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高橋尚子

インタビュー

日本陸上競技連盟 理事

高橋尚子さん

きっかけ・理由

中途半端にはできないという気持ちと恩返しという気持ち

理事になるまでの戸惑い

2009年に現役を引退し、それからすぐに、テレビキャスターの仕事をさせていただく機会が多くなりました。それまでランニングばかりに集中して、テレビは見ない、パソコンはしない、携帯は使わない、コンビニにも行かないという、食べて・寝て・走るだけの生活だったところから、いろいろな世界を見るようになりました。そして、新しい世界での生活が少し波に乗ってきたのが2013年で、陸上競技連盟(以下、陸連)とJOCの理事をほぼ同じタイミングで始めさせていただいたんです。もっと前から声をかけてくださっていたのかもしれませんが、私はいろいろなことを一度に始めるとパンクしてしまうようなところがあり、その頃は、ようやく自分でも理事の仕事をお引き受けできるかなと思えるようになった時期だったと思います。

ただ、一方でマラソンのイベントや子どもたちとのランニングクリニック、キャスターの仕事などが自分の生活の基盤になっていましたので、それは崩したくない、中途半端になってしまわないかと躊躇しました。私にとっても団体にとっても、別の方を理事として迎えたほうがいいのではないか、という葛藤はあったのですが、JOCの方や陸連の方に、あらかじめ「できるだけ参加できるようにしますが、仕事との調整しながらでもいいですか」、あるいは「結団式などがあると理事会に出席することができないかもしれません」ということをお話させていただき、了承をいただいたうえで、理事の仕事を始めてみることにしました。

後押ししたもの

理事の仕事内容に関する詳しい説明はいただきませんでした。ただ、「世界のトップレベルで戦ってきて、いろいろな世界を見てきていらっしゃると思うので、アスリートならではの意見を出して、より決定権のあるところで、よりアスリートに寄り添った決定をくだしていただきたいです」というお話はありました。

そのようなお話をいただいて、「私の今までの経験を、良かったことも悪かったことも含めて伝えることで、陸上界やスポーツの世界がより良いものになっていくかもしれない」という思いや、「これからの選手たちと私を育ててくれた陸上に、恩返しできる機会をいただいたのかな」という気持ちでお引き受けしたのが最初でした。

気づいたこと

セカンドキャリアとしての理事

現役時代にはわからなかったこと

現役を終えて理事になり、「尽力してくださる方がこれだけたくさんいらっしゃるからこそ、陸上やマラソンの大会が成り立ち、自分も大きな応援をいただくことができたのだ」ということ、ほかにも初めてわかることが、とても多くありました。

現役時代は、目の前にある練習やタイム、自分の体のことで必死だったので、そこに関わっている企業や監督・スタッフといった、目に見える人たちのことは認識していましたし、そのような人たちには大きな感謝の思いを持っていましたが、1つの競技会を成り立たせるためには、JOCや陸連、IOCも含めて、これほど多くの人が関わっているのだという、競技会の開催の仕組みを知ったことは大きかったと思います。

アスリートの次の選択肢として

理事会が、引退したアスリートにとって活躍がしやすい良い職場であり、そこを経てからのアスリートの人生が明るくなるような場所であるといいなと思います。アスリートにとって、セカンドキャリアを持つというのは、とても難しいことだと思います。どの競技もそうですが、競技人生が終わったら「はい、さようなら」、ではありませんが、選手生活を終えたあとの自分が活躍する場が見えません。選手だった人たちが、テレビキャスターになったり、競技団体に関わって活躍したりすることで、現役の選手たちに、引退後に進む方向性を示せるのではないかと思っています。

最近は、デュアルキャリアも含めて、現役選手としての自分と、将来引退したあとの自分を、同時並行で考えられるような多才な選手が増えてきていると思います。引退後に、たとえばIFに行ったり、IOCに行ったりと、私が理事の仕事をすることが、現役の選手たちの引退後の道筋を考えるきっかけになるといいな、とも思いました。

特に私は選手としてのイメージが強かったと思うので、私が理事をすることで、現役選手たちに1つの行き先を示し、新しい世界に扉を開くことができるかもしれないという気持ちはありました。

大変・戸惑い

最初の戸惑いから部会長としての戸惑い

何を言っているのかがわからない

何もわからなかったので、わからないからこそ、飛び込んでいろいろなことを感じてみようという気持ちもありました。でも実際は、陸連では陸上をしてきたことでいろいろと感じたことを話せても、JOCの会議では、強化の仕組みとか体制とかも含めて知らないことが多かったり、何を言っているのかわからないということもあったりして、言葉を発してはいけないと思っていました。私の質問に「えっ、この人、今さら何を言っているの?」と思われたらどうしよう、と少し躊躇した部分もあり、言っていいのか、悪いのかと戸惑うことはありました。

専門部会長を任されて

山下泰裕さんの後任として、アントラージュの部会長を務めることになり、部会長になったのだからきちんとやらなくてはいけない、となったときに、少し戸惑いがあったかなというのはあります。アントラージュというのは、世界でもまだ新しく、あまりなじみのない分野なのですが、選手を取り巻く「取り巻き」、つまり「環境」を整えるという意味の言葉で、監督、コーチ、親、トレーナー、代理人など、たくさんの人たちが関わります。そのため、どこに特化して問題を考えたらいいのか、ということが難しいんです。日本でのアントラージュの活動は、柔道であったパワハラについて、まず選手を取り巻く監督やスタッフの現状を把握し、そして徐々にクリーンにしていく、という取り組みが最初でした。

現在スポーツ界では、セクハラ・パワハラなどのハラスメント、ドーピング、ギャンブルが世界の三大問題になっています。日本でも、すでにその1つひとつに委員会があり、各委員会で長年、問題を扱ってきているのに、アントラージュの部会でまた新しく取り組むのもどうかという思いもありました。でも、アスリートなしでは対応できないとなると、今度はアスリート委員会とほぼ同じことをすることになってしまうという問題があり、アントラージュは何を目的に、どこを色として出していくべきなのかといった点でとても苦労しました。アスリート委員会や女性スポーツ専門部会とタッグを組むことはもちろん大切なのですが、会によって訴えるところが違うこともあるので、お互いの観点を広げ、問題提起をしていくことが重要です。でも、はじめのうちは、「アントラージュって、ほかの委員会の意見に合わせて色を変えているだけじゃない? 一体、何をしているの?」と聞かれたときに、「私たちはこれをしています」とはっきり答えられませんでした。その焦りといいますか、どうしようという不安は強くありました。

ただ、そのうち、若年層の選手たちが多く活躍するようになったときに、選手の一番のよりどころである家族というものが、とても大きなテーマになることに気づきました。競技の世界では、13~14歳の選手でも、世界のトップで戦っていれば生活は大人のトップ選手と変わらないので、競技や体についての知識をしっかりと身につけてもらわなければならず、その知識を親御さんをはじめご家族にもきちんと備えていただき、ふだんの生活を通して選手をよい方向に誘導していただくということに焦点を置いた活動を始めました。家族、保護者という部分には、今までJOCでは全くタッチしておらず、手探りで始めました。子どもたちに頑張ってほしいとは思うけれども、どうしたらいいかがわからないというご家族の方も非常にたくさんいらっしゃって、今年度は4回ほどセミナーを開催し、全国から集まっていただきました。セミナーでは、たとえば、食事は毎日のことで一番サポートしやすいので、帰ってすぐに実践できるような取り組みを紹介したり、吉田沙保里選手のお母さんに来ていただいて、選手の親として、吉田選手の子どもの頃にどのようなサポートをしたか、あるいはどのようなことに悩み、気をつけてきたかなどについて話をしていただいたり、といった、親御さんへの学びの機会を提供しています。

また、スタミナ重視の種目の選手を持つ親御さんと、ダイエットをさせなければいけない種目の選手を持つ親御さんをひとくくりにはできませんので、種目ごとにセミナーを細かく分けて実施することで、すごく喜んでいただけているように思います。今度開催するセミナーは、日本代表やジュニア代表の選手たちに焦点を絞り、その保護者の方々を対象に実施します。この頃は、これらの活動も、東京オリンピック・パラリンピック、パリオリンピック・パラリンピックを見据えた取り組みに、少しずつ進化してきていると感じています。

私だけが動いているのではなく、JOCの事務局の皆さんには、スケジュールを組んだり、人を集めたりなど、さまざまな配慮をしていただいて、ようやく今、アントラージュの活動が定着して、少しほっとしているところです。

やりがい

再びオリンピックに関われる喜び

サポートする立場からオリンピックに関わる

東京オリンピック・パラリンピックが間近に迫ってきて、私は、オリンピックによって自分の人生が大きく変わったと思っていますので、そういう瞬間に自分がJOCの一員として関われるというのは、すごくうれしいことですし、やりがいを感じます。キャスターももちろん選手たちと関わりはしますが、運営組織というのは競技の核のようなもので、そのなかにいて選手が活躍する環境を作り、選手がやりやすいように背中を押してあげられるのはありがたいことだと思っています。深いところまできちんとできてはいないと思いますが、JOCの一員として、オリンピック・パラリンピックを東京で迎えられるというのはすごくありがたいことだなと思います。

克服

人にたずねる、人を巻き込む

わからないことは聞いてもいい、気にかけてくれる人の存在

理事会は、毎回が勉強であり、徐々に課題を学んでいくという感じでした。ほかの方が、「これがわからないんだけど、どういうことですか?」と質問されたときに、「ああ、私もそういうふうに質問してもいいんだ」と思いました。人の発言を聞いたときに、「あっ、わからないことがあればどんどん聞いてもいいのかな」と思ったり、「的外れかもしれないけれども発言してみて、様子を見よう」などと考えながら少しづつ学んでいきました。ただ、「思ったことをどんどん言うように」なるまでには、JOCでは少し時間がかかりました。

陸連のほうは自分の専門分野ですし、陸上選手であった自分の意見や経験を話すのですから、そこに間違いはありません。それで、周囲に引かれるくらい思いきり言えるのですが、JOCは同じ理事会といっても、その点が違ったかなとは思います。ただ、 JOCにも、私のことをとても気にかけてくれて、相談に乗ってくれる理事の方がいて、心強かったです。

懸念があればとことん議論する

陸連では、私の意見は、陸上の、マラソンの1選手として感じたことだから、そこに間違いは絶対にないという自信を持っています。ですから、本来は皆さん、すんなりと議論を進めたいのだろうと思うのですが、私は、議事が決定する前に自分で何か懸念があると思った場合には、それを発言していろいろ話し合っていただくことがいいことだと思っています。決定してしまったら、もう変えられませんから。話し合いが不足したままで決定事項が発表されてしまうと、いろいろな人から「どうしてそう決まったの?」と突っ込まれたとき、きちんと答えられないのではないかという不安があります。それよりは、「みんなでそのことは話しました。きちんと話しましたけれども、結果的にこういうふうになりました」と、自分たちできちんと検討した結果として伝えられるほうがよいと思うので、何か懸念があったときには、それを指摘して、自分の感覚や経験や立ち位置からいろいろと発言するようにしています。「面倒くさい人だ」と思われていると思います(笑)。きちんと話し合って決定したことなら、自分が反対していた事でも理解をし、みんなの総意になるので、「自分もそれを応援しよう」という気持ちになると思うのです。

メンバーとともにアイディアを出し合い、選手たちと向き合う

アントラージュの部会では、いろいろな提案をいただくのがいいと思っています。1人では解決できないので、部会のメンバーや事務局の方たちにアイデアをたくさん出していただいて、今、何が必要なのかを明確にし、部会全体で議論を進めてきました。

パワハラ1つとっても、今の選手たちは何に対して問題意識を持っているのか、随時、選手と向き合いながらアントラージュの方針を決めて、アスリート本位の問題解決を重視しています。

選び方

大切にする基準

キャリア選びで大切にしていること

JOCや陸連だと、アスリートの立場から発言することが軸になります。自分の生活では、キャスターの仕事がとても大きな軸になっています。キャスターとしてセンターで話すとなると、「代わりに誰か話しておいて」とはいきません。私が選手について話すことを聞いて、みんながその選手のことを応援したり理解したりします。キャスターは大切な役割を果たしていると思っていますので、私にしかできない仕事はどちらだろう、これは求められている仕事だろうかと、今でも優先すべきことを考え、選択しながら活動しています。

ほかの仕事は、小さい仕事でも大きい仕事でも、最初に決まったものから引き受けています。大きな仕事が来たから予定を変える、ということはせず、先に決まったものを優先することを徹底しています。

キャスターで大切にしている基準

スポーツでは、選手が言葉を発しながら競技をするということはあまりありません。ですから、その人がどのような思いでここまでスポーツをしてきて、このオリンピックという場に立っているのかということを、私が間に入って伝えることで「この選手を応援しよう」、「オリンピックに注目してみよう」と視聴者の皆さんに感じてほしいと思っています。選手の大変な時期に私がインタビューの時間をいただくのですから、テレビを通じて「この人のことを応援してあげよう」というファンが増えるように、その人の競技への思いや気持ちをきちんと反映できるように心がけています。

もちろん、JOCではオリンピックが終わったあとのことも考えなければいけないと思いますが、私は、その選手をいかに皆さんに応援してもらえるように紹介するか、人間としてきちんと伝えられるかどうかを大切にしています。レースを見ながら、この選手は今、走りながら何を考えているんだろうとか、何かそういったものがきちんと浮き彫りになって、見ている人にも楽しんでもらえるように心がけています。

変革

期待される2020以後の変化

JOCのイメージを変える

おそらくJOCは、今も選手にとってずっと堅いイメージが続いているのではないかと思います。私は選手時代、JOCに対して、選手に「寄り添う」というイメージを持ったことはなかったので、自分がJOCの一員になっった今は、「JOCはこれだけ選手のことを考えて、寄り添っているんだよ」ということを、もっと選手たちに知ってもらいたい、という気持ちがあります。

JOCのアントラージュの専門部会で、セクハラ・パワハラに関するアンケートを取ると、「関心を持ってくれているんだ」と、選手の皆さんも感じられるようです。アンケートを通して現状を知りたいということもありますが、選手のことを「本当によく考えているんだよ」ということも発信できるんだと感じました。何もアクションしないよりは、選手と密に連絡を取っていくほうが、選手もJOCの存在やJOCの「寄り添う思い」をわかってくれるのではないかと思います。JOCに対して持たれている堅いイメージが、少し軟化されるといいな、という思いがあります。

マラソンも、「走る女性は美しい」という華やかなイメージに徐々に変わってきたように、昔の忍耐・根性のイメージを超える時期に来ているのかなという感じもします。

2020のその後

私はパラネットにも関わっていますが、パラスポーツの環境については、2020が終わったあと、選手がどのようなサポートが受けられるのかもわからず、パラリンピックサポートセンターも2022年までしか存在しないということで、このままでは、東京パラリンピックを目指しながらも、「今後、どうなっていくんだろう」という不安を抱えている方が多いと思います。家族で運営している競技団体も多く、手が回りませんから、昔ながらの競技会という試合も多くあります。パラスポーツの分野では、どのように人材を育成するか、競技会をどのように見せていくかなど、課題が多岐にわたり、考えるべきことが多いと感じています。

JOCや陸連の新たな課題としては、ガバナンスコードができて、やることが漠然としている状態から、「やらなければいけない」という明確な目標に変わり、みんなが前を向き、1歩を踏み出さなければいけないところに来ていますので、これから状況が大きく変わっていく4年間になるのかなと思っています。

オリンピック・パラリンピックが終わったあとに、この前向きな状態をどのようにつなげていけるかが問題です。やはりこれだけのお金をかけられ、多くのサポートを受けているのですから、これからどのように継続し、発展させていくのかということが大きな課題だろうと思います。

支援・試み

ガバナンスコードの意義、そしてアスリートが再び輝く場としての理事

見えてきた変化

今は女性の活躍している姿が割と多く見えるようになってきました。橋本聖子さんがオリンピック大臣になられましたが、女性がスポーツを牽引していく立場にいることが、女性選手たちに引退後の道筋を1つ示していると思います。また橋本さんのほかに、鈴木大地さんや馳浩さんがあのような立場(鈴木さんはスポーツ庁長官、馳さんは衆議院議員)にいらっしゃることによって、スポーツの価値も上がってきていると思います。スポーツを応援する風が強く吹いてきているように感じます。

これから女性理事にもっと活躍していただくためには、今回のインタビューで、「競技団体には女性の理事がこれほどたくさんいて、こういうふうに活躍しているんだ」ということをまず皆さんに認識していただき、他人事ではなく、「自分も何かできるのかな」と考えるきっかけにしてもらうことがまず1つかなと思っています。そして、もう1つはやはり理事の育成です。いきなり理事になるというのはハードルが高いと思いますので、各競技団体やJOCの人たちが、コミュニケーションを図り、なるべくいろいろな人に声をかけながら、東京だけでなく、さまざまな地域の方々にも理事育成についての意識が広がっていけば、地域に根ざし、自信を持って立ち上がれて、家庭と両立しながら運営側に参加するきっかけになると思います。

理事になるのは本人の意思だけではなくて、そこを取り囲む男性陣や、今までの環境にいた人たちからの理解がないと難しいと思います。女性だけが変わるのではなく、受け入れる側にもしっかりとしたアプローチが必要だろうと思います。

今までは、理事の立場にいる人のなかでも、「女性理事を40パーセントというのは難しいよね」と難色を示す人のほうが多かったと思いますが、「40パーセントなんて夢物語だよね」というようなところから、ガバナンスコードができて、達成しなければ制裁が科せられるということで、「本腰を入れなければいけない」というふうに、意識の変化が見え始めたように思っています。

動き出した陸連

陸連には男性の理事が多いんです。今、女性の理事は私と有森さんの2人だけです。女性理事を増やすための手っ取り早い方法は、有識者や外部の方に理事会に入っていただくことですし、いろいろな角度から意見を言っていただくのはとても大切だと思いますが、スポーツ界でも選手から理事になる人材を育成するカリキュラムを作らなくてはいけないとも思っています。ガバナンスコードができて期限を決められたのは、大きく動いた瞬間だったと思います。

陸連でも女性委員会が立ち上がり、私もその一員なので、陸連のほうでも、どうして女性理事が少ないのかというJOC女性委員会の分析について話をさせていただいています。家庭に入ったあと、キャリアが止まったあとの女性アスリートに、どのように新たな活躍をしていただくか、どのように理事の育成を行っていくか、ということについてのセミナーやカリキュラムを、全国で行っていくことを考えています。

理事に女性を増やすとなると、地域の代表にも女性を置かなければいけません。地域の陸連、陸協のなかに女性がほとんどいらっしゃらないので、それぞれの地域で4年間ごとの育成カリキュラムを作って、スケジュールを組んでいく必要があると思います。そこには私や有森さんも参加し、女性たちの背中を押しながら育成に協力して、1つの筋道を作りたいな、と思っています。今回、陸連では割とスピーディーに女性委員会を通じて対策を練り始めたかなと感じています。

アスリートをいかに巻き込むか

多くの選手は、理事といっても何をするのかわからないし、何が自分にできるのかもわかりません。携わったことがないと自信がなくて、「私でなくてもいいのでは?」と思いがちですが、選手の人たちにセミナーなどに参加してもらって、「想像していたのとは違う」と思っていただいたり、セミナーの場で「あなたのこういうところが求められていますよ」というところに焦点を当てて、運営側から選手1人ひとりに声をかけたりすると、「まだ自分が輝けるんだ、自分がやれるんだ、自分が求められているんだ」、と選手の気持ちに非常に火がつきやすいと思うのです。ですから、声をかけたい選手のことを調べて、探ってみてもいいのかなと思います。

先ほどJOCのイメージについて「堅い」と言いましたが、見えない何かに向けて1歩を踏み出すのはとても怖いことであり、先が見えないと、「やらなければ良かったのではないか」などと思いがちです。確かに「しなければ良かった」と思うこともあり、私もそう思ったことがありますけれども(笑)、それも1つの経験になるのではないかと思います。

アスリートに向き合う

アンケートを依頼すると、「このようにして私たちのことをきちんと見てくれているのですね」という意見が聞こえてくることがあります。アンケートは、回答するのは面倒くさいし、こちらも申し訳なく思って実施するのですが、そうして選手に関心を寄せることで、自分が懸念していた反応ばかりが出てくるわけではないことがわかりました。

「理事になりませんか」と声をかけられて「嫌だ」と思う方は、実はあまりいなくて、「自信がない」、「やり方がわからない」というだけのことで、「私のことを必要としてくれているかもしれない」と感じることは、決してマイナスな感情ではないと思うのです。そうしてお互いのコミュニケーションを広げていくことが大きなポイントだと思います。

自分が求められている場所として

たとえばの話ですが、50キロ走るつらいマラソンの練習をするときには、モチベーションが必要です。私は「走るのが楽しい」という気持ちでつらい気持ちを越えられました。有森さんのように、「私は走るのは好きではないけれど、これを私は仕事としてやるんだ」というプロ意識がモチベーションになる方もいます。私は、「どのようなことでも、モチベーションになればいい」と思っているのです。

ですから、全員が全員、「陸上への恩返し」という思いではなくても、「自分は今求められているのだ」、「現役を終えても私が輝けるところはあるのだ」ということでもいいと思います。現役のときの情熱を、理事という立場から競技に注ぐ。その理事を「やりたい」「やってみよう」と思う理由は、十人十色でいいと思っています。まず、自分に合った形の情熱で1歩踏み出していただければいいな、と思います。

経験を活かす

マラソン経験が軸となる

アスリート経験が私の師匠

なかなか仕事がうまくいかなくて、テレビに出て落ち込むこともたくさんあります。でも、自分自身の選手時代を振り返ると、オリンピックで金メダルは取りましたが、初めからすごい選手だったわけではなく、初めて出た全国大会の都道府県対抗女子駅伝では、2区を走ったのですが47人中45番、後ろから3番目でした。それが8回出るうちに、45番が40番になって、30番になって、20番になって、10番になって、最後はエース区間で区間賞を取ったんです。決してすぐに強くなったわけではありませんでしたが、徐々に徐々に強くなって、その延長線上にオリンピックがあって、世界記録があって、と続いていきました。私は器用ではないので、キャスターもすぐにはうまくはなりません。少しずつ、少しずつ学んで、落ち込んで、今は大学生くらいのレベルになったかな、ようやく実業団に入っていく頃かなと、そのようなことを思いながら過ごしてきた感じです。

マラソンを走っていた当時は、8~9割、毎日が納得のいくものでした。そういう達成感はまだ味わえていません。ですから、アスリートとしての自分から仕事への取り組み方などを学んでいて、自分自身のアスリートとしての経験が、自分の師匠であるように思っています。「とにかく全力を尽くしたか」ということを振り返りながら、マラソンに取り組むのと同じようなスタンスを、一生懸命に取っています。 セカンドキャリアはゼロからのスタートでしたから。

現役を引退してもう10年経ちますので、今回のオリンピック・パラリンピックは、私のなかでも1つの大きな目標です。そこで、マラソンで感じた充実感・達成感をある程度きちんと感じられるような仕事をしたいと思っています。頑張ります!

メッセージ

経験や感じたことを共有してほしい

失敗はすべて糧になる

皆さんが経験したことの1つひとつが、良かったことも悪かったことも含めて、実はとても貴重なものです。その経験を皆さんと共有していただけないでしょうか。あなたの経験が次の選手の扉となり、より良い環境が整い、思い切り競技ができる大きな環境の変化につながる可能性があります。感じたことを共有していただきたいのです。 あなたにとっては当たり前で、何の変哲もないことでも、実は、みんながそれを経験しているわけではなくて、みんなにとってはすごく大きいことかもしれません。そのことを共有してもらえるだけで、多くの人たちの大きな変化につながるかもしれません。経験を、次の方の背中を押す力にしていただけないかと思います。

現役選手だと失敗は悪いことにつながると感じることが多いのですが、今振り返ると、人生には失敗のほうがプラスになっていることが多いです。失敗した経験がなければ選手にも声をかけられないし、その思いにも寄り添えない。アスリートであるかどうかに関係なく、いろいろな人と話をしていても、自分が苦しい思いをしたからこそ共感してあげられるということもあります。人間の幅というのは、自分の失敗した部分が大きくなってつながっているように思います。くやしい経験はくやしい経験で、それがあったからこそ人を支えられたり、いい形で変換できたりできることがあります。自分の競技人生の成功も失敗もすべて含めて、「やっていて良かったな」と改めて思える瞬間が、あなたを待っています。