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オリンピアンズ・ストーリー

オリンピアンズ・ストーリー

この企画は、日本代表としてオリンピックに参加したオリンピアンに、得意分野のお話をご執筆いただくページです。
第4回は1988年にカルガリーで行われた第15回オリンピック冬季競技大会にフィギュアスケートに出場した八木沼純子さん。アマチュア選手引退後は報道に関わる仕事を多数経験されている八木沼さんから「スポーツと報道」についてのストーリーをお届けします。

- スポーツと報道 -

今の選手は取材の受け方が上手

私がオリンピックに出場したのは1988年のカルガリー冬季オリンピックで、中学3年生でした。中学生が選ばれたのは28年ぶりということもあり、注目して頂いたのは嬉しいことでしたが、日本代表に選ばれるまで取材を受けたことはもちろんありますが、オリンピック代表選考会でのもの凄い数の記者の方を前に話すことは初めてでした。報道陣に対しての対応はうまくできなかったと思います。例えば試合や練習の時に近くでカメラが回っているだけで集中力を失い、正直なところ「勘弁して欲しい」と思ったこともありました。

こんな経験をしていましたので、アマチュア選手を引退してからテレビのニュース番組でスポーツ報道に携わったときにずいぶん悩みました。

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1998年カルガリー冬季オリンピックより(写真提供:フォート・キシモト)

取材をしていても、この選手は今、話しかけられたくないだろうなと考えてしまいます。しかし視聴者はその選手のコメントを聞きたがっています。「どうしたら選手の妨げにならずにインタビューすることができるのだろう」と本当に考えさせられました。

でも今の選手はメディアとの付き合いかたがとても上手です。私が現役だった頃ならば、カメラを向けられても“プイッ”と顔をそむけてしまうところを、嫌な顔をせず、インタビューの受け答えも若手のジュニア選手のうちからしっかりとしたコメントを伝えることが出来ています。

選手の中には注目されることによって自分のモチベーションをあげて、うまく成績をあげている人もいますから、今の選手たちはしっかりしているな、と思います。私自身、メディアの方々とのやり取りなど、頭の中でうまく切り替えることが出来ていれば、試合で集中する方法もまた違う形になっていたかもしれません。

取材相手に教えられたインタビュー方法

1995年10月から3年半、テレビ局のニュース番組でスポーツコーナーを担当し、また夏季・冬季あわせて3回オリンピックの取材に行かせて頂きましたが、私自身がオリンピックに出場した経験は少なからず活かされたと思っています。

オリンピックのような大きな大会を経験した人間が取材することで、選手とのコミュニケーションは取りやすかったかもしれません。しかしスポーツキャスターをはじめたころの取材はかなり苦労しました。

アマチュア現役時代は質問されたことに対して答えを返していただけなので、インタビュアーの質問の仕方について、“この人面白いことを聞くなあ”とか“こういう質問の仕方ってあるんだ”といった疑問を感じたことはありませんでした。

スポーツキャスターとして最初の頃は、試合が終わった後でも“今日の調子はいかがでしたか?”といった具合にマニュアルのようなインタビューだけで、3問ぐらいの質問で終わってしまうことも多くありました。でも、聞き手としてはそこから話を広げることが大切です。

いろいろな選手やコーチ、監督とお目にかかりお話することで、マニュアル通りではなく、時には変化球、時にはストレートといった具合にいろいろな取材、インタビュー方法があるのだと学びました。フィギュアスケートの試合も、場数を踏んで技術も上達し、自分自身も強くなっていくわけですから、取材もいろんな方とお会いすることによって、自分の引き出しが増えていくのだと感じました。

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1995年世界選手権より
(写真提供:アフロスポーツ)

ニュース番組のスポーツコーナーのキャスターを2年ほど経験した頃から、少しずつ自分の取材スタイルが確立されてきました。例えば自分がおかしな質問をしたな、と感じても、怖がらずに核心をついた話を聞けるようになったのがちょうどこの頃だったと思います。

しかし選手の中にはマスコミ嫌いの人もいます。私自身がマスコミを苦手としていましたから、正直、そういう選手の気持ちはわかるのです。
テレビは秒単位の世界ですし、取材したコメントがすべて使われるわけではありません。特にニュース番組はニュースが第一ですから、大きな事件や事故などが起こった場合はスポーツコーナーが短縮されることもあります。今、メディアの仕事をしているからこそ分かる事情ですが、アマチュア選手だった頃はインタビューで話したことが全部使われないのならば、長々と話してもムダだと思ったこともありました。でもそれは仕方のないことなのです。ですから限られた時間の中で視聴者が聞きたい選手のコメントをどう引き出すか、そのためにはあえて単刀直入に聞いたほうがいいこともありました。
わずか2、3分という限られたVTR内の特集で伝えられなかったことはスタジオで私が補足することもあります。選手が言いたかったことをVTRに全て収めることが難しい時もありますから。伝える側になって、時間との戦いの中で何を視聴者に知ってもらいたいのかをはっきり伝えることの大切さも学びました。

報道とアイスショーの共通点

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プリンスアイスワールド2005より(写真提供:フォート・キシモト))

アマチュアを引退してから10年間、ずっとプロのスケーターとしてアイスショーに出演していますが、テレビの報道に携わっていたころとリンクすることが多いと思います。

アマチュアは自分のために練習して、大きな大会で成果を出すことに集中しますが、エンターテインメント性の高いプロのスケーターたちによるアイスショーは、約40名のスケーターたちと音響、小道具、大道具など裏方の人たちとが一丸となってひとつのショーを作り上げていきます。これはテレビのニュース番組も同じです。

1人欠けても番組は成立しない。全員が揃ってようやく1つの番組が完成するのだと感じるようになってから、多くのスタッフの方たちが、それぞれの力を精一杯出し切って支えてくれているからこそ自分たちが滑れるのだと思うようになりました。


八木沼純子
八木沼純子(やぎぬまじゅんこ)
1973年4月1日生まれ 東京都出身 早稲田大学教育学部卒業 1988年世界ジュニア選手権大会2位 1988年カルガリー冬季オリンピック大会出場 1993年アジアカップ優勝 1994年NHK杯国際フィギュアスケート大会3位 1995年3月の世界フィギュアスケート選手権を最後にアマチュア引退。プロスケーターとして活躍するかたわら、1995年10月よりフジテレビ FNNスーパータイム、FNNザ・ヒューマン、スーパーニュースのスポーツキャスターを3年務めた。現在もスポーツキャスター、コメンテーターとしてテレビ、ラジオに出演、スポーツ誌に執筆するなど幅広く活躍中。