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アスリートメッセージ

現在はドイツのミューレンに拠点を置き、ベッカー選手の元で自らの技術を磨くとともに、乗用馬のトレーニングにも励んでいる。
「オリンピックに出場するまでは私自身が未熟だったので、訓練され、競技会経験の豊富な馬に乗っていましたが、オリンピックが終ってからは一から馬を育てたいという気持ちになって。現在は若い馬を育てる勉強をしています。大変ですが、やりがいがあります」
馬の体づくりから競技会経験まで、馬の能力をアップさせることに尽力しているという。

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アテネオリンピックより(写真提供:アフロスポーツ)

「ドイツは競技会だけでなく、馬や選手を育成するシステムが本当にしっかりしています。乗用馬や競走馬を含めた競技馬の生産も日本の約4倍、世界中から選手が修行に来ています。ドイツにいるとオランダやベルギーなど強豪ヨーロッパの選手との交流が持てるので、刺激を受けます」

渡辺選手が手がけている馬は現在のところ5〜6頭。インターナショナルな大会には8歳にならないと出場できない。「馬の能力にもよりますが、馬1頭が競技会に出られるようになるには1年ぐらいはかかります。若いうちから競技会を転戦し、8歳で国際舞台に出られるように訓練をしていきます。やはり馬術は馬を育てていくことが勝負ですから」と渡辺選手。

ほとんどの競技の場合、選手個人の体調がものをいうが、馬術の場合は馬の精神状態や体調も競技に大きくかかわってくる。相手が生き物だけにデリケートに扱わなくてはならない。
「馬術という競技をしていて一番大変なのは、やはり馬の調整と管理ですね。人間の調子がよくても馬がよくないとダメ。馬の調子が悪いと感じれば、なるべく疲れさせないように、攻め込むようなトレーニングは控えるようにします。
しかも生き物なので感情も相性もあります。能力が高い馬でも相性が合わないと上を目指すのは難しいということもあります。素直で頭のよい馬が乗りやすいのは当然ですが、自分にあった馬を探すというのは本当に難しいんです。ただ一緒に戦っていれば、情や絆というものが生まれ、馬が自分の分身のように思えてくるんですね」

渡辺選手はベストパートナーを見つけるため、いろいろな馬に乗り込み、調教している。もちろん自らのトレーニングにも余念がない。
「馬がどうすれば理想の動きをするか、障害をうまく飛ぶタイミングを考えて馬に乗り込むようにします。人間の方は飛ぶタイミングの取り方、馬にあった乗馬姿勢をトレーニングするんです」

もちろん人間のウエイトコントロールも大切。競馬なら速く走らせるために騎手の体重は軽いほうがいいが、障害飛越では馬をコントロールするために、体力が必要になる。そのためにはある程度の体重と筋力をつけなくてはいけないが、華奢な渡辺選手の一番の課題はそこだ。
「体重は増やさなきゃいけないんですけどね。なかなか増えないんです」
と微笑んで答える渡辺選手。ダイエットに悩む側からすれば、なんとも羨ましい話だが、アスリートにとっては勝つか負けるかのシビアな問題。アテネオリンピックには努めて体重を増やして臨んだという。

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アテネオリンピックより(写真提供:アフロスポーツ)

そんな渡辺選手にとって一番リラックスする場所は、長年馬とともに過ごした静岡県にあるつま恋乗馬倶楽部。
「やっぱり日本は落ち着きますね」とリラックスした表情で話す。アテネオリンピックから2年が経ち、ようやく気持ちにも変化が現れた。

「チャンスがあればまた次のオリンピックを目指したいという気持ちになりました。現役を引退しても、趣味でもいいから馬術にはかかわっていたい。やっぱり馬が好きなんですね。馬のいない生活は考えられません」
これからの競技人生の中で幾多の厳しい障害があっても、渡辺選手は愛馬とともに軽々と飛び越えてくれるはずだ。

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渡辺祐香(わたなべ ゆか)

1967年8月26日生まれ 150cm。
静岡県出身 東海大学第一高等学校から東海大学へ進学。現在、ヤマハつま恋乗馬倶楽部所属。 1985年全日本障害飛越馬術大会特別大障害飛越競技優勝、1995年〜1996年JRAホースショーグランプリ優勝、1995年全日本大障害S&H優勝、1996年全日本中障害S&H優勝、全日本中障害選手権優勝、2004年アテネオリンピック障害飛越個人39位。


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