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TEAM JAPAN DIARY

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2010/02/27

ショートトラック復活へ必要なもの〜男子500m、女子1000m 準々決勝

文:折山淑美

2月26日のパシフィック・コロシアム。ショートトラックの最終日となるこの日は、男子500mと女子1000mの準々決勝から決勝までと、男子リレー5000mの決勝が行われた。

だが日本チームでこの日のレースに出場できたのは、男女1名ずつという寂しい状況だった。

最初の500mに登場したのは、2日前の予選第8組を2位通過で上がってきた吉澤純平。だが準々決勝は厳しかった。2009年世界選手権総合王者で、前回のトリノでは2個の銀メダルを獲得しているイ・ホソク(韓国)と、地元カナダで、昨季の世界選手権500m3位のジーンがいる第3組だった。

「前がゴチャゴチャするだろうから、後ろから行って終盤に勝負するつもりだった」

という吉澤は、1番外側の4コーススタートだったこともあり、スタートから4番手につけた。だが、「もう勝負どころだ」と準備を始めなければいけない、残り3周から2周に入る直前のカーブの出口でバランスを崩した。

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オリンピック初出場の吉澤選手。500mは準々決勝で敗退(写真提供:フォート・キシモト)

「その後を立て直すことができなかったのは、自分の実力ですね。スピードに乗った時の、スケートを制御する技術が足りないのだと思う。その後はさらに焦ってしまって、ほとんどスピードに乗らなくなってしまいました」

結局そのまま順位を上げることなく、4位で敗退することになった。

次の種目である女子1000mには、女子代表5人のうち、唯一のオリンピック経験者である小澤美夏が出場。彼女自身が最も狙っていた1500mは20日の予選で失格という結果に終わっただけに、この種目に懸ける気持ちは大きかった。

準々決勝第1組だった小澤は、「今日は最初から前の方にいるレース展開にして、後半に韓国選手が動いてきた時についていき、2位に入ることを目標にしていた」と言うように、スタート直後は2位につけ、すぐに抜き返されたものの、一時は先頭に立つ積極的な前半だった。

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序盤で前方につけたが、最終的には4着でゴールした小澤選手(写真提供:フォート・キシモト)

しかし、2位を滑っていた残り4周から3周に入るところで、予想通りに17歳のパク・スンヒ(韓国・今大会1500m銅メダル)が外側から仕掛けてきたが、対応することができず。一緒に上がってきたカナダにも抜かれ、一気に4位へ落ちてしまった。

「最初はそんなにスピードも上がってなくて余裕もあったけど、スピードが上がってしまった後半はダメでしたね。後半も食らいついていく自信はあるから韓国がくる前にはトップへ立っておきたかったけど、もう1人交わすとなると、そこまでの力はないと思ったから」

前にいたオランダの選手を抜くかどうか躊躇しているうちに韓国のパクがきてしまい、前の選手にブロックされる形になったこともあって対応しきれなかったのだ。結局そのまま離され、4位でゴールする結果に。日本選手のレースはすべて終わった。

この大会、日本勢の個人種目の成績は、最高が女子1500m貞包紘子の12位。男子最高は500m吉澤の14位。1994年リレハンメル以来続けてきた連続入賞記録にもストップをかけてしまった。

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今大会、個人種目での日本勢最高は貞包紘子選手の
女子1500mの12位(写真提供:アフロスポーツ)

吉澤は苦戦の原因を「元々の力の差が一番大きいと思います。それに日本チームは初出場の選手が多かったから、他の国よりオリンピックへの調子の合わせ方が上手くいっていなかった」と言う。また小澤は「ワールドカップではリレーでも表彰台へ上がるなど善戦していた。総合的には戦えていて予選を通過する力は持っているが、準々決勝、準決勝、決勝となるとレベルの高いレースになって展開のアヤで順位が決まることが多い。実力では並んでいても、その部分で上手くいかなかったのではないかと思う」と言う。

そのいい例が、女子リレー3000mだ。予選は中国とカナダがいる厳しい方の組に入ってしまった不運がある上、スタートでほんの少しだけ出遅れて先頭争いから押し出されてしまったことが、最後まで大きく影響した。さらに5〜8位決定戦でもトップになる力を持ちながら、結局は転倒して最下位という結果に終わっている。まさに微妙な一歩が足りなかった結果だ。

柏原幹史監督はこう言う。

「昨年末のオリンピックの出場枠が決まったワールドカップ第4戦以降、日本チームは国内最終選考などを戦っていたが、今大会の記録から見ると外国人選手たちはそこから伸びている。それが誤算でした。それに対して日本チームはそこまで引き上げることができなかった」

2年前から金善台コーチを韓国から招聘してナショナルチームを形成し、日本チームは力を付けてきているのは確かだ。それでもバンクーバーで結果を残せなかったというのは、結局、その強化にかけた時間が少なかったからだとも言えるだろう。韓国式のコーナーの滑りの技術などはこれまでと違い、最初は選手にも戸惑いがあったという。1年目は練習量の急増にも驚くのが先で、しっかりと結果を出し始めたのは今季になってからだった。

それを見れば、もう少し早くから手をつけていれば、選手たちもワールドカップなどでもっと実績を積み上げ、自信を持って臨めるようになっていた可能性もある。

小澤は、「今回悔しい気持ちを持った選手が多いから、その悔しさをこれからの4年間にぶつけ、(4年後の)ソチではその思いの強さを出せるようにしてほしい。それとともに、しっかりとしたチームワーク作りにも真剣に取り組んでほしい」と言う。

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24歳ながら、3回目のオリンピック出場を果たした小澤選手(写真提供:フォート・キシモト)

ナショナルチーム意識をしっかり持って、この悔しさを次につなげていくことこそ、ショートトラック復活への第一歩になるだろう。

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