コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

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ヤマザキ国際グランプリ陸上大阪大会2006より
(写真提供:フォート・キシモト )

2度目の世界の舞台は、2003年にパリで行われた世界選手権だった。前年に顔を売っていたことが功を奏して、トップ選手たちと会話しながら普通の状態で臨むことができた。パリの競技場の観客席は満員。その様子を眺めながら澤野選手は「こんなところで試合をさせてもらえるなんて、自分はなんて幸せなんだろう」と感じていたという。次の年のアテネオリンピックのためにと、この世界選手権で立てた目標は「ファイナル進出」。大観衆の中でも自分を見失うことなく、見事予選を通過を果たしたが、その直後に思わぬアクシデントが生じた。左腿の裏側に違和感を覚えたのだ。アイシングをして、懸命に回復に努めたが、肉離れで棄権。競技場の大きなスクリーンには、悔しさに涙する澤野選手が大きく映し出され、観客からの励ましの拍手に送られて会場をあとにした。

2004年はアテネオリンピック。2カ月前の日本選手権で、5m80で優勝し、満を持して初のオリンピックへ。過去の大会での経験を生かし、「確実にファイナルに残る」ことを目標にした。パリの世界選手権では勢いだけで跳んでいたような気もしていたが、アテネではオリンピック特有の盛り上がりを味わいながらも、しっかりと目標をクリアすることができ、ファイナルでは13位という成績を収めた。

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ヤマザキ国際グランプリ陸上大阪大会2006より
(写真提供:アフロスポーツ)

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ヤマザキ国際グランプリ陸上大阪大会2006より
(真提供:アフロスポーツ)

3つの大会を終えて、澤野選手は3年後の北京オリンピックに向けての計画を立てた。2005年の世界選手権ヘルシンキ大会では、入賞を。2007年の世界選手権大阪大会では、メダル獲得を。そして27歳で迎える北京オリンピックで一番いい結果を出したいと。 2005年の春先には、日本記録を5m83まで伸ばした。いい調子でステップアップしていた澤野選手は、絶好調な状態で世界選手権ヘルシンキ大会の選考対象である日本選手権に臨んだ。が、突然の脱水症状で記録無しという結果になってしまったのだ。しかし、落ち込んでいる間もなく、当初から予定していたヨーロッパ遠征へ。外国で、一人きりで自分を見つめなおし、ヨーロッパを転戦して力をつけているアスリートたちに刺激を受けたことで、調子を取り戻すことができた。その後、結果を出し、世界選手権ヘルシンキ大会に出場。天候不良の悪コンディションの中で、決勝に進み、8位入賞。ファイナルで戦う手ごたえをつかんだ。
「助走のときに、観客席から手拍子をもらうと、お客さんと一体感のようなものが生まれて、追い風になります。重圧ではなく、ものすごく力になるんです。でもあまり燃えすぎるといろんなことが見えなくなったり、アドレナリンが出すぎてか、足がつったり、痩せてしまったりすることもあって。かといって、あまり落ち着きすぎても記録は出ないし・・・。なので、静かに燃えるというか。そのあたりのバランスの取り方は年々できるようになってきたように思っています」

今後の予定を尋ねてみたところ、海外をメインにして、グランプリファイナルに出られるように戦っていきたいという答えがかえってきた。「競技もそれ以外のことでも、ヨーロッパを転戦することで、いろんなことに対処できる自分の引き出しを増やしていきたいと思っています。まずはこの冬のアジア大会は、勝って当たり前の試合なので金メダルを取りたい。そして来年の世界選手権は、僕が小学校1年までを過ごした大阪で開催されるので、そこでメダルを取りにいきます」

大地という名前は父親が命名した。「大地に根を張る大木のように、地に足のついた人となれと。棒高跳びは助走がしっかりしないと、小手先では飛べない競技。下がしっかりしていないと、上ができないんです」  競技者として、人としての基盤をどっしりとつくりつつ、地上6m目指して、澤野選手は跳び続ける。

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澤野大地(さわのだいち)

1980年9月16日生まれ、千葉県出身。182cm。 千葉県の印西中学、成田高校を経て、日本大学卒業後、ニシスポーツに入社。2005年には現在の日本記録5m83を記録。2003年のパリ世界陸上選手権で決勝進出するも、肉離れのため棄権。2004年のアテネオリンピックでは日本人として棒高跳びで20年ぶりに決勝進出し13位。 2005年のヘルシンキ世界陸上選手権では、8位入賞を果たした。


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