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オリンピアンズ・ストーリー

オリンピアンズ・ストーリー

プレイトゥルーの輪を広げる活動の一環として、さまざまな取り組みを行っている田辺陽子さん。今回は、現役アスリートがどの程度アンチ・ドーピングについての認識や意識を持っているのか、これから行う講習会のプログラムをどう構成するのかを決めていくために行った、勉強会の話を含めてお届けします。

- アスリートとアンチ・ドーピング -

「自分には関係ない」から
「意外と身近な問題」という認識に

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「アンチドーピングガイドブック2005」
(JADA発行)より

先日、(財)日本アンチ・ドーピング機構(JADA)の教育・啓蒙活動で、今後の講習会などのプログラム作りのためのテストケースとして、日本大学・女子柔道部の学生を対象に、「今なぜアンチ・ドーピング活動が必要なのか」というテーマで、勉強会を行いました。こういった勉強会は2回目ですが、1回目はフェンシングの全日本の選手を対象に、JADAの浅川伸事務局次長だけで行ったので、私にとっては初の試みでした。

現在JADAでは、JOCの強化指定選手1500〜1600名に、毎年ガイドブックと禁止リストの対訳版を送っています。結構わかりやすく書かれている冊子ですが、これは強化指定選手向けで、そのレベルの選手以外は、自分から情報を求めに来ることはないでしょうから、やはり講習会などでアンチ・ドーピングについての認識やムーブメントを広く知らせる必要を痛感しています。

今回のテストケースでは、最初にプロジェクターを使って「アンチ・ドーピング・ムーブメント」「国内アンチ・ドーピング体制」「ドーピング検査」「規則違反に対する罰則」「陽性が疑われる分析結果」「アンチ・ドーピング活動の本質/目的」など一通りの説明をし、その後は質疑応答とディスカッションの時間にしました。

勉強会の様子集まってくれた学生の中には、アンチ・ドーピングという言葉に慣れている人、そうでない人と、レベルによってさまざまです。でも講習が進むにつれて「なんだかむずかしい」「すごく大変そう」という雰囲気になりました。ジュニアの時代にアンチ・ドーピングの話にふれてないから、大学生になって初めて話を聞くと驚いてしまうようです。

「自分はしないんだから大丈夫」と思っていた学生が、一般の処方薬にも禁止薬物が入っていることがあると知り驚いたり、万が一知らないで違反したらどうしようと気が重く感じたりと、今まではドーピング問題と関わりのない次元にいたので、細かく知るうちにあれもこれもだめなのだ、というように感じたようです。
またWADA(世界アンチ・ドーピング機構)やJADAなどの略語の説明を最初にしましたが、言葉がむずかしいという意見も出ました。例えばTUEは「治療目的使用の適用措置」という意味ですが、弁護士さんが中心で規定の本を作成しているので、むずかしい言葉が多いのです。そういう点も、これから工夫が必要かもしれません。

スポーツに関わるすべての人に、
アンチ・ドーピングの意識を高めてもらうためには

勉強会の様子講習の内容については、対象によって変える必要があります。今回のテストケースも参考にして、どの層にはどんなカリキュラムがいいのか、詰めていきますが、まずはジュニアの強化選手とトップアスリートとその中間に向けたトライアルをしていく予定で、それぞれの層にマッチした情報提供を正確にすることが大事です。例えば高校生対象の時に居場所情報の話はいらないでしょうし、ジュニアに対しては、陽性反応が出たときの制裁措置が一生涯に渡る出場停止という罰則の話もいりません。でも、現役選手には必要です。

浅川さんの話によると、アテネオリンピックでのハンマー投の一件が、日本人がアンチ・ドーピングに積極的にならないといけないと気づかせるきっかけになったそうです。あの件は、まじめにやっていた人がバカを見る、ということで終わりとはなりませんでした。それはドーピングに関するルールの包囲網があったから、違反が疑われる選手のあぶり出しができたわけです。

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アテネオリンピックでのドーピング検査の様子
Photo:Getty Images/AFLO

ドーピング検査には費用がとてもかかるので、JADAとしては限られたお金で効率的に検査を実施したいし、日本選手はクリーンだということを間接的にアピールしたいので、いろいろな選手に検査をするほうがいいのです。前回も書きましたが、抜き打ち検査はそんなにびくびくするものではありません。でも、学生に「抜き打ち」というといいイメージがありせん、と言われてしまいました。そういえばよくないかもしれません。ただ、検査はあくまでも手段であり、そうさせないことが大事。そのための教育なのです。

WADAが行っているアウトリーチプログラムには、メジャーなイベントのあるところにブースを設けて、ポスターなどの掲示とともにパソコン上でドーピングクイズができるようになっています。10問くらいの簡単な設問で、正解が多いとノベルティがもらえます。日本語版も近日中にできるので、甲子園や花園ラグビー場など、多くの選手やコーチが入れ替わり立ち替わり集まる場所で、自分の試合までの空いた時間に実際にふれてもらって、意識を高めて帰ってもらう、そういうことを日本でも今後やっていこうと考えています。

選手自らが活動に参加したいと思えるような
ムーブメントを作りたい

講習会で使用するテキスト制作など、やることはたくさんありますが、まずは講習のプログラムを煮詰めていく必要があります。緊急にやらなくてはならないのが、トップアスリート向け。基本的なことはすでに知っているので、今回の勉強会とは違うレベルのプログラムを作る必要があります。

また、トップアスリートには、年1回のJOCの強化指定選手の健康診断のときに、講習を組み込もうと考えています。それを受けないと、強化指定選手の認定をもらえないという制限を付けてもいいでしょう。これは海外ではすでに行われていて、公的助成金をもらうにあたって年に1回アンチ・ドーピングの講習を受けることを課すルールを作っているわけです。

イギリスでは、クリーンなアクティビティに積極的に参加している選手にはマスコミの評価が高くて、スポンサーが付きやすいので、引退した後もいろいろなアクティビティから声がかかります。それをアスリートもわかっているので、クリーンなイメージを身につけることに積極的な人もいます。浅川さんの話では、アテネオリンピック直後に、イギリスの14人の選手に私のような活動をしてほしいとオファーしたところ、13人が無報酬でやらせていただきますと快諾してくれたと聞いています。全員が活躍している選手で、メダリストもいるそうです。

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アテネオリンピックでのドーピング検査の様子
Photo:Getty Images/AFLO

私自身も、WADAの委員会に海外の現役選手が来て、会議の合間を縫ってトレーニングしたりしているのを見て、不思議な感じがしました。日本では、現役選手がそういう会議に出席するという光景はまずないので、そこから遅れているな、と実感しました。だから日本でも、外国のように何かメリットがあるといいのかなとも思います。多分日本人選手は、何もやっていないのですから、わざわざクリーンであることをアピールしなくても、という気持ちがあるのかもしれません。

今後は、選手たちが自ら動きたいと思えるようなムーブメントを盛り上げていくことが、きっかけになるでしょう。そうすれば、プレイトゥルーの輪を広げていく活動の一員に自分たちもなったのだ、と思えるはずです。そのためにはどんな方法がいいのか、毎日模索している状態です。講習を聞いてくれた選手にあげるTシャツを作ろうかと思っているのですが、色やデザインなど学生たちに話を聞いて、いろいろなアイデアが出ているので、これもまた模索中です。年齢性別問わずに「その活動に参加しているよ」と表明できるようなものを考えたいのです。急激に広がるムーブメントではなくて、いくつかの小さな輪が徐々ににじんで大きく広がっていくような活動にしていくのが理想的ですね。


田辺陽子
田辺陽子(たなべようこ)
1966年(昭和41年)東京都出身。日本大学卒業。1992年バルセロナ大会と1996年アトランタ大会の柔道女子72kg級に出場し、両大会で銀メダルを獲得。
現在日本大学法学部講師、日本大学柔道部女子監督。
日本オリンピック委員会評議員、アスリート専門委員会委員、女性スポーツ専門委員会委員、アンチ・ドーピング委員会副委員長。
日本オリンピアンズ協会理事/日本アンチ・ドーピング機構理事/世界アンチ・ドーピング機構アスリート委員会委員