コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

アスリートメッセージ 2回目のオリンピック、今までとあまりスタイルは変えない。目標は前回の順位以上。やっぱりメダルってことになる。

文:折山淑美

最初から積極的にいこうと考えていた。 それをベースにしたら、自分のペースに持ち込めた。

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2007年9月、第11回IAAF世界陸上競技選手権大阪大会
(写真提供:アフロスポーツ)

2007年9月2日に行われた第11回IAAF世界陸上競技選手権大阪大会の女子マラソン。土佐礼子が見せた粘りは見事というしかなかった。

大集団で進んだレースは26km過ぎから動きはじめた。30kmで9人、32kmで8人になった集団は、38km過ぎには5人に。そして39km手前でその集団から最初に落ちたのが土佐だった。だが、彼女の真骨頂はここからだった。

「何があるかわからないから、ゴールまでは辛抱しようと思いました。ここから頑張らなければマラソンにならないし。もっと陽が照れ照れ、暑くなったら前が落ちてくる、と思っていました」

39.4kmでリタ・ジェプトー・シティエネイ(ケニア)を抜いて4位に上がり、40.3kmでは朱暁琳(中国)をかわして3位に。そのまま2時間30分55秒でゴールし、日本人トップでメダル獲得という、北京オリンピック代表内定条件をクリアしたのだ。

「展開もまた、私にとっていいようになったと思うんです。あそこで集団がバラけておかないと、最後のラスト勝負になったらもう間に合わなかったと思うし。最初から積極的にいこうとは考えていたけど、それをベースにしてやったら、本当に自分のペースに持ち込めた感じですね」

指導する鈴木秀夫監督は土佐の走りをこう評価した。

「本人は不安ながらも、自分の走りをしようと思っていたようですね。レース中も前にでて、無理に揺さぶるような感じではなかったけど、相手を自分のペースに巻き込んでいたのが良かった。だから他の選手は、出たくても出られないような状況になったのだと思うんです」

土佐にとって世界陸上競技選手権の銅メダル獲得はクリアすべき最低条件だった。ここで北京代表を内定しなければ出場した意味はない。もしダメだった場合、次のレースまで自分の気持を維持し続けることは難しいからだ。

だが、土佐の銅メダルまでの道も平坦ではなかった。大会1ヶ月前の7月末、合宿する中国・昆明で練習中に転倒して膝を強打したのだ。

「転んだ時は『あっ、こけちゃった』くらいで、明日走ればいいかな、って思う程度だったんです。でも、夜になったら腫れてくるし、痛くて眠れないし…(笑)。一瞬、『コリャー困ったな、出られないかなー』と思ったんです」

帰国して検査すると幸いにも骨には異常がなく、痛みが引いてきた8月11日から練習を再開することができた。だが、世界陸上競技選手権へ向けての練習を始めた時も故障上がりで、長い距離を走り込む練習から入るしかなかった。最後の仕上げで入れる予定だったスピード練習もできないままで本番に臨むことになった不安はあった。

「ハイスピードのレースには対応できない。暑くなってスローペースになってくれ」
その願いが天に通じたのだ。

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