コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

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(写真提供:フォート・キシモト)

世界最速投手として知られる上野由岐子選手にとっても、初めてのオリンピックは苦い経験となった。アテネの予選リーグ最後の中国戦では、オリンピック史上初の完全試合を達成したが、4試合に登板し、大会を通しては2勝するに留まった。
「オリンピックは特別な試合だから、開幕戦ではできるだけ緊張しないようにしなきゃと考えてしまったのが、失敗でした。どこかふわふわとしてしまって、ピリッとしまらなかった。ホームランを打たれて降板して、チームは開幕戦を落とし、『これがオリンピックなんだ』という実感も持てないままに、淡々と大会が終わってしまったような気がしました。体調や緊張感の持っていき方が、反省として残りました」

あれから1年8カ月。上野選手は自分が大きく変わったと自負する。

「昨年の6月に、所属チームの監督である宇津木麗華さんに、『アメリカのピッチングを勉強してみよう』と機会をつくっていただいて、渡米したことが転機になりました。アメリカのプロリーグで投げているベテランの方に、『アメリカでは速球ではなく、変化球が投球の柱であること』を改めて教えていただいて、自分の投球にシュートやスライダー、スクリューなどの横の回転の球を加えたら、もっと幅が広がることに気がつきました。ピッチャーの奥深さ、自分ができていないことの多さを知り、何もかもやりつくしていたと思い込んでいた自分の小ささが恥ずかしくなりました。そのときから、モチベーションがぐんと上がったんです。さらに『プレッシャーなんて誰もが持っているもの。自分だけが背負っているんじゃない』という一言が胸に響きました。自分はチームのエースとして何でも一人で背負っていると、それがあたりまえだと考えていたので、そんなことを考えている自分はまだまだだと、その言葉にもハッとしたんです。アメリカに行って本当によかった!」

渡米経験は、上野選手に『アメリカに対して余裕をもって臨むことができるようになった』という副産物までもたらした。その成果のひとつが昨年、アメリカから上げた3つの勝ち星だ。

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(写真提供:フォート・キシモト)

「世界選手権では自分はとにかく1点もやらないというピッチングをして、最後まで0点で投げ続けたい。アメリカに勝つには日本の良さというものをより自覚して、たとえばあいさつから始まる生活態度をしっかりと正して、普段から気配りや目配りができる、人としての土台をしっかりとつくって、『日常生活=プレー』という意識で戦うことが大切ではないかと、自分は考えています。日本人は常に一所懸命なので、試合だから急にすべて普段の態度から切り替えられないと思うのです。相手を思いやる気持ちがふだんからあれば、それが試合でもいい連携プレーにつながっていくのではないでしょうか。今の日本代表チームならではの強さと、いい意味での日本の伝統が、両方とも生かせればいいなぁと思っています」

今年の上野選手のグラブに刺繍されている言葉は「非常識への挑戦」。「これは普通無理だろうといわれているような"常識"を、どんどん覆していきたいという意味。あたりまえじゃないことに挑みたいんです。上野だからできた、さすがといわれるようなことをして、もうひとつ上に行きたい」

アテネオリンピックを糧に、また新たな力を加えた2006年のソフトボール日本代表チームは、全員総力で世界選手権に向けて全力を尽くす。

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上野由岐子(うえのゆきこ)

1982年福岡県生まれ。23歳。日立&ルネサス高崎に所属。投手。小学校3年生からソフトボールをはじめ、中学校時代に全国制覇、九州女子高3年生のときに国体優勝を果たす。世界ジュニア選手権で優勝し、高校生でオリンピック代表入りが期待されたが、腰椎骨折で断念。01年に日本代表に選出され、当時の日立高崎に入社。02年の世界選手権・中国戦では完全試合を達成。日本は銀メダルを獲得。同年アジア大会で日本初の金メダルを獲得。アテネオリンピックでは、史上初の完全試合を達成し、銅メダル獲得に貢献。173cm、72kg。右投右打。


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山田恵里(やまだえり)

1984年神奈川県生まれ。22歳。日立ソフトウェア所属。中堅手。中学時代までは男子といっしょに野球部で活躍。厚木商業高校進学と同時にソフトボールを始める。俊足、強肩、勝負強いバッティングで走攻守の3拍子がそろった選手として、高校時代から活躍。02年に現在の所属チームに入社。同年の日本リーグでは本塁打王、打点王、新人賞、ベストナインの4冠を獲得。03年1月から日本代表候補入りし、アテネオリンピックに1番・センターとしてフル出場し、予選リーグ22打数9安打5打点と活躍。165cm。57kg。左投左打。


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