コラム/インタビュー

オリンピアンズ・ストーリー

オリンピアンズ・ストーリー

ソウルオリンピックで金メダルを獲得できたのは、17歳の時、ロサンゼルスオリンピックでリレーの決勝に出場した経験が大きかったという鈴木さん。オリンピック出場体験から得た教訓や後輩に送るメッセージについてうかがいました。

感動と興奮へのチャレンジ

財産となったロサンゼルスオリンピック

1984年のロサンゼルスが、私にとっての初めてのオリンピックです。その前の80年のモスクワ大会は日本が不参加だったため、チームにはオリンピック経験者が1人もおらず、コーチの話を聞いてもオリンピックとはどういうものかイメージができる者はいませんでした。精一杯頑張らなければいけないとはわかっていても、メキシコシティでの高地トレーニングでは、「あまり頑張りすぎるな」というコーチもいて、どの程度頑張ればいいのかがわからず試行錯誤していました。

そして開会式。ロサンゼルスオリンピックは民間資本を導入した試行が随所に見られ、今までにない盛大な開会式でした。「ジャパン!」というアナウンスとともに、コロシアムの観客の大歓声。鳥肌が立ち、つらい練習など一気に帳消しになるほどの感動を覚えました。「オリンピックに出場できてよかった」。この時点で、オリンピックにきた目的の8割が達成できた気分になりました。それほど、大きな満足感だったのです。

水泳競技3日目の男子200m背泳ぎ。ロサンゼルスのプールは朝早くから満員の大歓声。そんな大勢の前で泳ぐのは初めてでした。それまで水泳競技の会場が、観客で満員になるなんてことはなかったからです。観衆に圧倒され、緊張して体調を崩しました。しかし、徐々に雰囲気に慣れ、大観衆の目前で泳げることを「幸せだ」と思えるようになったのです。その結果、Bファイナルの順位決定戦でベストタイム(日本高校記録)を出し、16位となりました。体調は相変わらず最低でしたが、気持ちの高揚がベスト記録の更新につながり、「気力だけでいけるんだ!」と実感した貴重な体験でした。

その後、男子100m背泳ぎでもBファイナルに進出し、日本新記録で11位となりましたが、個人ではメダルには絡めませんでした。しかし、4×100mメドレーリレーでは、予選でイタリアが引継違反で失格となり、8番でAファイナル決勝に残っていました。この決勝に出場した経験は、その後の私に大きく影響したのです。

AファイナルとBファイナルは、天と地ほどの差がありました。世界中の注目を全身で感じ、鳥肌が立ったのを覚えています。もちろん、プレッシャーはありました。リレーの第一泳者だった私に、「おまえが遅いと、俺たちのやる気が出ないからな」とチームメイトはさらに追い打ちをかけてきました。しかし、私がそんなことに負けない男であることを見抜いていたんでしょう。プレッシャーが楽しみに変わり、その楽しみを自分の力に変える幸せを感じたのです。命がけで準備してきた人間は、「全力を出すのみ」と開き直れるのです。逆に、妥協しながらやってきた人は不安が募ってつぶれてしまうでしょう。つまり、勝負の前に一瞬にして、オリンピックまでの道のりを問われてしまうわけです。

結果は、日本は引継違反で失格し、8位内入賞も出来ませんでした。しかし私は、当時アジア人では初めての57秒台というベスト記録を出しました。17歳という若さで怖いもの知らずの性格もありましたが、スポーツ選手として本物の勝負を味わった経験は、大きな財産となりました。

メダル獲得宣言からの出発

当時は今と全く違い、頑張ることが恥ずかしい時代でした。日本ではいろいろな場面で人と同じことをしなければなりませんでした。それが自分にとって非常につらかったですね。

オリンピックを目標にする選手と、高校の大会や大学の大会で1番を目指す選手とでは目標が違いますからトレーニング内容も違って当然のはずなのに、同じことをやっていないと居心地が悪い。自分とは次元が違う人たちと一緒に練習しながら、それに流されそうな自分に違和感ととまどいを感じていました。「他人とは違う自分を本当に認めていいのだろうか。それを表に出してしまって、他人から何か言われることに耐えられるだろうか」とずっと迷っていました。しかし、「次のソウルでメダルを獲ります」と宣言してから楽になったのです。

「メダルを獲る」なんて言うと「頭がおかしい」「無理に決まっている」と言われた時代です。実際には大変な逆風でした。ただ、自分は一度世界で戦った経験があり、世界のレベルを肌で知っているので、メダル獲得への映像やイメージがどんどん膨らんでいました。実際に自分が戦えるレベルかどうかを確信しているからこそ、具体的な目標が見えてきました。

感動と興奮の記憶をもう一度

現在のように国際大会が頻繁になかった当時、スポーツ番組もなく、メディアにも取り上げられず、ロサンゼルス大会の翌年からは空白みたいなものでした。試合以外で活躍する場所がほとんどないスポーツ選手は、次のオリンピックまでの4年間、モチベーションを維持するのが非常に困難でした。メンタルトレーニングなどない時代でしたから、自分たちの体験を通じて積み上げていくしかありませんでした。

腰痛で寝たきりになった時は、本気で水泳をやめようと思いましたね。水泳を続けるために順天堂大学に入学しましたが、水泳をやめるならこの大学にいる意味がないと思い、他大学受験のために寝たきりのまま受験勉強を始めました。その時、あるスポーツ選手のケガとの闘いに関する本を読み、どんなに強い選手でも同じような経験を乗り越えてきたことを知ったのです。それをきっかけに気持ちに余裕が出てきました。もう1度チャレンジしようと言う気持ちがフツフツとわき上がってくるのと同時に、ロサンゼルスの決勝で味わった感動や興奮が蘇ってきたのです。「もう一度あの感動や興奮を味わいたい!」というのは、人間としての根元的な欲求なのでしょう。特に、オリンピックでの感動と興奮は、年を重ねると共にその貴重さをより深く理解できたのです。

ロサンゼルスの土台がソウルの結果を生んだ

1988年のソウルオリンピック 100m背泳ぎで金メダルが決定した瞬間、ガッツポーズをとる鈴木大地選手。(写真提供:アフロスポーツ)
1988年のソウルオリンピック・100m背泳ぎで金メダルが決定した瞬間、ガッツポーズをとる鈴木大地選手。(写真提供:アフロスポーツ)

1988年のソウルオリンピックでは、冷静に自分の力が発揮できたと思います。ロサンゼルスでは緊張も感動もすべて初めての体験で、それらを自分のなかで調整することはできませんでした。まだ高校生で17歳という若さでしたから当然のことかもしれません。しかし、1回目のオリンピックで最高峰の試合を味わった経験があったからこそ、次のオリンピックまでの4年間「絶対に妥協はできない」という気持ちでトレーニングを続けることができたのです。コーチを信頼し、十分な作戦を練りましたが、最終的に泳ぐのは自分ですし、自分に自信がないと戦えません。世界基準のものさしがあったから、それに向かって妥協せずに積み重ねることができたのだと思います。その積み重ねの結果がソウルでの金メダルです。私の中では、「1回目のオリンピックで味わったことを2回目に実現しただけ」というシンプルなストーリーでした。ロサンゼルスのリレーで、みんなで力を合わせて決勝に出た経験が、次の目標を導いたのです。

私の場合、「最初は出るだけのオリンピック、次は金メダルを獲ったオリンピック、3回目は出場もできなかったオリンピック」の3つを経験しました。この経験の過程で、様々な感情を味わえたことに大変感謝しています。経験を通して沸き上がる多種多様な感情こそが、人を作り育てるのだと思います。その感情に真剣に向き合って、自ら答えを探しながら一歩一歩進んでいくことからこそ、次の人生のステージが開けるのだと思います。1ランク上に行く時には、挫折も必要です。真っ直ぐに上り調子でいくより、挫折という停滞期に力を溜め込んでから上昇する方が、確実にグレードアップしていきます。若い頃、死ぬ気でトレーニングしていれば、最大限実力を発揮しても、挫折しても、結果がどう出ようと得られるものは大きいはずです。若い人には、常に全身でぶつかっていってほしいですね。

天才でも根性がないと勝てない

私は、さらっと金メダルが獲れたとよく誤解されるのですが、実際には手に水かきができるまで練習しました。少し才能があるだけでは決してメダルを獲ることはできません。たとえ天才だったとしても、今は努力しないと勝てない時代です。才能があっても、日々の積み重ね無しに結果が出るとは思えません。

「メダル獲得のために重要なことは」と尋ねられれば、「根性と努力」と答えますね。毎日毎日、練習するのは嫌ですし、眠いのに朝起きることも、朝冷たいプールに飛び込むのにも勇気が必要です。もちろん、夢を持つことは大事ですが、その夢を実現するための”努力”と”根性”は絶対に必要です。「トレーニング=修行」だと思います。真剣に修行を積み重ねているうちに新たなことを学び、新しい気づきがあり、それが次の目標につながっていくのです。

現在、順天堂大学で教鞭をとっていますが、選手を育成する研究はとても幅広く興味深いものばかりです。朝4時からの朝練の参加、ウォーミングアップのメニューや練習強度の考案、海外論文の読解から経営的なことまで、すべてが競技力向上のための研究です。その他にも様々なプロジェクトを同時進行させながら、まだまだやりたいことがたくさんあり、目標に向かって一歩一歩進んでいます。自分の体験は選手の育成に役立つと思いますが、それだけでは充分とは言えません。私が体験しなかったことも含めて様々な視点で選手育成の研究を続けていきたいと考えています。

「オレは将来、大物になる」。これが小さい頃の口癖でした。そう言っては、よく親戚にからかわれていたそうです。しかし、子どもの頃から自分を信じて夢に向かって努力することは、とても大切だと思います。素直に目標に向かって前進している時には、自分のやるべき方向に気づくものですし、自分で気づいたことには素直に頑張れるものです。

大切なことは、「目標を高く持つ」ことです。大きな目標があれば、どんな問題に直面しても真剣に向き合っていると必ず方向性が見えてきます。若い人たちは、失敗や挫折を恐れず、大きな目標に向かって貪欲に挑戦していって欲しいと思います。

鈴木大地
鈴木大地(すずき だいち)
1967年生まれ。千葉県出身。
1988年ソウルオリンピック100m背泳ぎ金メダリスト。バサロ泳法で有名。現在は、順天堂大学准教授(医学博士)、同水泳部監督だけでなく、JOCアスリート専門委員会副委員長、日本水泳連盟競泳委員会委員、世界オリンピアン協会(WOA)理事である。


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