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オリンピックムーブメントと嘉納治五郎

嘉納治五郎略歴

1860年 10月28日 兵庫県御影(現神戸市)に嘉納治朗作・希芝の三男として生まれる。
1870年 父に伴われ上京。
1881年 7月 東京大学文学部政治学及び理財学卒業
1882年 1月 学習院講師
2月 嘉納塾創立
3月 南神保町に弘文館(英語学校)を創設
5月 下谷稲荷町・永昌寺内に講道館創設
7月 東京大学文学部道義学及び審美学科卒業
1885年 4月 学習院幹事兼教授
1886年 6月 学習院教授兼教頭
1891年 8月 第五高等中学校長
1893年 1月 文部省大臣官房図書課長
6月 第一高等中学校長
9月 高等師範学校長
1896年 4月 清国より政府留学生13名の教育を引き受ける
1897年 9月 高等師範学校長退任
11月 高等師範学校長
1898年 6月 文部省普通学務局長(同年11月まで)
1899年 10月 清国(中国)政府派遣留学生教育の委託を受け神田三崎町に亦楽書院を設け、後1902年1月牛込区西五軒町に移転し宏文学院となる。
1909年 7月 清国留学生減少のため宏文学院閉鎖
秋 国際オリンピック委員会委員
1911年 4月 講道館に柔道教員養成所設置
7月 日本体育協会創設、推されて会長となる
1912年 7月 第5回オリンピック競技大会(1912/ストックホルム)に日本初参加
1920年 1月 東京高等師範学校長退任
1921年 3月 日本体育協会長辞任・名誉会長
1922年 1月 講道館文化会創立
1924年 3月 東京高等師範学校名誉教授
1936年 7月 IOC総会(ベルリン)に出席し、第12回オリンピック競技大会(1940年)を東京に誘致することに成功。
1938年 3月 IOC総会(カイロ)に出席後、米大陸回りでバンクーバーより帰国の途中、肺炎のため5月4日太平洋上・日本郵船氷川丸船中にて永眠、6日横浜港に喪の帰朝となる。享年79。