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TEAM JAPAN DIARY

国際総合競技大会

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2010/11/26

リオデジャネイロオリンピック新競技、ラグビーフットボール男子で金メダル、ゴルフ女子団体は4位

■ラグビーフットボール男子7人制は「世界への第一歩になる」金メダル

 

2016年リオデジャネイロオリンピックでの採用が決まった男女のラグビーフットボールの7人制。15人制が80分(40分ハーフ)で行われるのに対し、7人制は、14分(7分ハーフ)と決勝は20分(10分ハーフ)で行われます。日本ラグビーフットボール協会は2009年11月から、身体能力に秀でた若手選手を発掘・育成する「セブンズアカデミー」を開催し、本格的な強化をスタート。そしてリオデジャネイロへの第一歩として、広州アジア大会を位置づけてきました。

 

前回ドーハ大会で優勝している男子7人制は、連覇が期待されました。決勝のホンコン・チャイナは、後半4分すぎ築城昌拓選手が退場になり、一度は同点にされましたが、6が結束した防御をみせ逆転を許しません。7分に長友泰憲選手が決勝トライを決めると、28-15で韓国を制しました。

 

前回ドーハ大会の優勝を経験している築城選手は「今までと価値が違う。子どもたちがオリンピックを目指す基礎をつくらないといけない」と話し、村田監督は「このアジアでの金メダルは、世界への第一歩になる」とアジア王者の座を勝ち取った喜びをかみしめました。

 Tr2010112300839 優勝し喜ぶラグビーフットボール男子7人制のメンバー(共同)

  Tr2010112300736 決勝前半にトライを決めた築城選手(左)(共同)

 
 

■新種目 ラグビーフットボール女子7人制は新たなスタート

 

また女子7人制は、リオデジャネイロでの採用だけでなく、この広州アジア大会でも新種目となりました。

 

初戦のシンガポール戦は、7-7で迎えた後半5鈴木彩香主将山口真理恵選手にラストパスを出し、勝ち越しトライ。19-12で逆転勝ちを収めました。しかし準々決勝ではホンコン・チャイナに14-19で惜敗。鈴木主将は「初めての大きな舞台。チームとしてのもろさが出てしまった」と悔やみました。5〜8位決定戦では、インドに46-0、シンガポールに31-0と圧勝し、5位が確定しました。

 

日本の女子の競技人口は1000人程度と少なく、日本ラグビーフットボール協会の「セブンズアカデミー」では、他競技からの転向者の発掘も含め、まだ強化は始まったばかりです。6年後のリオデジャネイロに向け、アジアの強さをまずは肌で感じることで、女子セブンズが新たな一歩を記しました。

 Tr2010112300660 インドとの5位決定戦に挑む女子セブンズ(共同)

 Tr2010112100731 シンガポール戦で積極的に攻める鈴木主将(右)(共同)

 
 

■ゴルフ 女子団体が4位と惜敗、初日3位の比嘉真美子選手は8位

 

ゴルフもリオデジャネイロからの採用となり、注目が集まりました。初日には、女子個人で比嘉真美子選手が1アンダーで首位に2打差の3位につけたものの、最終結果は8位。また女子団体は通算10オーバーで、3のチャイニーズ・タイペイ1打差の4と、メダルまであと一歩でした男子団体は6位、男子個人では小平智選手7位が最高でした

 Tr2010111700707 比嘉選手(共同)

 Tr2010111700714 小平選手(共同)

 

2010/11/25

ホッケー女子 ロンドンオリンピック出場権獲得ならずも、意味のある銅メダル

文・折山淑美

 

「今日は本当は10点以上取ることを目標にしてやったけど、立ち上がりでなかなか得点できなかったのがいけませんでしたね」20日のホッケー女子、対タイ戦。80で圧勝しながらも、ポイントゲッター千葉香織選手の表情には喜びはなかった。前日の対中国戦は13で敗れた日本にとって、この試合は大切なものになっていたのだ。それは勝ち負けではなく、何点差をつけて勝つかということだった。

 

ホッケー女子はこの大会の結果に、2012年ロンドンオリンピックの出場権がかかっていた。前回のドーハ大会では中国に次ぐ2位だったが、出場を獲得して北京へと駒を進めたのだ。今回も当然、目標はそれしかなかった。

 

その出場も、大会前には1枠と言われていたが、広州入りしてから2枠になったという朗報が届いた。優勝しなければいけない条件から、決勝へ進出すればロンドンへの切符が手に入ることになったのだ。そのためには、7カ国総当たりで戦う予選リーグを2位以内で通過しなければいけない。1位と2決勝へ進出できるが、3位になれば4位との銅メダルマッチにしか進出できないからだ。

 

中国戦を終えた時点で日本は3位。翌日の中国対韓国戦の結果も重要だが、ともに全勝ながら得失点差で2位になっている韓国との得失点差は9点。リーグ戦最後の韓国戦を前に、得失点差で韓国に並んでおきたい。そのラストチャンスが、この対戦での大量得点だった。

 

だが試合では点を取らなければという気持ちが空回りし、終始攻め込みながらも初得点は開始20分までなく、前半は2点しか取れなかった。後半は怒濤の攻めで80までにしたが、得点のチャンスであるペナルティーコーナーを18回もらいながら、4回しかゴールを割れなかったという数字が、その戦いぶりを表していた。ディフェンダーながら積極的に攻撃参加していた小野真由美選手も、「立ち上がりは平常心でやっていたつもりだったけど焦りがあったかもしれない。相手が(攻撃を)く展開に持っていったのでやりにくくなり、攻撃のリズムが作れませんでした」と反省する。

 Tr2010112000719 タイ戦でシュートを放つ千葉選手(下)(共同)

  

安田善郎監督はこう言う。「あんなゲームではダメですね、相手が引いているのに何もできない。攻撃でもゴール前で短いパスを使って21を作るようにしていけばいいが、点が入らないから焦ってしまって戦術のないプレーをしてしまっていた。ペナルティーコーナーでも、相手が集まっている真ん中へ打ち込むだけになって。後半にはポイントをずらして得点をしたけど、もう少し工夫しなければダメですね」

 

前日の中国戦で主力のひとりである三浦恵子選手がアキレス腱を断裂してしまったほか、けが人多いというチーム事情もある。だが千葉選手は「中国との試合でも前半でポンポンポンと3失点してしまったけど、それ以外は自分達のプレーが出来ていたし、内容的には負けているとは思えなかった。敗れはしたけど、みんなも前向きの気持ちでいます」と話した。

 

北京へ向けて日本女子チームは実績を積み上げ、世界とも戦える力をつけてきた。北京では10位に終わったが、チームを率いた恩田昌史監督は当時、「10位だったけど、すべてが紙一重の試合だった。結果は出せなかったが、それまでの4年間で世界と戦えるまでになった自信は選手の心の中にも残るはずだ」と話した。その自信は、新生日本代表チームに残っている、北京代表組がしっかりと伝えようとしている。北京でもエースだった千葉選手は「北京で得た自信もある。若い人中心のチームになってまだまだ経験は足りないが、私たちがやってきたことは伝わっていくはず」と期待を込める。

 

キャプテンの山由佳選手は韓国戦に向け、「まだ調子が上がって無いからつけ込むはあると思う」と話した。安田監督も「スタミナは後半になるとガタっと落ちているから、前半で出来るだけ競って後半勝負をかければ勝てる」とゲームプランを語った。

 

22日の対韓国戦。たなければいけない日本は最初から仕掛けてゴールを狙った。だが韓国の守りは固く、前半は00で終わった。後半に入ると開始6分に韓国は、最初のペナルティーコーナーのチャンスを生かしてリードした。それからも日本は攻め続けたが、焦りもあってペナルティーコーナーを得ても得点に結びつかず。逆に終了5分前に隙を突かれダメ押しの得点を与えてしまった。02での敗戦。安田監督は「韓国の方が上だった。技量とパワーで勝っていて、点を取ることを知っている。日本選手は最後のところで余裕がなかった」と敗戦の弁を語った。

 Tr2010112200744 韓国戦で攻める永山選手加奈選手(共同)

 

目標だったオリンピック出場を取れなかった日本チーム。24日にはインドとの3位決定戦に臨んだ。攻め込むことが多い展開ながら、なかなか得点を決められずに延長入り。7分間のピリオドの残り39秒で、「ペナルティーコーナーを取ったらこうしようと監督から言われてた」というパターンで眞鍋敬子選手がペナルティーコーナーからゴールを決めて勝利をつかんだ

 

山本選手は「ここで表彰台に上がると上がらないでは気持ちの問題違う。それに次のオリンピック(最終)予選のシード順位にも関係するから、ここでインドに勝っておく必要があった」と話す。

 

この試合が日本代表最後の試合のつもりだったから、勝ててうれしいと話す小野選手は「今回も証明したように、アジアのトップとは互角にできているから、最後の最後で得点を取れる決定力をつけるのが課題。若いチームだけど、それは身につけてくれるはず」と今後のチームに期待する。またエースの千葉選手は、「若い選手が多いので可能性はある。まだ最終予選までは1年半あるのでこの悔しさを忘れずにぜひとも勝ちたい」と決意を語った。

 

安田監督も「こういう厳しい戦いの中でメダルを獲ることで、個人の意欲も高まる。そういうのが大事なんです」と、若い選手たちが経験を積めたことが最大の収穫だという。アジア大会を終え、選手たちの気持ちは2012年の5月から6月にかけて岐阜県で開催予定の、ロンドンオリンピック最終予選へと向かい始めた。

 Tr2010112400720 インドを下し喜ぶホッケー女子のメンバー(共同)

 

2010/11/24

フェンシング 太田は力を証明する銅、新星・中野は女子初メダル

文・折山淑美

 

■太田雄貴選手、疲労のなかで掴んだ銅メダル

 

「不甲斐ない試合をしてたから、1ゲーム目が終わったらオレグコーチに引っぱたいてもらおうと思っていたんです」太田雄貴選手はそう言って苦笑した。大会9日目のフェンシング男子フルーレ個人。太田選手がいうのは決勝トーナメントの初戦、ベスト16でイランのタディ・ジャバド・レザエイ選手と戦った試合だ。相手は格下で簡単にリードしたが、なかなか突き放せない。体の動きもキレも悪く、何とか技術でかわしているだけのような展開。なかなか気持ちが盛り上がって来ないことにイラついた太田選手は、オレグ・マェイチュクコーチに叩いてもらい、気合を入れ直そうと思ったのだ。

 Tr2010112000831 銅メダルとなった太田選手(右から2番目)(共同) 

 
 

結局、最初の3分間の第1ピリオドで決着がついてその事態は避けられたが、相手に8点も取られる不満だらけの試合だった。だがそれは無理もない状況でもあった。北京オリンピックで銀メダルを獲ってから、彼が次の目標にしたのはフェンシングの本場、フランスのパリで開催される世界選手権で優勝することだった。今年はそれ一本に狙いを絞り込んでいたともいえる。

 

その世界選手権はアジア大会開幕の前日である11日に団体戦が終わったばかり、パリから帰国してそれから広州入りした疲労に加え、個人、団体とも銅メダルを獲得して精神的にも一息ついていた。その気持ちを僅かな日々で建て直すのは、至難の技だった

 

その影響は午前中に行われた4グループに別れて総当たりで戦うプール戦でも現れていた。世界ランキング2位の太田選手にしてみれば56位と格下の張小倫選手(ホンコン・チャイナ)との5本勝負の試合で、30とリードしながら逆転負けしていたのだ。

 

フェンシングのW杯や世界選手権では、世界ランキング上位の16選手はシードされ、17位以下がプール戦を戦って順位をけ、その順位で決勝トーナメントの組み合わせが決められる。だがアジア大会は全員プール戦を戦い、その順位で組み合わせが決まるシステムだった。そのため5位になった彼は、ベスト8で09年世界選手権2位の朱俊選手(中国)と、準決勝で北京オリンピックでも接戦となった崔乗哲選手(韓国)と対戦する厳しい組み合わせになったのだ。

 

初戦が終わった後、オレグコーチにはすごい勢いで説教されましたよ。でもそのお蔭で何とか気持ちも盛り上げられたから本当に彼には感謝してますね」そう話す太田の2試合目の朱選手との試合は、第2ピリオドまではなかなか互いに仕掛けない神経戦となった。相手が出るのを待つことは、攻める時以上に体力を使うという。だが第3ピリオドに連続得点を獲得して突き放すと、15対10で勝利して準決勝進出を決めた。

 

本当に疲れたけど、あんな接戦は久しぶりでしたね。でも逆にいい刺激になったと思うし、これで気持ちも盛り上がってくると思います」太田選手は明るく笑いながら話していた。だが試合では、蓄積された疲労はかなりのものに見えた。その試合でも彼本来の持ち味である柔らかい動きや、相手の意表をつくような自由奔放なフェンシングは影を潜めていたからだ。

 

午後6時過から始まった準決勝。相手の崔選手は序盤、彼の持ち味である攻めのフェンシングをしないで相手の攻撃を待つ作戦に出た。太田選手はそれに誘われてしまったかのように攻撃を仕掛け、その一瞬の隙を突かれてポイントを奪われると、第2ピリオド中盤には27までリードされたのだ。

 

だがそこから攻めのテンポを変えた太田選手は、連続得点奪って逆転。12対10で優位に立って第3ピリオドを迎えた。だが——。「崔選手の動きを見て作戦を変えて逆転するいい展開になったけど、そこから乗り切れなかったですね。第3ピリオドの開始早々に、あまりにも簡単に点を取られたのが悪かった。何か、色々考えてしまっていたんですね」得意の振などの技術を駆使しようとしたが、スピードを上げて突っ込んでくる崔選手の勢いを止められず5連続得点を許し12対15で敗れたのだ。前大会に続く連覇の夢は途絶え、銅メダル獲得が確定した。

 

「あれは崔選手の得意技だけど、それに負けてしまいましたね。正直、気持ちを世界選手権から上手く切り替えられなかったところはあると思います。でも悔しいですね。一生懸命に僕の気持ちを盛り上げてくれたオレグコーチに、勝ってメダルをプレゼントしたかったんですけど」太田選手は悔いを残す表情で話した。

 

だが、世界選手権の準決勝で太田選手に勝って2位になり、団体でも優勝の原動力になった中国の雷声選手(中国)も、準決勝ではランキング56位の張選手(香港)に接戦で敗れて銅メダルに止まった。

 

世界ランキング1位でもあり、地元開催のこの大会へ懸けていた彼でさえ、世界選手権をミッチリと戦い抜いてきた疲労には勝てなかったのだ。その意味でも、太田選手の銅メダル獲得は、彼が自分の仕事をしっかりと果たしたと評価できるだろう。また精神的にも肉体的にも極めてハードな中で、それなりの結果を残せたことは、彼の底力の確かさの証明でもあり、気持ちよくロンドンヘオリンピック向けて踏み出せるきっかけにもなったはずだ。

 Tr2010112000740 悔しそうな氷上を浮かべ太田選手(共同)

 

■中野希望選手が女子エペ個人銀メダル、団体で金、世界へ飛躍するきっかけに

 

そんな太田選手の影に隠れていたが、この日一緒に行われていた女子エペ個人では、中野希望選手が快挙を達成した。プール戦を6位で通過した彼女は、1回戦を15対12、2回戦を15対9で勝ち上がり、すんなりと準決勝進出を決めていたのだ。

 

午後の準決勝、楊翠玲(ホンコン・チャイナ)との戦いでは「格上の選手なので対等に戦ったら勝つ確率が少なくなる」と、守りを固めて僅かな隙をつくだけ戦法で、ロースコアゲームに徹底した。第1ピリオドは10で終わり、第2ピリオドも21で抑える戦い。少し点を取り合った第3ピリオドは55の同点で終え、狙い通りに延長サドンデスの一本勝負に持ち込んだ。そして第4ピリオド開始19秒に得点を獲い、決勝進出を決めたのだ。

 

駱暁娟選手(中国)との決勝も同じ展開に持ち込もうとした。だが相手は世界ランキング12位の強者だった。守りを固める中野選手はジワジワと点を取られ、第3ピリオドでは残り16秒で79と点差を広げられて絶体絶命の危機に。試合再開のたびに飛び込んで行ったが、試合の残り時間の表示が0になった時には10対13で敗戦が確定した。

 Tr2010112000823 決勝でポイントを獲る中野選手(共同)

 
 

それでもアジア大会の女子エペ個人でのメダル獲得は日本史上初。「準々決勝の時は『これで負けたら夕方からはベンチで太田先輩を応援するだけになってしまう。それは嫌だ、一緒に同じ舞台へ上がりたい』と思って頑張りました。格上の選手と決勝、準決勝という舞台で戦えたというすごい経験は出来たけど、終わってみれば金メダルを獲れなかったことが悔しいですね」と爽やかな笑顔で答える。

 

中野選手がフェンシングを始めたのは高校へ入ってから。日本で盛んなフルーレだとジュニア時代からやっている選手が多くて勝てないからエペを選んだと、平気な顔をして言う。そんな彼女が、昨年のユニバーシアード銅メダル獲得に続き、今年は銀メダル獲得という快挙を果たしたのだ。目標はもちろんオリンピックです。でも、日本のエペはまだ負けている時に点を取る力がないから、そこで取りにいける技を身につけなければいけないと思います」とこれからの課題も口にする。

 

その3日後、中野選手はまたもや殊勲をあげた。男子フルーレ団体が世界チャンピオンの中国に敗れて銀メダルとなった直後の試合。女子エペ団体決勝で中国を破って優勝を果たしたのだ。駱選手が最初の1ゲームだけで引っ込んだという幸運もあったが、ポイントゲッターとしてアンカーの前に登場すると、15対17だった得点差を21対21のタイにして、ベテランの池田めぐみ選手につなぎ、奇跡の勝利に貢献した。

 

前回の金メダル獲得で太田選手が世界へ飛び出したように、中野選手もこの2つのメダルを世界への飛躍のきっかけにしてほしい。

 Tr2010112000828 女子エペ個人で銀メダルの中野選手(共同)

 Tr2010112300836 女子エペ団体で優勝した中野選手(左)(共同)

2010/11/24

福島千里が新しいレース展開で100m金、陸上競技の後半戦にも注目

文・折山淑美

 

22日夜の陸上競技女子100m決勝。スタートを切った福島千里選手の2歩目の動きが遅かった。いつものような爆発的な加速が影を潜めたようなスタート。2時間前の決勝と同じように、早い飛び出しをしたグゼル・フビエワ選手(ウズベキスタン)と競り合う展開になり、終盤には僅かにリードされる苦しい状況に追い込まれた。

 Tr2010112200876 女子100m決勝に挑む福島選手(共同)

 

だが彼女は、そんな状況でも力むことはなかった。柔らかな走りを維持し、力が入ったフビエワ選手をゴール前で僅かに差し返す。微妙な差で勝ったかどうかわからなかった福島選手だが、スタンドからウィニングランのための日の丸が投げ込まれたのに気づくと、ホッとしたような笑みを浮かべた。

 

ゴールタイムは11秒33。フビエワ選手を僅か0秒01抑えて、日本女子100m44年ぶりのアジア大会優勝を達成したのだ。「自分のレースをするだけだと思ってスタートラインに立ったけど、走っている時はもう必死でした。ゴールした瞬間は、勝ったのは自分じゃないかなと思ったから、優勝と知った時はすごく嬉しかったですね。自分の力を120%までは出せなかったと思うし、自分の走りも出来なかったと思うけど、そこはもう目をつぶって……。優勝できたのですごく嬉しいです」

 

昨年、同じ競技場で開催されたアジア選手権でも優勝し、ダントツともいえるエントリータイムを持っていた福島選手は、この大会では当然優勝候補の筆頭に上げられていた。競技初日だった21日の予選では、リラックした走りでスンナリと11秒41を出し、期待も膨らんだ。だがこの日の準決勝では、いつものようなスタートからの加速が見られず、不安を感じさせていたのだ。

 

その裏には、広州入りする直前の練習で足首を捻ってしまうというアクシデントが隠ていた。ケガをした直後は落ち込んでいたというが一日一日と立ち直り、レース前日の練習でいける状態だと判断。予選を走って勝負できることをやっと確認したような状況だった。そんな不安を抱えた上に、チーム初の金メダルを期待されるプレッシャーあった。それが準決勝の、おとなし目のスタートになってしまった。さらに決勝でも、左足をかばうような意識が働いたためか、最初に左足を着く2歩目は動きが遅くなったのだろう。

 

そんな状況だったにもかかわらず、厳しいレースで競り勝った。さらにレース展開も、彼女が得意とする先行逃げきりではなく、外国人選手を相手に差し返して勝つという新しい勝ち方をしたことにも意味がある。「体調が8割という状態でも勝てたことに価値があると思います。それに終盤で先行されていたなら硬くなって当然なのに、そこでリラックスして走って差し返すという、新しいレース展開を出来たことも価値があるし、それが成長している証拠だと思います。100%の状態では走れなかったけど、本当に世界で戦えるようになるためには、そういう経験こそ必要なんだと思います」彼女を指導する北海道ハイテクACの中村宏之監督は、そう言って顔を綻ばせた。

 

「リレーに向けて勢いをけたいなと思っていたから、これで役割を果たせました。世界へ向かうにはまずはアジアからと思っているし。この優勝が来年の世界選手権や、再来年のロンドンオリンピックへ向けての良いきっかけになればと思います。でもまだ終わったわけじゃなくて、200mもリレーも残っていますから。最後まで笑ったままで終われるように頑張りたいですね」福島選手は次の種目へ向けての決意も口にした。

 

この女子100m、「福島さんと一緒に表彰台へ上がりたかった。得意な200mでは絶対に表彰台へ上がりたい」と悔し涙を流した橋萌木子選手も4位になった。今年はなかなか調子が上がらず、前日の予選でもリズムが狂ったような走りをしていた橋選手だが、決勝では11秒50までタイムを上げた。これは昨年のアジア選手権に続くアジア制覇を狙う女子4×100mリレーチームにとっても好材料といえる。

 Tr2010112200882 ゴール直後の橋選手(左)と福島選手(共同)

 

そんな女子と対照的に、苦しいスタートを切ったのが男子短距離だ。競技開始直前の20日の練習で、100mに出場する予定だった塚原直貴選手がふくはぎ肉離れ欠場することになった。ひとりだけの出場なった江里口匡史選手も、予選から力みの入った走りになり、準決勝で敗退という予想外の結果に。優勝して当然と見られている男子4×100mリレーに暗雲がかかってきたといえる。

 

そんな状況は陸上競技の日本チーム全体にもいえるだろう。金メダル獲得目標は8個だが、21日の陸上競技初日から誤算が続いている。そのひとつが初日の女子10000mだった。福士加代子選手が前回に続く連覇を狙ったが、彼女が作るペースに付いていったノーマークのインド勢がワンツーフィニッシュを果たし、福士選手4位に留まるという結果になった。

 

インドは02年大会の800mと1500mを制すなど、中距離で力を持っていた。そんな素質を持つ選手達が長距離にも進出してきたということだ。今大会は初日の女子3000m障害でも優勝と、インドが長距離の新勢力となった。

 Tr2010112100734 健闘する福士選手(共同)

 

また陸上競技2日目となる22日の男子400m決勝に、今季のアジアランキング1位で臨んだ男子400mの金丸祐三選手も、初タイトルを意識して前半から積極的に飛ばし、シーズンベストの45秒32を出す力走を見せた。だがフェミセウン・オグノデ選手(カタール)に0秒20及ばず銀メダルに止まり、悔し涙を飲んでいる。

 

陸上競技3日目の23日午前女子20㎞競歩では、渕瀬真寿美選手が8㎞過ぎから仕掛けていく積極的なレースをしたが、昨年の世界選手権3位の劉虹選手(中国)を突き放せず2位に終わっている。

 Tr2010112300655 銀メダルとなった渕瀬選手(共同) 

 

そんなジリジリするような流れを覆すのは誰になるのか。4日目以降いかに勝負をして目標の金8個に迫れるかに注目したい。


2010/11/23

クルム伊達、進化し続ける40歳が日本チームを奮起

文・高野祐太

 

40歳になったクルム伊達公子選手が日本のエースとして女子団体、シングルス、ダブルスの3種目に出場するフル回転の活躍。世界ランキング46位、第1シードとして出場した女子シングルスでは世界ランキング72位、第4シードで地元中国の彭帥選手との準決勝で敗退したものの、銅メダルを獲得した。

 

アジア大会特有の過密なスケジュール。この前日には、森田あゆみ選手と組んだ女子ダブルス準々決勝でフルセットの敗戦の後、わずか1時間30分しか間隔を空けずにシングルスに臨み、李珍雅選手(韓国)をストレートで下していた。加えて、長いシーズンでたまった疲労が限界すれすれまで来ていた。

 

それだけに、もう少しだけ休息が与えられていたなら、優勝した1994年広島大会以来の決勝進出も十分にあり得る——そんな中身の濃い2010年シーズンの締めくくりだった。クルム選手にしかできない高等技術。尽きることのない精神的なタフさ。重要な場面でこそ試みる大胆な攻撃。どれを取っても40歳のアスリートのものとは思えないパフォーマンスが演じられていった。

 

世界ランキング20〜30位にまで上がったことのある実力者の彭選手に対し、クルム伊達選手が手にする武器は、ボールの上がりばなをたたくライジングショットだ。タイミングが速いため、相手に時間的な余裕を与えず、角度のある打球でウィナーを重ねていく。第1サービスの確率が悪く、サービスゲームを有利にスタートできない苦しい状況でも、このショットを駆使して前に進んだ。

 

第1セットはタイブレークの末に落とす。だが、ここで展開を変えて来るのが2度目の現役ながらも現代テニスに挑んでいるクルム伊達選手の真骨頂だ。相手の隙を突いては前に詰めて、ボレーで仕留める攻撃を織り交ぜ出した。加えて、ドロップショットやバックハンドのスライスなども組み込み、相手のパターンを崩すと主導権を引き寄せた。村上武資監督は「ネットをからめた速い展開が、他の女子には一番無いところ」とクルム伊達選手の優秀さを指摘した。

 

最終第3セットは力尽きたが、フルセットを戦い切った。幾度もピンチは訪れ、リードされる場面も多かったが、2時間半の間に精神的に根負けするということはなかったように見えた。

 Tr2010112100677 準々決勝で戦うクルム伊達選手(共同)

 

そんなクルム伊達選手の奮闘振りは、日本チームに大きな刺激となった。女子団体、女子ダブルス、混合ダブルスに出場した19歳の新鋭・土居美咲選手は「伊達さんからはゲームの流れを読む力とかこれをやると決めたらやり切ることとか、学ぶことがたくさんあります。ボレーへの出方がすごくうまい。私も持ち味のフォアストロークを生かすため、ネットプレーに挑戦している最中なので、そこを一番学びたい」。村上監督も「あれこれアドバイスする訳ではないが、戦い方や集中力など、試合を見ていれば学ぶものはすべてある」と語った。

 

未だ衰えぬテニスのレベルや日本テニス界への貢献を考えると、2年後のロンドンオリンピック出場を期待してしまう。それに関しては「考えていません。まずは来年1年間を怪我なく戦い抜くこと。それもまったく予測はつかない」と否定したが、「今年はグランドスラム大会では全仏で1回戦を突破しただけ。オフは課題に取り組み、来季は良いパフォーマンスをしたい」と来季に向けて意欲を高めている。

 

今季は9月の東レ・パンパシフィックオープンでマリア・シャラポワ選手(ロシア)を破るなど、復帰後も確実に前進を続けるクルム伊達選手。チャレンジの先には、いずれ2年後も見えて来るはずだ。

 Tr2010112000717 女子ダブルスにも出場し若手に刺激を与えたクルム伊達選手(奥)(共同)

 Pkf10y151061 女子団体にも出場した伊達選手(右)(PHOTO KISHIMOTO)

 

2010/11/22

卓球、銅メダル8個と躍進、福原は金メダルへ意欲見せる

文・高野祐太

 

卓球は男女団体とシングルス、ダブルス5種目の計7種目を行い、日本勢は、福原愛選手が女子シングルス、石川佳純選手との同ダブルス、岸川聖也選手との混合ダブルスで計3個のメダルを獲るなど、銅メダル8個を獲得。メダル0だった前回大会から躍進した。福原選手関係以外では、男子シングルスの水谷隼選手、同ダブルスの松平健太選手・丹羽孝希選手組、女子ダブルスの藤井寛子選手・若宮三紗子選手組、混合ダブルスの松平選手・石川選手組が獲得。男子団体と合わせ、女子団体以外のすべての種目で表彰台にった。

 

一方で、1種目も決勝には進めず、混合ダブルスの岸川選手・福原選手組以外は、準決勝で負けた相手が中国。日本卓球の成長ぶりと、立ちはだかる中国の壁の高さの両面が浮き彫りになった。水谷選手は、男子シングルスの準々決勝まで各国のエース級を撃破しながら、準決勝は北京オリンピック銀メダルの王皓選手(中国)に0−4でストレート負け。「思い切り強打するようなリスクのあるスタイルに変更した方がいいかなと感じた」と2年後のロンドンオリンピックを見据えて、思い切った強化策を念頭に置いた。

 Tr2010111800866 準々決勝で戦う水谷選手(共同)

 

強さを示した筆頭は、44年ぶり史上6人目となる全3種目でメダルを獲得した福原選手だ。女子シングルスでは、準決勝で世界ランキング4位の郭躍選手(中国)に3−4で競り負けたものの、一時はゲームカウント3−1とリードし、銀メダルに最も近づいた。序盤は互角以上のラリーを展開。左右の打球に威力があり、相手が触られないコースを突いたり、相手ラケットを弾く得点が随所に出た。第2ゲームでは、最大4点差をつけられながら逆転し、この試合に勢いを生んだ。ゲームの終盤にミスを減らしてくる相手に一歩及ばなかったが、中国スーパーリーグで何度も試合をした広州に大きな一歩を残した。

 

今年2月から4月頃に地力アップの兆しがあった。国際プロツアーで世界10位クラスの選手を何人も撃破。相手の嫌がるコースに左右のブロックショットを打ち分けることができるようになったことが大きかった。村上恭和監督は「以前は自分が全部打ちに行って勝とうとしていたが、相手を見ながらプレーできる気持ちの余裕が生まれた。精神的に成熟してきたことが要因」と分析する。

 

調子を落として臨んでいた今大会では、団体戦で自分の敗戦がメダルを逃すことにつながり、悔し涙を流した。傷ついた日本のエースとしてのプライドをぶつけたのが個人戦だった。

 

だが、この成績でそのプライドが満たされた訳ではない。「メダルはうれしいけど、やっぱり欲が出ます。ほんの少し『獲れた』と思ってしまった。今度は、そう思わず、もっといい色のメダルを獲りたいです」。22歳になった福原選手が次にどんなプレーを見せてくれるのか、注目だ。

 Tr2010112000699 女子シングルス準決勝で敗退し、郭選手と握手する福原選手(右)(共同)


2010/11/21

中国に差をつけられたシンクロ・デュエット 挑戦者の気迫で再出発

文・折山淑美

昨年の世界選手権ではチームとデュエットのテクニカルルーティン4位が最高で、全種目で中国の後塵を拝したシンクロナイズドスイミングの日本チーム。アジア大会ではその差をどこまで詰めているかが見どころだった。

今大会は、テクニカルルーティンとフリールーティンがともに決勝種目となっている世界選手権方式ではなく、オリンピックと同じテクニカルルーティンとフリールーティンの合計で争われる方式で、会場は広州市に隣接する佛山市のアクアティックセンター。競技初日の19日にはデュエットが行われ、日本ペアは昨年の世界選手権デュエットのテクニカルルーティンで4位になった乾友紀子選手と小林千紗選手のペアが出場。対する中国は前回のドーハ大会で優勝し、北京オリンピック4位、世界選手権3位と力を伸ばしてきている双子姉妹ペア、蒋文文選手と??選手が出場した。

午前中に行われたテクニカルルーティンから、日本ペアは苦戦した。乾選手と小林選手の得点は93.375点。それに対して中国ペアは96.375点のを出し、昨年の世界選手権の時の1.334点差を、3.000点差まで広げられてしまったのだ。
 Tr2010111900675 テクニカルルーティンの演技、乾選手(右)と小林選手(共同)

午後7時30分から始まったフリールーティン。7番目の登場だった乾選手と小林選手は、スピードのある演技をした。「今年1年間やってきたルーティンなので、何も恐れることなくやっていこうと思っていました。まだ直さなければいけないところはあるけど、今の時点での力は出せたと思います」と小林選手は言う。また乾選手は、「これをやり始めてからは高さとスピードを重点的に練習してきたので、それを意識してやりました。まだ世界の上位に近づくには足りないことがいっぱいあると思うけど、一歩ずつやっていきたい」と話した。

花牟禮雅美コーチも、立っていた場所が演技をよく見られない場所だったからと、ことわりながらも、「演技の前には、『思い残すことのないように思い切り自分の力を出しなさい。積極的にいくように』と言いましたが、よく頑張ったと思います。ただ、やろうとしていたことは十分にやったけれど、目指すところにはもう一歩足りないですね」と言うように、得点は世界と戦うためのひとつの目標にしている95点には足りない、93.500点に止まった。
Tr2010111900867 スピードのある演技となったフリールーティンの乾選手(前)と小林選手(共同)

テクニカルルーティンと合わせた得点は186.875点。日本ペアはその時点ではトップに立った。だが、マレーシアの演技を間にして登場した、最終演技者・中国ペアの演技は、レベルがもう一段違った。175㎝の身長で息もピッタリの双子姉妹の演技は、スピード感にあふれて動きにもキレがあり、余裕すら感じさせるものだった。

花牟禮コーチも「高さとシャープさがすごい」と評価する実力。得点でも日本を大きく上回る97.000点を獲得し、合計得点も193.375点と圧勝し、日本ペアとの差を見せつけた。その結果を受けて小林選手は、「採点競技というのは、一気に成長できるものではないと思います。だから一つ一つの試合で成長しているところを見せなければいけないと思います。まだ力強さや技の正確さなど課題は多いけれど、二人で私たちの存在感を大きく出来るように頑張りたいです」と話す。

かつては国際大会で表彰台の常連だった日本だが、北京オリンピック後に日本代表となった乾選手も小林選手もその味を知らない選手であり、まだ挑戦者でしかない。この日、世界選手権のメダリストである中国ペアは風格さえ感じさせる演技をしていた。それに対して乾選手と小林選手の演技には必死さがみなぎる、挑戦者そのものだった。

現時点で彼女たちが出来るのは、そんな必死さとひたむきさしかないのだろう。今回は完成度を増しつつある中国ペアに、昨年より差を広げられる結果となった。そんな日本にとってまずやらなければいけないことは、中国に差を広げられず、逆に迫ろうという強い気迫を持ち続けることだ。それが挑戦者として世界へ立ち向かう、第一歩なのだろう。
 Tr2010111900870 銀メダルを獲得した乾選手(左)と小林選手(共同)

2010/11/21

バドミントン、イケシオは課題が見つかるベスト16

文・折山淑美
 

 

バドミントン混合ダブルス1回戦で、インドペアを破って18日の2回戦へ進んだ池田信太郎選手・潮田玲子選手ペアの対戦相手は、中国の張楠選手・趙蕓蕾選手ペアだった。今大会の第8シードだが、9月のヨネックスオープン・ジャパンで優勝しているペア。苦戦が予想された。

 

だが第1ゲームは9対11とリードされた後、3点連取して12対11に。同点に追いつかれてからも6点を連取し、21対17で制する好スタート。序盤こそ相手のミスに助けられての接戦だったが、後半は潮田選手が課題だったネット前でも積極的に手を出して得点を重ねた。

 

「前回やった時も簡単に負けたわけではないので、相手も気合いが入って、多少はプレッシャーも感じてたようだから思い切っていけました。前の時はどこまで出来るのかと思って半信半疑だったけど、今回は絶対に勝つぞという気持ちでいけました」と潮田選手が言うように、気持ちで負けなかったことが幸いした。

 

しかし風下のコートになった第2ゲームは、アッサリと12対21で取り返されてタイに。出だしで先手を取ったファイナルも、62から連続ポイントを取られて逆転されると、競り合いこそすれ追いかけるだけの展開に。17対21で突き放され、大舞台での快挙はならなかった。

 

「ドイツでやった時は2ゲーム目は競ったけど、ラリーは押されていました。でも今回は互角にできたし、向こうが焦っているのもわかったから。ファイナルは2点くらいリードされて終盤に入ったけれど、そこで少しでも(得点を)取って追いついていれば結果も変わったかなと思いますね。ただ、17〜18点取って追いつかないという、同じ形で負けてることは反省しないといけませんね」と池田選手は話す。

 

混合ダブルス転向以来、どちらかが怪我をすることも多くなかなか足並みがそろわなかったイケシオだが、ここ2カ月くらいはいいプレーが続いて手ごたえも感じているという。「最近は簡単には負けなくなったし、良くなってきたことをすごく感じています。今回も、相手が落としてきた球を落とし返してラリーにした時は得点できたから。そういうのを繰り返して攻撃の形をもっと作れれば、勝てるようになると思います」と潮田選手は笑顔を見せる。そして池田選手も、「潮田もだいぶミックスの動きが分かって来て、僕も潮田が動いた後の穴を埋めるような動きができるようになってきたと思います。サーブ周りからやレシーブからのポイントも増えてきたと思いますね。後はふたりとも、ディフェンスからの攻めをもっと研究していかなければいけないと思います」と、これからの課題を口にする。

 

中国勢がスーパーシリーズを休んでアジア大会1本に狙いを絞っていたのに対し、ふたりは9月のジャパンオープンの後は日本リーグに出場し、10月19日から31日まではオランダオープンとデンマークオープンにも出場していた。疲労も溜まっている状態で臨んだこの大会だったが、2回戦(ベスト16)で敗退したとはいえ、結果以上の手応えを得たのだ。

 Tr2010111800696 混合ダブルスで戦う潮田選手(左)と池田選手(共同)

 

開会式では日本選手団の旗手を務めた潮田選手。前回のドーハ大会に続く、パートナーを変えての連続メダル獲得はならなかった。だが同じ日の夜、そのメダルへの思いを受け継いだのが、かつて所属した三洋電機でチームメイトだった女子シングルスの廣瀬英理子選手だった。準々決勝でワン・ミーチュー選手(マレーシア)を20で下して準決勝へ進出。銅メダル以上を確定したのだ。

 

「大会前に熱を出して調子が悪くて団体では申し訳ない結果になったが、第1ゲームの後半の競り合いの中でようやく自分の動きが出てきてそれが第2ゲームにつながった。アジア大会は自分の中でも4年に一度の大事な大会。そこでメダルが獲れてうれしい」と素直に喜んだ。

 

翌19日の準決勝は世界ランキング1位の汪?(ワン・シン)選手(中国)との対戦だった。過去2戦は負けているが、9月のジャパンオープンではファイナルゲームにもつれ込んだ相手だった。しかし1ゲーム目は調子が上がらないうちに相手の早い動きに翻弄され、7対21で落とす。2ゲーム目は36と先行された場面で、微妙なジャッジで相手に得点が入る不運もあったが、そこから気持ちが燃えて動きを取り戻し、87と逆転する底力も見せた。だが最後、15対21で敗退した。

 

「相手は攻めも守りもいいので、自分がつかまってしまうとプレーをしにくくなるから、上手く駆け引きをしたかったが出来なかった。途中からカットにも反応できるようなったけど、動ききれなかったのが悔しい」

 

広瀬選手は今季、世界女王の王淋選手(中国)や世界選手権時点では世界ランキング1位だった王?(ワン・イーハン)選手(中国)を破るなど、中国の大物選手食いを複数回している。この大会ではそれを果たせなかったものの、「このメダルはロンドン(オリンピック)ヘ向けての大きな自信になる」と、表情を和らげた。

 Tr2010111800890 準々決勝で勝ち喜ぶ廣瀬選手(共同)

 


2010/11/20

競泳、僅差で優勝逃し金9個 さらなる飛躍求められる

文・折山淑美

 

18日に競技が終了した競泳、前回のドーハ大会で16個の金メダルを獲得した日本チームは、今回は9個。中国の24個に大きく水をあけられる結果になった。平井伯昌ヘッドコーチは、2日目の金メダル0で勢いに乗り損ねたと分析する。

 

大会初日こそ、男子200mバタフライの松田丈志選手と男子400m個人メドレーの堀畑裕也選手の金メダルで上々の滑り出しをした。だが、2日目には期待された男子50m平泳ぎと男子100mバタフライ、女子200m背泳ぎで敗れてゼロ。翌3日目には男子100m平泳ぎの立石諒7選手と男子200m背泳ぎの入江陵介選手が勝って勢いがつくかと思えたが、4日目と5日目は男子100m背泳ぎの入江選手と男子200m個人メドレーの高桑健選手が優勝して、かろうじて金メダル獲得をつないだだけで最終日を迎えたのだ。

 

競技最終日、最初に金メダルを獲ったのは男子50m背泳ぎの古賀淳也選手だった。彼は昨年の世界選手権での同種目銀メダリスト。100mでは入江選手に遅れをとって銀メダルに止まっただけに、得意とするこの種目は是が非でも優勝したいところだった。「手でつかむバーの高さの関係でスタート位置がいつもより高かったので、飛び込んでから深く潜ってしまって少しもたついてしまった」というが、底力でねじ伏せて25秒08で優勝を果たした。

 

「100mは良くなかったけど、コーチの先生方から『最後の50mで優勝するのはお前の仕事だから』といわれて気持ちが切り替わりました。最後に何とか優勝し、最低限の仕事が出来たことは嬉しいですね」と、古賀選手は安堵の表情を見せた。

 Tr2010111800852 ガッツポーズを見せる古賀選手(右)(共同)

  

それに続いたのが北島康介選手が故障のために欠場し、日本勢ひとりだけの出場となった男子200m平泳ぎの冨田尚弥選手だった。大きな泳ぎでスタートから飛ばし、50mでは2位に0秒49差をつける余裕のレース。その後も2位以下を引き離し、後続に2秒近い大差を付ける2分10秒36で優勝した。それでも「悪くても28秒台は出ると思っていたから、2分10秒では遅すぎる。ぜんぜんダメです」と悔しそうな表情をする。そして最後の男子4×100mメドレーリレーでは、入江選手、立石選手、藤井拓郎選手、原田蘭丸選手で組んで優勝し、金メダルを9個にしたのだ。

 

前回は金メダル数が中国と16個ずつで並んだから、今回はそれ以上と選手に言っていました8月のパンパシフィック選手権にも出ないでこの大会に照準を合わせていた中国が予想以上に強かったし、2日目で勢いに乗れなかったから選手も『勝たなくては』と硬くなり、持っている実力を出せなかったんだと思います。だから接戦をものに出来なかったんでしょうね。最後の男子メドレーリレーがそれを象徴していると思います。これからは本番で持っている力を出し切れるように、選手もコーチも考え方を改めて、しっかり考えていかなければいけないと思います」

 Tr2010111800855 男子200m平泳ぎで優勝した冨田選手(共同) 

 

今大会の男子4×100mメドレーリレーは、個人のレース結果や持ちタイムをみても日本が絶対的に有利な状況だった。一番手の背泳ぎの入江選手と次の平泳ぎの立石選手で大差を付け、藤井選手がそれを維持して原田選手が逃げきるとう構想だった。

 

だが入江選手は体ひとつ分リードした程度に終わり、立石選手もその差を決定的には開けなかった。バタフライの藤井選手がそれを少しだけ広げて1秒強の差にして最後の自由形の原田選手につないだが、そこから中国に激しく追われてゴール前では0秒09の逆転を許し、3分34秒10の2番目でゴールしたのだ。まさかの2着だった。

 

しかしその後、中国の第一泳者から第二泳者への引き継ぎが早すぎると判定され、日本の金メダルが確定したのだ。もし中国が正当なつなぎをしていれば、タイム的には辛くも勝つという計算になる。だが平井ヘッドコーチが言うように、この大会では接戦で金メダルを落とした種目が多かったのは事実だ。男子100mバタフライの0秒02差を筆頭に、男子50m平泳ぎと男子50m自由形は0秒08差以内での敗戦を喫している。その範囲をもう少し広げれば、0秒67差以内で男女を合わせて実に13種目で金メダルを逃している。

 

そのタイム差はほんのひと掻きや、ひと蹴り。もう少しの執念だけで覆るものでもあるだろう。勝たなければいけない場で勝ちたいと思い過ぎ、硬くなって自分を発揮できなかったが故の競り負け。そんな微妙な心の差が、大舞台になればなるほど勝負を分けるのだ。

 Tr2010111800894 まさかの2着から優勝となった競泳チーム(共同)

 

それとともに平ヘッドコーチが指摘するのは、金メダルを獲った種目でさえも、今季世界最高だった男子200mバタフライの松田選手の記録を別にすれば、世界と比較してレベルが低かったことだ。「優勝記録を世界と比べてみると、金メダルだといっても中身は寂しい。世界記録との距離感を考えていかなければ、オリンピックでは戦えない」と言う。

 

8年前のアジア大会では、北島選手が200m平泳ぎで世界記録を出し、チーム全体を勢いづけた。今回の中国は、金メダルを大量に獲得しただけでなく、最終日の男子1500m自由形では孫楊選手が2001年以来残されている世界記録に後0秒87まで迫るスーパー記録を叩き出した。それもこれからの中国チームを勢いける、大きな原動力になるはずだ

 

それに対して日本チームは、昨年好結果を出してこれからのエースになると期待された入江選手や古賀選手が、記録的には足踏みをしている状態だ。まずはエース候補と目される選手たちが、そんな状況を打破すること。さらにそれに続く選手達もしっかりと世界を見据えて、今何をやらなければいけないかを明確に知った上での努力を始めることが必要だろう。日本競泳陣はこの大会の厳しい結果で、ロンドンヘ向けた大きな課題を手にしたといえる。


2010/11/19

自転車は海外勢が成長、金メダルゼロからの奮起誓う

文・折山淑美

 

開会式翌日から始まった自転車トラック競技。日本チームは獲得したメダルが男子チームスプリントの銀のみという状態で、競技最終日の11月17日を迎えた。日本勢が出場したのは、男子スプリントと男子ポイントレース、男子ケイリン3種目の決勝と3位決定戦。その中でも期待は日本がこれまで負け知らずの種目で、前回のドーハ大会で北津留翼選手が制し、今回もその津留選手が決勝に進出したスプリントだった。

 Tr2010111700675 銀メダルの津留選手(左)と銅メダルの新田選手(共同)

 

相手は中国男子スプリントチームのエース・張磊選手。アウトコーススタートだった1回目、北津留選手は1周目の第4コーナーの出口で加速して前に出ると、残り2周を逃げきる作戦に出た。「張選手のギア比が重かったのと、同等のスピードやダッシュ力の選手なら、そのままで勝負が決まるから」という理由だった。だが張選手は最後の直線で北津留選手を捕らえて先にゴール。先勝されてしまったのだ。

 

2回目インスタートの北津留選手は、先頭義務がある半周のライン上でスタンディングで止まり、相手を前にいかせる作戦を試みた。だが、そのラインの手前でスピードを落としたのをスタンディング状態に入ったと判定されて再スタートに。その後のレースでは、静に後ろの張選手をみながら進めたが、2周目に入ったばかりのコーナーでバンクの上から加速した張選手への反応が遅れ、一気にけられた大差を維持されたままレースを終えて敗戦が決定した。

 

1回目のミスが大きかったですね。力が同等な選手ならと思ったが、相手の方が自分よりコンマ1秒くらい実力がある選手だったので追いつかれる形になってしまいました」こう話す北津留選手は、北京オリンピックのあとは競輪に専念していて、競技のための練習はなかなか出来ていなかったという。この大会へも競輪の試合を終えてからすぐに来たような状態で、まともな調整もできずダッシュ力を磨けなかった。3位に入った新田祐大選手とともに表彰台へ上がったが、その表情は冷静だった。

 Tr2010111700701 優勝した張選手と握手する北津留選手(右)(共同) 

 

続くポイントレースでは、盛一大選手と西谷泰治選手がうまく走って前半は上位に付けたが、後半は逃げを上手く使いながらポイントを獲得する香港やイラン、ウズベキスタン選手に後れをとり、盛選手が6位、西谷選手が8位という結果に終わった。

 Tr2010111700684 6位になった盛選手(中央)(共同) 

 

そして最後にケイリンの渡邉一成選手もマレーシアと3位の中国選手に次ぐ4位で終わり、金メダル無しという結果になったのだ。「中国とマレーシアが2人ずつ決勝に勝ち上がって組んでやっていたのに対し、日本はひとりだけだったからきつかった。マレーシア勢のスパートに合わせていけばメダルも見えたと思うが、中国の仕掛けに対してワンテンポ対応が遅れたのが敗因でしたと渡邉選手は反省する。

 Tr2010111700689 4位となった渡邉選手(共同)

 
 

自転車トラック競技のスプリント種目は、かつては日本がアジアをリードしていた。金メダルゼロという結果に秀雄監督はライバルの成長を口にする。中国チームはフランス人監督を招聘して北京で常に強化合宿をしているという。また今回活躍が目立ったイランはイギリス人とドイツ人のコーチと契約して強化を始め、マレーシアもオーストラリアを拠点にして練習をしているというのだ。日本の場合は練習拠点がない上に、競輪選手に頼っている状況。彼らの本業であるレースとの兼ね合いも難しい状態だ。

 

レース後、選手達が口をそろえるように言ったのは、そんな強化体制の遅れだ。世界がどんなことをやっているかということを知り、それを取り入れながら一から強化計画を考えていかなければいけないと真剣な表情で言う。「チームとして金メダルをれなかったけど、今の日本のレベルはこう言うものだということを自覚し、その悔しさをバネにして頑張っていくしかないと思います」と渡邉選手。

 

トラック勢はこのアジア大会で、世界から遅れ始めているという危機感をヒシヒシと感じ取った。その状況をしっかりと認め、これから何をしていかなければいけないかを考え始めことが、日本復活への第一歩となるだろう。ただ、選手自信がそんな自覚を持っていることはひとつの救いであり、可能性を持っているということでもある。

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