コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

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スノーボード界に新たな女王が誕生した。彼女の名前は成田夢露選手。小学6年生からプロスノーボーダーとなり、天才少女として注目されていたが、2004・2005シーズンからワールドカップにフル出場。女子ハーフパイプ7戦のうち優勝2回、表彰台には5回上がり、見事種目別総合優勝を果たした。
「なによりも自分のベストを尽くして総合優勝を獲得した時はうれしかった!」と成田選手。(財)全日本スキー連盟(SAJ)が定めた選考基準をクリアし、第20回オリンピック冬季競技大会(2006/トリノ)の内定選手となった。

スノーボードは1998年第18回長野冬季オリンピックから正式種目になった。成田選手が出場するハーフパイプは半円筒形のコースを往復滑走し、コースの縁を利用してアクロバティックな空中演技、ジャンプの高さ、回転などの完成度を競うものだ。成田選手は横に1回転半、たてに2回転するオリジナル技『メロウ72』をワールドカップで決め高得点をマークしたのだが、ダイナミックな技を決めるその姿は、154cmという小柄な身長から考えられないほど大きく見えた。

そもそも成田選手は最初からスノーボードの選手だったわけではない。5歳からモーグルを始め、6歳の時、モーグルマスターズの競技会の一般女子の部に出場し、優勝。成人女子の中での優勝なので、いかに彼女が非凡な才能と運動神経を持っていたかがわかる。そして6歳でスノーボードに転向。
「スノーボードはカナダで始めたのですが、兄と1枚のボードを取り合っているような状態で、とても楽しかったです」と、成田選手は昔を懐かしむように語った。

成田夢露成田選手といえば2歳上の兄、童夢(どうむ)選手と6歳下の緑夢(ぐりむ)選手もスノーボードの選手。とりわけ兄、童夢選手はトリノ冬季競技大会での活躍も期待され、オリンピック1年前の2005年2月10日にイタリア・トリノを会場として行われたワールドカップでは童夢選手3位、夢露選手2位と兄妹そろって表彰台に立った。兄妹が同じ日にワールドカップの表彰台に上がったのは史上初の快挙だった。

「兄弟で同じ競技をやっていると、お互い励ましあえるからやりやすいです。イタリア戦の時は私も足首の調子がよくなくて、技が効かず、最後のふんばりも上手くいかなかたんです。でも兄の方が私より深刻なひざの故障を抱えていたし、その痛みも私はわかっていました。でも兄は一言も痛いと言わずに頑張っていたんです。その姿を見て、自分も“頑張らなきゃ”と思いました」

常にライバルは兄弟という成田選手。特に弟の緑夢選手はかなり意識しているという。そして尊敬している人は父親であり、監督である隆史さん。
「世界で戦うにあたって、どうしても自分でできる範囲って決まってしまいます。監督はいつもいろんなことを考えて、先のルートを作ってくれるのですごいと思います」と成田選手は監督の存在の大きさを語った。


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