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トップアスリートを支えるもう一人のヒーロー

最高のパフォ−マンスをアシストするクツづくり
三村仁司

「勝てるクツをお願いします」。アテネの代表に内定した野口みずき選手は言ったが、絶対に勝てる魔法のシューズはない。しかし、シューズが選手のパフォーマンスを左右することがあるのは事実だ。達人は、選手が満足のいく結果が出せるよう、一人ひとりに合ったシューズ作りに日々まい進する。

2005年9月、ベルリンマラソンで日本記録を更新した時に野口みずき選手が使用したシューズ。
2005年9月、ベルリンマラソンで日本記録を更新した時に野口みずき選手が使用したシューズ。

シューズ作りに携わって約40年、高橋尚子選手や有森裕子選手など、多くのオリンピアンのシューズを作ってきたグランドマイスター・三村仁司とはいえ、アテネ用のマラソンシューズは大きなチャレンジだった。

「外国選手のシューズを手掛けた関係で1980年のモスクワオリンピックに行って以来、7回オリンピックに行きましたけど、2004年のアテネのコース状況は最悪のマラソンコースであり、気象条件も最悪でしたから、モノ作りとしてはすごく難しいと思いましたね」

日本では絶対に行われることのない酷暑の中でのレース。「クツの中が相当熱くなることも考えておかないといけない。それに水をかぶりますから、クツの中に水が入る。そうなると、インナーソールは速乾性のあるものにする必要があります」

しかし、何よりも悩まされたのは路面の硬さと滑りやすさだった。アスファルトに大理石がちりばめられたアテネのコースは非常に硬い。日本で使っているものより若干バネがある程度のシューズでは、走るとすぐに足に張りを感じるので、相当のクッション性を考える必要があった。

アッパー素材と底を合わせる三村。既製品を利用する場合でも、気に入ったモノを履き比べるなど、できるだけ自分に合ったシューズを探してほしいと言う。
アッパー素材と底を合わせる三村。既製品を利用する場合でも、気に入ったモノを履き比べるなど、できるだけ自分に合ったシューズを探してほしいと言う。

また、表面がツルツルの路面は、ただでさえ滑りやすい上に、選手は暑さ対策のために水をかぶり、コース上にはシャワーが設けられる。そのため、路面はずっと濡れた状態になる。

考慮すべき条件が山ほどあったアテネ用のシューズ作り。アッパーの素材は約1年前からサンプリング作りを始め、7月の試走時にはすでに決定されていた。インナーソールも半年ほど前から吸汗性があって速乾性があるものを作っていた。一番難しかったのは「底」だった。

「重さ、磨耗、バネ、クッション性、硬度など、一つ良くなったら一つ悪くなる。その中で自分の許容範囲というんですか、いろいろな条件の中でどれが一番大事かを頭に描いて作り直しました」

路面把握性を高め、滑りにくくするため、籾殻を混ぜたものも10回ぐらい作ったが、磨耗が早かったり、変形したりと、なかなかうまくいかない。最終的に思ったものに近い底ができあがったのは25回目のことだった。

「野口みずき選手はストライド走法、土佐礼子選手はピッチ走法。走法が違えばクッション性も変わってきます。足型はもちろん、補強材など、デザインも選手によって若干違ってきます」

三村はアテネの気象条件や路面状況に加え、選手それぞれの特性を考え、底の厚さやデザインを決定していった。そこでは経験がモノを言う。

「いくらコンピュータが発達したといったって、最終的にどういう素材を使って、どういうデザインをして、どういう底をつけていくか、いろいろ判断するのは人間ですからね。最終的な判断は感性というか、今までの経験でするしかありません」

アドバイスするのも義務
ミリ単位の誤差も許されないシューズ作り。どの工程でも繊細な作業が要求される。
ミリ単位の誤差も許されないシューズ作り。どの工程でも繊細な作業が要求される。

三村はクッション性とグリップ力を考え、アテネのマラソンシューズの底に籾殻入りのスポンジを使うことにした。ところが、本番直前になって土佐礼子、坂本直子の2選手が日本で使っているのと同じようなものを1足でいいから作ってほしいと言ってきた。そのシューズの底はウレタンだ。三村は急遽、ウレタンで最善と思われるシューズを作り、2人はそれを履いて見事入賞した。

一方、野口選手は「私、三村さんが言った通り、スポンジで走りますよ」と言い、三村がアテネ用に開発したシューズで走り、優勝した。

どちらの選択が正しかったはわからない。しかし、3人とも三村のシューズを信じて走ったのは間違いない。では、この信頼感はどこから来るのか?

「選手は、求めているクツと実際に履いているクツが違う場合が多いです」。選手はそれまでのクセや思い込みでシューズを選び、それが故障につながったりする。また、間違ったシューズを履いていること自体をわかっていなかったりする。三村はシューズのプロとして、どういうシューズがその選手に本当に合っているのかをアドバイスするのは自分の責任、義務だと言う。

ミシンを使っての縫製作業は専門のスタッフが担当。
ミシンを使っての縫製作業は専門のスタッフが担当。

「クツの機能性の中で一番大事になってくるのはフィッティングですが、それを勘違いしている選手が多いからやっかいなんです。例えばマラソンでは、スタート時に余裕のあるクツを履いていなければ、後半、足がむくんで持ちません。腰が落ちて体重が乗らなくなります。そういうことをわからせてあげなければいけません。でも、アドバイス通りにして記録が上がってくれば、自然と信頼関係ができるんと違いますか」

科学的データを示して説明する時もあれば、「こうしなければ絶対ダメだ」と半強制的な言い方をする時もある。周囲の人が驚くほど厳しく選手を叱ることもある。だが、口は悪くとも、モノ作りに対する確たる信念があるから、三村と選手の間には強い信頼感が築かれていく。

シューズで人の役に立つ
足型計測用紙の上で専用の道具を使って足型を計測。
足型計測用紙の上で専用の道具を使って足型を計測。

結果を出して当たり前。結果が出なかったら責任を問われることもあるシューズ作り。その魅力を三村は「私はあくまでもサポート役です。だから、選手が思った通りの練習ができて、その結果として満足のいく走りができた時。満足できる出来で試合を終えた選手は表情が明るい。そういう時に、この選手のクツを作ってよかったなと思います」

そんな三村にとって特に思い出に残るシューズが2つある。一つは生まれてこの方一度もクツを履いたことのない車椅子の36歳の人のシューズだ。「立つことができないので、メジャーを当てて測っただけで作ったんです。完成したクツを持っていったら、すごく喜んでくださって、早速その場で履いていました。あの時は本当に感動しましたね」

もう一つは現在、読売巨人の2軍監督を務める吉村禎章氏のスパイクだ。靭帯を断裂し、選手生命が危ぶまれたにもかかわらず、装具をつけてでも野球をやるという吉村選手の決意に心を打たれた。しかし、当時は野球のシューズを作ったこともなければ、作り方も知らなかった。まるっきり未知の世界のクツ作りだったが、「吉村が『これなら履けます』と言ったんです。その時はすごくうれしいというんではなくて、この選手のために役に立てたんだと感動しましたね」

現在、三村のところには月平均150人が採寸にやってくる。その多くは記録を出したいと思っているアスリート達だ。

「日本新や世界新を出すのは難しいことです。でも、それに向かってアスリートは練習していますから、できるだけクツで力になってあげたいという気持ちはいつも持っています。そのためには自分自身も精進努力、研究する必要があると思います。いつまでたっても、これにはゴールはないですからね」
(敬称略)

※この連載は、JOC広報誌「OLYMPIAN2007年 vol.2」に掲載したものです。

三村仁司さん
三村仁司
1948年、兵庫県生まれ。高校卒業後、オニツカ株式会社(現アシックス)に入社。1974年にひとりで別注シューズの制作を始める。以来、陸上競技のみならず、野球、サッカー、テニス、モータースポーツなど、さまざまなジャンルのシューズ作りを行ってきた。現在はアシックスグランドマイスター兼フットウエア事業部カスタムデザイングループリーダー。