コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

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1974年に米国・サンディエゴで誕生したトライアスロンは、2004年でちょうど30年という若いスポーツです。1980年代のフィットネスブームにのって世界中に広まり、日本でも1981年に初めて鳥取で大会が開催されました。
                            
トライアスロンは2000年のシドニー大会でオリンピックの正式競技となりました。2004年のアテネ大会は原点のギリシャに還るという意味がありましたが、誕生30周年となったトライアスロンにとっても記念すべき大会だったといえます。

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2004年のオリンピック、アテネ大会のバイクコース。選手たちは1.5kmのスイムの後に起伏の厳しい坂をバイクで駆け上がった。


1.5km泳いで、40km自転車で走って、10km自分の足でまた走るという51.5kmが通称“オリンピックディスタンス”と呼ばれ、オリンピックを含む世界のトライアスロンレースの85%以上がこの内容で行われています。

アテネ大会でトライアスロン日本チームの選手は5名が参加し、NTT東日本・NTT西日本所属の関根明子選手の12位が日本人トップの成績でした。
関根選手は4〜14歳まで競泳、高校から陸上の長距離ランナー、実業団でもダイハツ工業(株)陸上部に所属して活躍していました。

--競泳と陸上の選手経験があったのでトライアスロンをやってみる気持ちになったのですか?
「そうではありません。私はとにかくオリンピックに出たかったのです。オリンピックに出るためだったらトライアスロンじゃなくてもよかったのですが、水泳を10年、陸上を7年、合計17年もスポーツをしてきたのにもかかわらず、これという結果が出せていませんでしたので、17年の集大成という意味もあってトライアスロンに転向しました。もう1つの理由として、陸上競技・水泳とも本番に弱く、練習の成果を出すことができませんでした。そういう精神的な未熟さ・弱さを克服したかった、ということがあります」
と、ちょっと意外な答えが返って来ました。

トライアスロンのシーズンは4〜11月までの8カ月、12〜3月の冬はトレーニングが中心のシーズンとなります。
「1シーズン8レースくらいに出場します」という関根選手。
なんとひと月に1回のペースでレースに出場していることになります。また性格的にササッと終らせた方が調子が良く、どのレースにも真剣勝負をしてしまうのだそうです。
「アテネの時には試合の10日位前に現地入りしたのですが、私としては試合までが長過ぎたと反省しています。また総合的な練習がうまくいかなかったことが残念でした。三宅義信監督の存在は、私にはメンタル的にとてもいい影響がありました」

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アテネ大会のトライアスロン会場の観客席には日本の応援団が大勢詰め掛け、選手に声援を送った。


--アメリカ生まれのトライアスロンは、アメリカかオーストラリアが強そうなイメージがありますが、アテネ大会の金メダリストはオーストリアのケイト・アレン選手でした。入賞にもヨーロッパ勢が多いのにはどんな理由があるのですか?
「なんといっても自転車文化の違いです。ヨーロッパにはツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアのように、一般の人たちがサッカーと同じようなメジャーなスポーツとして自転車レースを受け入れています。また街中には自転車専用道路が整備されています。移動手段として女性も普通にロードレーサーに乗っている姿をよく見かけます。その差は本当に大きいですね」

--プール育ちの競泳選手が海で泳ぐのは恐いことではないですか?
「恐いです!時には底が見えないくらい深いところを泳がなくてはならないこともありますし、平らじゃないし、いつどこからどんな生き物がでてくるかわかりませんから。試合の時は考える余裕もありませんが、サメが出てきたらどうしよう、と思うこともあります。アテネの海は何も心配なく、コバルトブルーの素晴らしく美しい海でした」


関根選手のアテネ大会の成績は総合タイム2:07:34.02、12位でゴールした。




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