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第28回オリンピック競技大会(2004/アテネ)

アテネ2004聖火リレー

雨の東京を走ってつないだ聖火の炎

5大陸をつなぐ初めての国際聖火リレーが東京にやって来た。この聖火リレーの中で、東京はオーストラリアのシドニー、メルボルンに続く3番目の開催地だ。

東京の新名所「六本木ヒルズ」がスタート地点の岩崎恭子さん。

6月6日は前日までの好天が一転し、早朝からあいにくの雨。関東地方が梅雨入り宣言をした朝、「ゼウス」の愛称を持つ聖火を運ぶ特別機が羽田に到着した。聖火のランタンを手に現れたのは、アテネ2004オリンピック競技大会組織委員会のジェネラルマネージャー、ボロス・ゲオルギオス氏。聖火は東京のリレー出発点である臨海副都心のビッグサイトへ向かった。
ビッグサイトの出発式は、深川辰巳太鼓の祝賀演奏、アルビレックス・チアリーダーズによるチアリーディング演技、嘉悦女子中学高等学校生徒によるマーチングバンドが披露され、賑やかに始まった。
国際オリンピック委員会(IOC)猪谷千春委員から、アテネ2004オリンピック聖火リレー/東京の開会宣言が、また東京都教育庁、鮎沢光治次長から開催都市代表挨拶が行われ、午前11時、雨の中いよいよ聖火リレーが始まった。
この日聖火をリレーした人数は136人で、最年少14歳から最高齢79歳までが参加。
第一走者、長嶋一茂氏によって聖火はお台場を出発。アジアで初めてオリンピックが開催された東京を40年振りに走る聖火は、東京オリンピックに所縁の地や東京の名所を次々とつないでいった。雨にも関わらず、沿道には多くの傘の花が咲き、旗が振られ、ランナーへ声援が飛んだ。

中野浩一さんはレインボーブリッジの特別走行区を自転車で走った。

オリンピアンでは日本オリンピック委員会(JOC)会長の竹田恆和(ミュンヘン・モントリオール大会参加)、具志堅幸司(ロサンゼルス大会体操金メダリスト)、清水宏保(長野冬季大会スピードスケート金メダリスト)、鈴木大地(ソウル大会競泳金メダリスト)、古賀稔彦(バルセロナ大会柔道金メダリスト)、岩崎恭子(バルセロナ大会競泳金メダリスト)、小谷実可子(ソウル大会シンクロナイズドスイミング銅メダリスト)、田中ウルヴェ京(ソウル大会シンクロナイズドスイミング銅メダリスト)、釜本邦茂(メキシコシティー大会サッカー銅メダリスト)、村主章枝(ソルトレークシティー冬季大会フィギュアスケート5位)、三宅義信(東京・メキシコシティー2大会連続金メダリスト)、の各氏が参加。レインボーブリッジの特別走行区はスポーツコメンテーターで元競輪選手の中野浩一さんが自転車で走り抜けた。

石川県から参加した幼稚園の先生、近藤美穂さん。

一般公募からJOCが推薦した5名のランナーも聖火をつないで走った。それぞれのランナーは、走り終えた感想を次のように話した。
幼稚園の先生がご職業の近藤美穂さんは、お台場中央交差点付近を走った。
「石川県から参加しました。友人も知り合いも同行しなかったので、見知らぬ人に囲まれて少しドキドキしました。控え室では前のランナーの方と聖火の受け渡しを打ち合わせしました。本番が近づくにつれ、緊張が高まっていきました。実際に始まり、前のランナーの方がすごく嬉しそうな表情で走ってきて、私のトーチに聖火が灯った瞬間、緊張がどこかに吹き飛んでしまいました。沿道の皆さんの応援に囲まれて、楽しい雰囲気で走ることができました」

茨城県から参加した高安智彦さんは、家業の傍ら不登校の指導にあたる元中学校体育教師。

茨城県から参加した高安智彦さんは、元中学校の体育教師で、現在は家業を継ぐ一方、週末には不登校の生徒の教育に携わる方。新橋から銀座にかけて走った。
「今日に備えて昨晩は早く寝ようと思ったのですが、なかなか寝つけませんでした。沿道には自分が思っていた以上に人が出ていてビックリしました。走る前は、自分がランナーに選ばれたという事実の認識しかありませんでしたが、実際に走ってみると、『自分は今、世界で1人だけ聖火をつないで走っているのだ』という責任感を感じ、ランナーとして選ばれたことの重大さをひしひしと肌で感じました。今回の経験を通じて、教え子たちに何か伝えることができればいいなと思います」

2回目の聖火リレー走者となった野村八詠子さんは、柔道の野村忠宏選手のお母様。

JOCや多くの競技団体本部の所在地である岸記念体育会館付近で、JOC竹田会長と聖火をつないだのは野村八詠子さん。アテネオリンピックの柔道男子60kg級日本代表、野村忠宏選手のお母様だ。
「実は、私は聖火リレーに参加するのは今回で2回目です。1度目は40年前の東京オリンピックの時に、和歌山から五条までの約2kmの区間をランナーとして走りました。オリンピックがアテネに戻る記念すべき大会の聖火ランナーに選ばれて、本当に嬉しい思いでいっぱいです。走る前に私が抱いた想いは、聖火をアテネへ届けるという使命感はもちろん、自分が運んだ聖火を通じて、息子忠宏へ「アテネで健闘して欲しい」という祈りを届けたい、というものでした。しかし、いざ自分の番になり走り始めると、緊張で頭の中が真っ白になってしまいました」

福島工業高等専門学校に通い、部活動はソフトボールという三浦由香里さん。

野村さんからJR原宿駅近くの五輪歩道橋で聖火を引き継いだのは三浦由香里さん。学校の部活動ではソフトボールをしているという、福島工業高等専門学校の学生だ。
「自分が走る区間に向かうためのバスに乗り込んだ瞬間から胸が高鳴り、どんどん緊張していくのが分かりました。とにかく沿道にたくさんの人がいてビックリ!声援に混じって、応援に来てくれた友だちの声が聞こえた時は嬉しかったですね。日本全国から様々な年齢の人が集まって行われた今回の聖火リレーは、学校とは違った交流や出会いがあって、いい刺激になったと思います。自分がつないだ聖火が人から人へ、手を伝ってアテネへ運ばれるのだと実感できて、ますますオリンピックが楽しみになりました。またいつか、日本で聖火リレーが行われる時には参加したいと思います」

ジョギングが日課になっているという会社役員の宍戸幹尋さん。

会社役員の宍戸幹尋さんはジョギングを日課とされている。
「緊張はあまりせず、とにかく楽しかったですね。聖火ランナーとして走ってみて、家族や知らない人から「ガンバレ」との声援を受けて、応援することの素晴らしさを肌で感じました。走る距離こそいつものジョギングの距離と比べれば短かったけれど、難しかったのは笑顔。走っている約4分間、笑顔を続けるのは意外と大変でした。走っている時は『もし、自分がこの火を次のランナーにつながなければ、8月にアテネで聖火が灯ることはない』という使命感を持って運びました」

134区を走った田中ウルヴェ京さんはソウルオリンピックの銅メダリスト。

東京オリンピック・メキシコシティーオリンピックの金メダリスト三宅義信さんは最終ランナー、福原愛選手に聖火を引き継いだ。

最終ランナーを務めた福原愛選手。


走りながら出場できなかったモスクワ大会を思い出したという具志堅幸司さん。

135番目のランナーは、40年前の東京オリンピック、36年前のメキシコシティーオリンピックのウエイトリフティングで金メダルを獲得したオリンピアン、三宅義信さんだった。
「東京オリンピックから40年という時間が経過したことを改めて実感するとともに、聖火のように不変のものもあり、それは平和への願いにもつながっているのだと思いました。東京オリンピックの最終聖火ランナーを務めた坂井義則さんは英雄ですね。今日初めて聖火ランナーの喜びと不安を経験し、金メダルより嬉しかったです」
東京オリンピック代表選手から聖火を引き継いだ最終聖火ランナーは、開催が目の前に迫ったアテネオリンピックの卓球日本代表、福原愛選手。雨が上がった東京都庁都民広場に、頬をピンクに染めた福原選手が入ってくると、あちこちから「愛チャン!」と声があがった。
「今日のためにてるてる坊主も作りましたが、あいにくの天気でした。前日の説明会で、トーチを持って走っている間は、聖火を持っているのは世界で1人だけ、と言われてすごく緊張しました。走っている時はどこを見たらいいのか分からないくらい緊張していて、何も考えずにひたすら走りました。沿道でこんなにたくさんの人が応援してくれているとは思っていなかったのでビックリしました。自分が運んだ聖火が、アテネの聖火台に炎を灯すのだと実感できたよい機会になりました。アテネではケガなどをしないようにがんばりたいと思うので、応援をよろしくお願いします」と話した。


竹田会長は日本オリンピック委員会の所在地付近をリレーした。

3番目のランナーとして走り、都民広場の到着式典に参加していた具志堅幸司さんは「私は20年前のロサンゼルス大会に参加しましたが、出場する予定だったモスクワ大会が日本不参加で出場できず、大変悔しい思いだったことを走りながら思い出しました。トーチを持って走るのは、結構難しいことでしたよ」と感想を語った。
到着式が行われる都民広場では、聖火の到着を待ちながら、東京都立片倉高等学校吹奏楽部による元気いっぱいの演奏などが催された。
最終ランナーの福原愛選手は、石原慎太郎東京都知事と手を取って、136人がつないだ聖火を聖火台に点火した。
石原都知事は「テロがあちこちで起こるなど物騒な種が尽きませんが、やはり人間は人間です。聖火で世界を1つにつなごうという熱い思いで、聖火がかつてオリンピックが開催された東京にやって来ました。聖火は今日一日東京を走りました。明日、この火は海を渡ってソウルへと向かい、8月には同じこの火がアテネの聖火台に灯ります。みんなで力と心を合わせてアテネのオリンピックを成功させましょう。そして、日本の代表選手団が大きな成果をあげることを願っています。ニッポンがんばろう!」と挨拶した。
IOCジャック・ロゲ会長からのメッセージ、アテネオリンピック組織委員会と駐日ギリシャ大使からの挨拶に続いて、JOC竹田会長が挨拶を行った。
「近代オリンピック発祥の地、ギリシャ・アテネで開催される第28回オリンピック競技大会の聖火が、今、皆様の前に灯りました。この聖火はアテネを出発後、シドニー、メルボルンと引き継がれ、本日の朝東京に到着し、136人のランナーによって運ばれてまいりました。私もランナーの1人として聖火を運ぶ大役を務めさせていただきました。
5大陸、26の国、33の都市、1万を超えるランナーによってつながれ、ギリシャへと運ばれる国際聖火リレーは、オリンピックが求める世界平和と友情をメッセージとして世界に伝えることができる大変素晴らしい企画だと思います。この聖火は5大陸をつなぎ、8月13日にアテネの聖火台に聖火を灯し、202の国と地域から集まるトップアスリートによって繰り広げられる熱戦は、多くの感動とドラマを呼び起こすことでしょう。
アテネに向かう日本選手団全員が、皆様方の温かい声援を力とし、持てる力を十分に発揮して自分の夢を叶えることができるよう、そして国民の皆様と感動が共有できるよう、選手団は一丸となって総力をあげて戦って参りたいと思っております。国民の皆様には、日本代表選手団への温かいご声援を心からお願い申し上げます。

この素晴らしい聖火リレーを東京で開催する決断をしていただいたアテネオリンピック組織委員会、スポンサーとしてご協力いただいたコカ・コーラ社、サムスン社の皆様、実施にあたって多大なご努力を頂いた東京都、関係団体、駐日ギリシャ大使など、多くの方々にお世話になりました。この聖火が世界の平和につながることを願います。本日はありがとうございました。ぜひ日本選手団を応援してください。よろしくお願いします」

式典の最後に、シンガーソングライターKOKIAによる日本代表選手団公式応援ソング「夢がチカラ」が演奏された。

聖火は6月7日、次のリレー地、第24回大会が開催されたソウルへ向けて旅立っていった。
136人がリレーした聖火は、石原都知事と福原愛選手によって聖火台に点火された。
東京駅八重洲側の中央通りを通過する聖火。雨の沿道から声援が飛ぶ。
Photo/上ランナー:AFLO SPORT 下2枚:フォート・キシモト