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トリノ2006


スペシャルコラム

日本女子フィギュアスケート 栄光までの道のり

後藤忠弘さん

荒川静香選手が日本にもたらした、冬季オリンピック通算9個目の金メダル

トリノ冬季オリンピック、大会13日目、競技スケジュールも残るところあと3日となった2月23日、フィギュアスケート女子シングルで荒川静香選手が日本代表選手団として、大会初の金メダルを獲得した。結局、日本が手にした今大会のメダルは、競技16日間を通じてこの『金1個』にとどまったが、この1個は遅塚日本代表選手団長が目標に掲げた『色にこだわらず、とにかく5個』のメダルに相当する輝きと重みを持っていた、と言ってよい。
日本のフィギュアスケートが冬季オリンピックに初参加したのは1932年の第3回レークプラシッド冬季大会だが、女子は1回遅れ、1936年の第4回ガルミッシュ・パルテンキルヘン冬季大会が初参加なので、荒川選手の金メダルは女子として70年目で初めて得たものだった。これで冬季オリンピックでの日本の金メダルは通算9個、夏季大会の分を併せると123個となった。
日本のフィギュアスケート陣は前年の世界選手権(2005年3月モスクワ)の成績で、トリノ冬季オリンピックには最大枠3人の出場権を得た。この数年来の日本女子の実力向上は目を見張るものがある。
日本(とりわけ女子)が米国、ロシアと肩を並べる世界3大強国のひとつにまで躍進を遂げた陰には、1992年アルベールビル冬季オリンピック後に、日本スケート連盟が長野・野辺山で始めた、新人発掘の強化合宿がある。これは全国から募った小学3年〜中学1年(8歳〜12歳)の子供たちを対象に夏季合宿を実施、基礎体力、運動能力、表現能力、体型などをチェックの上、選ばれた有望選手を継続的に海外へ派遣して技術だけでなく精神的な経験を積ませ、国際大会で通用する選手を育てようというシステム。

JOCの指導で、数年前から各競技団体が取り組むようになった『一貫指導システム』を先取りしたような方式とも言えよう。現在、第一線の国際舞台で活躍しているスケーターは、いずれもこのシステムから誕生した逸材で、今回、金メダリストとなった荒川静香選手は、10歳で入門してきた第1期生だった。
この計画は当初、6年後の長野冬季オリンピック(1998年)を対象にして立てられたものだった。ご存知のように、残念ながら長野冬季オリンピックではこの計画が実を結んだとは言い難いが、16歳の荒川静香選手を日本代表に送り出せたことで、このシステムは長野以降も続けられることになり、荒川選手は2004年のドルトムント(ドイツ)世界選手権で、佐藤有香さんに次ぐ10年ぶり、日本で3人目の世界チャンピオンに輝き、この強化路線の成功を決定的に裏付けた。

1936年、冬季オリンピックに初参加した
女子フィギュアスケート

スケートは明治時代、外遊帰りの人士や教育者、宣教師などの欧米人などが、スケートシューズを持ち込んだことで、日本国内に種がまかれた。ただ、技術的にいろいろな点で難しいフィギュアまで教えてくれる外国人は皆無に近かったので、この競技に興味を持った日本人は、横文字の入門書などを読んで勉強した。

前述のように、1932年の第3回冬季オリンピックに参加した男子2選手(老松一吉、帯谷竜一)もそうした選手だったというが、全12人中、老松選手は9位、帯谷選手は4位で、最下位は免れた。また、4年後には、女子として単身初参加の稲田悦子選手が、とびきり小さい小学6年生で23人中10位に入って、選手仲間や観客をびっくりさせた。 (詳しくはこちら:オリンピック・メモリアルグッズ/稲田悦子選手

1989年、世界選手権パリ大会で優勝した伊藤みどり選手。 1994年、世界選手権千葉大会で優勝した佐藤有香選手。 2004年、世界選手権ドルトムント大会で優勝した荒川静香選手。

毎年行なわれている世界選手権大会には、戦前、オリンピック代表が2度参加。戦後は1951年に初参加したが、日本スケート連盟の財政不如意などのため、毎回出場するようになったのは1960年以降。1962年からはトップ10選手を出せるようになった。
しかし、この競技がバレエやクラシックの音楽など、欧米芸術の上に成り立つものだけに、『異文化圏』から来た日本人選手の演技がメダルのレベルにまで上がるのには、それからまた歳月が必要だった。世界選手権でメダル獲得が実現できたのは1977年の東京大会の時で、男子の佐野稔選手が銅。女子はその2年後、1979年ウィーン大会の渡部絵美選手(同じく銅)が最初。伊藤みどり選手が世界選手権初のトリプルアクセル・ジャンプを決め、金メダルに輝いたのは、それより10年を経た1989年のパリ大会でのことだった。
それから野辺山合宿がスタート、また10余年。時代が21世紀に入ると、女子の力の底上げがはっきりと感じられるようになった。ジュニア世界選手権では2003年から太田由希奈選手、安藤美姫選手、浅田真央選手と3連勝。その上に位置するシニアの第一線も、誰もが世界的な大会を狙えるようになった。今回のトリノ冬季オリンピックに先立つグランプリ・シリーズでは、出場日本人選手の誰かが必ず表彰台に上がり、その総決算であるグランプリ・ファイナルでは、まだ15歳で、オリンピック出場資格のない浅田真央選手が、世界ナンバーワンのイリーナ・スルツカヤ選手(ロシア)を凌いで優勝し、世界を驚かせた。
もちろん、世界は刻々と動いている。トリノ冬季オリンピック後に行なわれた世界ジュニア選手権大会では、韓国の金妍兒(キム・ヨナ)選手が浅田真央選手をかわして優勝、日本は大会4連覇を逃した。また、荒川静香選手が出場を辞退したカルガリーの2006世界フィギュア選手権大会では、村主章枝選手が金メダルに届かず、16歳のキミー・マイズナー選手(米国)に名を成さしめ、今シーズンを終えた。油断は禁物ながら、次年度以降の巻き返し、さらなる躍進には大きな期待がかけられよう。

世界選手権大会での日本女子メダリスト

開催年 開催地 順位 選手名
1979 ウィーン 3 渡部 絵美
1989 パリ 1 伊藤 みどり
1990 ハリファクス 2 伊藤 みどり
1994 千葉 1 佐藤 有香
2002 長野 3 村主 章枝
2003 ワシントンDC 3 村主 章枝
2004 ドルトムント 1 荒川 静香


冬季オリンピックでの日本女子シングルの成績

大会名 順位 選手名
1936 第4回 ガルミッシュ・パルテンキルヘン大会(ドイツ) 10 稲田 悦子
1960 第8回 スコー・バレー大会(アメリカ) 17 上野 純子
21 福原 美和
1964 第9回 インスブルック大会(オーストリア) 5 福原 美和
13 大川 久美子
22 上野 純子
1968 第10回 グルノーブル大会(フランス) 8 大川 久美子
14 山下 一美
26 石田 治子
1972 第11回 札幌大会(日本) 10 山下 一美
1976 第12回 インスブルック大会(オーストリア) 13 渡部 絵美
1980 第13回 レークプラシッド大会(アメリカ) 6 渡部 絵美
1984 第14回 サラエボ大会(ユーゴスラビア) 19 加藤 雅子
1988 第15回 カルガリー大会(カナダ) 5 伊藤 みどり
14 八木沼 純子
1990 第16回 アルベールビル大会(フランス) 2 伊藤 みどり
7 佐藤 有香
1994 第17回 リレハンメル大会(ノルウェー) 5 佐藤 有香
18 井上 怜奈
1998 第18回 長野大会(日本) 13 荒川 静香
2002 第19回 ソルトレークシティー大会(アメリカ) 5 村主 章枝
17 恩田 美栄
2005 第20回 トリノ大会(イタリア) 1 荒川 静香
4 村主 章枝
15 安藤 美姫

写真:アフロスポーツ

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