アテネ1896

1896年、14ヵ国・241人の選手がアテネに

 近代オリンピックの第1回大会は1896年の春、ギリシャのアテネで行なわれました。それから108年、第28回大会が再びアテネの土を踏み、オリンピックは生まれ故郷に里帰りすることになったのです。

 近代オリンピックは、フランス貴族で教育者だったピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱によって誕生しました。そのモデルとなったのは、西暦紀元前776年から紀元393年までギリシャのオリンピアで4年ごとに開かれる祭典競技でした。

当時のギリシャは都市国家をつくっていましたが、全土のギリシャ人は、北方のオリンポス山に住むとされる、ギリシャ神話で有名な、ゼウスを長とする神々を信仰していました。

 このため都市国家では、それぞれに神々を祭る祭事を実施していましたが、ゼウスとその妻ヘラの神域を設け、その神託(お告げ)を聞く事ができるオリンピアで、鍛えた体、強い意志とエネルギーをゼウスに奉納するため始めた、スポーツ祭事が注目を浴び、全土から参加者が集まるイベントとなりました。これが『古代オリンピック』です。

 クーベルタンはこれに深い関心を持ち、中でも、この祭典の前後3ヵ月間は全都市国家がお互い戦争や争いを休止したことに感銘を受けました。そして、このようなスポーツの催しを、国際的な規模で現代社会に生かせれば、国際親善を推進し、世界平和に寄与できるのでは、と考えました。

 そこで、1894年、欧米主要国のスポーツ界有志に呼び掛け、パリで国際会議を開いた折に、このことを提案すると全員が賛同し、クーベルタンが考えたよりも早く、2年後の1896年にアテネで創設大会を開くことが決まってしまいました。この決定の日が6月23日で、今日ではそれを記念する『オリンピックデー』となっています。

 企画・運営のために12カ国から14人が委員として選ばれました(翌年には1人が追加され、15人となりました)。これが国際オリンピック委員会(IOC)の最初で、会長には開催国ギリシャの代表、ディミトリウス・ビケラスが選ばれました。

 当時のギリシャは内政の不安定、財政悪化など問題をかかえていましたが、国王ゲオルギウス一世の指導、海外同胞からの多額の寄付などで乗り切り、4月6日、無事、開幕に漕ぎつけました。

 まだ『オリンピック憲章』もなく、細かい開催要項も決まっていませんでしたが、開会式ではファンファーレにのって役員、選手団が入場、国王が開会を宣言すると祝砲が轟き、鳩が飛び立ちました。今日の壮麗な開会式は、第1回大会が原形といってよいでしょう。

 日本国内でもよく耳にする『オリンピック賛歌』はこの開会式の冒頭、ファンファーレに先立って合唱で紹介(詞コスティス・パロマ、曲スピロ・サマラ)されたものです。

 その後、忘れ去られていましたが、たまたま、賛歌の古い楽譜がギリシャで見つかり、東龍太郎IOC委員(元東京都知事)の仲介でこれを知ったNHK交響楽団が、あらためて採譜、編曲して、1958年5月、東京で開かれたIOC総会の開会式で演奏、披露しました。IOCは日本の善意と曲の素晴らしさに感激、以後この曲を公式に認定し、催事に使うことにしたのです。

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