東京オリンピック1964

東京オリンピックが残したもの

東京オリンピックが残したもの(3)

 体操でもジュニアのためのクラブが全国組織に発展、やがてクラブ出身者がオリンピック代表に名を連ねるようになりました。オリンピックをきっかけに経済の高度成長時代が始まり、その波に乗って企業が中高年や女性をターゲットにした多目的なトレーニングクラブ経営に進出する例も目立つようになりました。

 異色はママさんバレー。オリンピックの東洋の魔女に感激した家庭の婦人がPTAを基盤に9人制バレーボールを始めたのがきっかけで、あっという間に全国にチームが誕生。『全国家庭婦人連盟』を結成し、全国大会まで始め、審判の資格などを取って日本バレーボール協会の事業をサポートする人も続出しました。

宿敵ソビエトを破り、見事金メダルを獲得した東洋の魔女。この後、ママさんバレーが全国に拡がる。
 日本のスポーツはそれまで学校の部活や体育会を中心に進んできましたが、東京オリンピックが転機となって、民間人による、民間人のためのスポーツ活動、いわゆる社会体育の扉が開かれたのでした。

 もう一つ忘れられないのは、日本リーグの誕生です。当時サッカーはアマチュアしかオリンピックに出られませんでした。その中でも日本のサッカーは、まだマイナーな存在で、東京オリンピックでは強豪のアルゼンチンを破り7位になりましたが、たいして注目されませんでした。しかし、これに勇気を得た関係者は欧州や南米並みに日本にもプロ・リーグが誕生し、ワールドカップで大活躍する日の到来を夢見て、そのためにサッカーをポピュラーにし、併せてトップレベルのチーム、選手の強化を図るべく、実業団8チームによる日本リーグ発足に踏み切ったのです。オリンピック翌年6月のことで、サッカー担当記者有志なども陰の力で協力しました。これが今日のJリーグの源流といってよいでしょう。

 この新しいシステムには他の競技も敏感に反応しました。折から、右肩上がりの経済が加速を始めた時期というタイミングのよさもあり、有力選手を抱えた企業チーム自体も積極的となったため、バレーボール、バスケットボールを始め、バドミントンのような個人競技まで、10指に余るスポーツが日本リーグ結成に踏み切りました。メディアもこの傾向を歓迎。全日本選手権に準じる扱いをしました。このため、のちには日本リーグが増え過ぎ、逆に扱いを小さくしなければならなくなった、などの悲喜劇も生まれました。外国人選手や指導者の参入など「自由化」も始まり、外国人の投入は日本の強化につながらない等の議論も起こりました。バブル経済の破綻で、企業のスポーツからの撤退が始まるまで、東京オリンピックから約4半世紀にわたり、日本リーグは国内トップスポーツの前進を支える大きな力となりました。

東京オリンピック閉会式より。大きな感動とともに、スポーツをする喜びを日本中に伝えた。
文:後藤忠弘
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