MENU ─ 長野1998

長野1998


注目選手インタビュー 長野への道

このコーナーでは長野オリンピック候補選手のインタビューを随時掲載していきます。

NAGANOへのチャレンジャー(1)
アルペンスキー・スラローム
木村 公宣
(ロシニョールジャパン)
オリンピックは 4年に一度の祭り。
失敗はできない

昨シーズン、アルペンスキーW杯種目別スラローム(SL)で総合8位の成績を残した木村公宣。なかでも、3月9日に行われたW杯志賀高原大会のレースでは、強烈なイメージを残す滑りでW杯自己最高の4位入賞を果たした。その滑りは、会場に詰めかけた地元日本のファンに、アルペンスキーの面白さ、洗練度の高さを存分にアピールすることになった。

その結果、マスコミの期待が集中したが、木村は「長野オリンピックは、まだ朦朧としか見えませんが、今やらなければならないことは分かっています。」と、オリンピックを直接意識する言葉を控えてマスコミを交すことが多い。
ともすると、すぐに湧き出してきそうになる、焦る気持ちを抑え込むかのように—。

初体験の取材攻勢

全日本アルペンチームのトレーニングは、合宿と個人トレーニングを交互に取り混ぜて行う。雪上、陸上を問わず、フィジカル面は4月のオフを除き、トレーナーのハイニ・ベルグミューラーが選手個々の体調を見ながら1週間単位でトレーニング(コンディショニング)メニューを作成する。

木村の場合、もともと持久力のレベルは高いので、持久力を維持しながら、瞬発力と筋力の向上を大きな目的としたメニューが組まれている。

トレーニングでは多くの報道陣の視線が木村に集中するが、彼は戸惑うことなく、淡々とトレーニングメニューをこなしていく。5月の筑波合宿では事前の取材申込の多さや、当日50人を超える報道陣の多さに少し戸惑いはしたものの、いまでは「忙しいうちが華ですから」とペースは崩さない。

もっとも、個別に対応していてはトレーニングの時間も睡眠時間もなくなる量なので、合宿ごとに取材日を決め、共同インタビューで取材に対応している。

国内のビックゲームで結果を出す

長野オリンピックの前哨戦でもあった3月9日の「W杯志賀高原大会SL」で4位入賞を果たすと、木村に対する期待は急速に高まった。これまで日本人初の第1シード選手の海和俊宏も、2位と3位の表彰台を経験している岡部哲也も、国内の世界選手権、ワールドカップでは満足な結果を残せていない。その過去を打ち破った木村に期待が集まるのは当然のことである。

アルペンがジャンプやコンバインドと決定的に違うのは、過去にオリンピック、世界選手権、ワールドカップを通じて、一度も表彰台の中央に立ったことがないということだ。ワールドカップでは岡部哲也が何度か表彰台に上がっているが、56年のコルチナ・ダンベッツォ・オリンピックの猪谷千春(現IOC理事)の銀メダル以来、日本人にとってオリンピック、世界選手権で表彰台は遠い存在であり続けてきた。しかし、木村の志賀高原での滑りは、遠かった表彰台を引き寄せたと言っていい。もちろん、オリンピックだけでなく、悲願のワールドカップ初勝利の期待も木村にかかってきている。

二つの経験

昨シーズンの木村は、オリンピックに向けて貴重な経験を積んだ。一つは2月に行われた「世界選手権セストリエール大会」だった。

夕方6時スタートのナイターSLに備え、日本チームは同じ時間帯にトレーニングを繰り返してきた。また、1月30日のシュラドミングのナイターSLでも木村は5位にはいっており、日本アルペン界初の世界選手権メダル獲得への機は熟しているかのように見えた。

しかし、木村は4番というスタート順に舞い上がってしまい、ここまで失わなかった"挑戦する"という気持ちが、守りの気持ちに変わっていた。1本目は攻めるどころか、守った滑りでトップから2秒24遅れの17位。3年前なら20番以降のスタートから攻めて獲得していた順位である。そして挽回しようとした2本目は、無理な滑りで失敗してコースアウト。明らかに、周りのプレッシャーに自分を見失った結果だった。

失敗に終わった世界選手権後、十分な休養を取り、W杯志賀高原大会を迎えた。このレースは木村にとって世界選手権を超えたワールドカップであったと言っていいだろう。翌年の長野オリンピックと同じコースというだけでなく、オリンピック本番の大観衆や、マスコミの取材攻勢までシュミレーションできる唯一のチャンスとして貴重なレースになったのだ。取材陣をシャットアウトしてレースを迎えることも可能だったが、あえて記者会見を開き、100名を超える報道陣からプレッシャーを受けるという経験もした。

結果は1本目8位、2本トータルで4位と自己最高の結果でプレッシャーにこたえた。「声援に後押しされた」と木村が言うように、すべてが「負」のプレッシャーにならないことも収穫だった。

1万5000人を超える観衆は、心から木村をはじめとする日本選手を応援していた。その観衆のエネルギーを吸収し、自分の力に変える感覚も身に付けた。木村は世界選手権のミスをミスで終わらせなかったのだ。

自分を信頼できれば

W杯における自己最高順位を4位に更新。SL種目別8位が昨シーズンの木村の成績である。来年2月の長野オリンピックで彼にかかる期待はメダル、つまり3位以内に入ること。これが、マスコミがさらに木村を大きく取り上げることになる条件といってもいい。来シーズン、長野オリンピックまでに予定されているSLのW杯は7レース。このW杯で上位に入ることができなければ、長野でのメダルの可能性も低くなる。「W杯で成績を出さないと、オリンピックに結び付かない。今は自分の課題をクリアして、冬までに100%に近づけるだけです」オリンピックのことを聞かれると木村はこう答えることが多い。
 しかし、あるインタビューでオリンピックを「4年に一度の大きな祭」と表現した時、付け加えるように、「そこだけは失敗できない」とぽつりと言った。この言葉が、木村のオリンピックにかける唯一の強い印象だった。

複数シーズンにわたり上位に定着し、優勝も経験している選手ならともかく、初めて第一シードを確保した木村には、まだ上るベき階段は残っている。そのことが分かっているからこそ、彼はコーチを信頼してトレーニングを積むことで不安を解消している。「最終的には、自分の滑りを信用できるかどうかということ。そこまで自分を持っていくには練習の濃さが必要です」

2年前に体調を崩して入院しただけに、トレーニングに加えて自分の体調を良好に保つことも重要な課題。その意味からも、トレーナーのハイニ・ベルグミューラーを木村が全面的に信頼できるということは大きい。フィジカル面のコントロールは、彼の作るメニューを信じてトレーニングをこなしていく。スキーテクニックの問題点は児玉修、重吉武志の両コーチと話し合って修正していく。そしてチーム全体の動きは古川年正ヘッドコーチがコントロールしてより良いトレーニング環境を作る。

コーチとの信頼関係が保たれていることで、木村はトレーニングに100%打ち込むことができ、それが自分の滑りを信じてシーズンを迎えることにつながる。自分の滑りを信じることができない選手に成功はあり得ない。

課題は一本目

表彰台—その頂点を目指すには、木村自身の精神面がもう一つ高いレベルに上がらないと難しい。2本勝負のSLでは、圧倒的な力の差がない限り、1本目で5位以内に入っていない選手が優勝するのは困難だ。これまでの木村は、1本目はあまり良くなく、吹っ切れた精神状態の2本目で追い上げるレースが多かった。

「勝つためのレースをするには1本目が課題です。1本目で5位以内に入っていけるような状態を作っていかないと、勝ちにいけるレースにはならない」
と木村は言う。1本目に5位以内に入れば入ったで、精神状態は変わってくる。
「優勝や表彰台を意識した状態で、2本目に自分の滑りができるかどうか」
ということになる。
「1本目に5位以内に入るレースを何回も経験して、2本目にも良い滑りができるようにならないと、成績はまとまらない。去年より、1本目をもう少し積極的に攻めるスキーをやっていこうと思います。シーズンに入って成績が良くなってくれば、オリンピックが見えてくると思いますが、今はまだその前の段階です」

シーズンに入ればW杯で成績を出すことが、オリンピックに向けて何よりの自信となり、それがプレッシャーの解消になる。「オリンピックのスタートに立った自分をイメージしたことは、まだありません。でも、そろそろイメージしてみようと思います。志賀高原のレースが土台のイメージとして残っているので、オリンピックに置き換えて、自分のまえにトンバ(イタリア)やシコーラ(オーストリア)がスタートするイメージを作って、自分にプレッシャーをかけてみたい」W杯で確実に2本目に残れる(1本目30位以内)ようになってから木村はプロスキーヤーとして、「自分の滑りをヨーロッパの人に見せつけたい」と話すようになった。

第1シードに入った今、さまざまな方法で自分自信に対してプレッシャーをかけて、自らの心を鍛えている。
トレーニングを開始してから2ヵ月、オリンピックを強く意識した発言はしないが、オリンピックにかける気持ちは水面下でメラメラ燃えている。

ページをシェア