンピックに団体で出場するには2007年9月、ドイツで行われる世界選手権で12位以内に入らなくてはならない。

「アテネオリンピックでは男子が優勝し、注目が集まっていますが、女子も負けてはいられません。女子も頑張っているところをアピールしたいですね。とにかく北京オリンピックの団体出場権を取って、下の世代とともに頑張りたいです」と大島選手。
上村選手も「今は団体出場権を獲得することしか考えていないです。下の世代も育ってきているので、いつか世界のトップレベルと女子も戦える日が来るんじゃないかと思います」と次世代の活躍にも期待を寄せている。

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ドーハアジア競技大会で、上村選手は種目別平均台で
銅メダルを獲得。 (写真提供:アフロスポーツ)
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大島選手は種目別床で銅メダルを獲得。
(写真提供:アフロスポーツ)

2006年にデンマークで行われた世界選手権では12位に入った経緯もあり、北京オリンピック団体出場の可能性も高まっている。数々の逆境を越えてきた彼女たちのことだ。最高の結果をもたらしてくれると期待したい。


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上村美揮(うえむら みき)

1986年3月6日生まれ、和歌山県出身。148.5cm。
朝日生命体操クラブ所属。
2005年、2006年全日本体操競技選手権大会個人総合1位。2006年NHK杯2位。2006年第15回アジア競技大会個人総合4位、種目別平均台3位。


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大島杏子(うえむら みき)

1986年8月5日生まれ、東京都出身。148.5cm。
朝日生命体操クラブ所属。
2004年アテネオリンピック個人予選51位。2005年第4回東アジア競技大会個人総合3位、種目別床3位。2006年第15回アジア競技大会個人総合5位、種目別床3位。


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