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2023.11.08 キャリア支援

JOCの就職支援「アスナビ」:企業説明会を実施

JOCの就職支援「アスナビ」:企業説明会を実施
プレゼンを行った5選手。左から藤井源選手、篠原琉佑選手、髙橋千里香選手、加藤響選手、安藤勘太選手(写真:フォート・キシモト)
JOCの就職支援「アスナビ」:企業説明会を実施
田口亜希JOC理事(写真:フォート・キシモト)

 日本オリンピック委員会(JOC)は10月20日、味の素ナショナルトレーニングセンターウエストで、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。

 アスナビは、アスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、アスリートと企業をマッチングする無料職業紹介事業です。年間を通じて「アスナビ説明会」を複数回実施し、企業に対してトップアスリートの就職支援を呼びかけています。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまでに224社/団体381名(2023年10月20日時点)の採用が決まりました(内定者含む)。今回の説明会ではJOC主催のもと、11社14名が参加しました。

 最初に主催者を代表して田口亜希JOC理事が、アスナビ説明会が開催されることへ感謝の言葉を述べました。続けて「アスリートを取り巻く経済的な環境は未だに整備はされておらず、日々のトレーニングを継続的に行うこともできないトップアスリートは、残念ながら様々な競技で数多くいます。トップアスリートが世界で活躍するためには、練習場や宿泊・食事施設というハード面のみならず、やはり経済的な観点から、一社会人として安心して競技に集中できる、そのような環境が必要不可欠と思っておりますが、日常生活における経済的基盤の支援まではまだ手が回っていないのが現状です。雇用されたアスリートたちは、必ず何らかの形で企業の皆様、そして社員の皆様に恩返しができると感じております。その意味で、皆様のサポートが我が国のトップアスリートの明日、そして未来を作っていくと思っております。本日、ここにお集まりいただきました皆様は、オリンピック・パラリンピックを目指すTEAM JAPANの一員として、ぜひ一緒に盛り上げ、そしてお力添えいただき、アスリートを支援いただきたいと思っております」と参加企業にメッセージを送りました。

 続いて、柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクターがアスナビの概要ならびに就職実績、雇用条件、採用のポイント、アスリート活用のポイント、カスタマーサポート、これからの進め方などを説明しました。

その後、就職希望アスリート5名がプレゼンテーションを実施。映像での競技紹介や自己PRスピ―チを行いました。

JOCの就職支援「アスナビ」:企業説明会を実施
髙橋千里香選手(写真:フォート・キシモト)
JOCの就職支援「アスナビ」:企業説明会を実施
藤井源選手(写真:フォート・キシモト)

■髙橋千里香選手(フェンシング サーブル)
「私の強みは三つあります。まず一つ目は、決断力があることです。私がフェンシングを始めたのは高校に入学してからなのですが、それまでは小学校1年生から9年間バスケットボールをやっていました。小学校4年生のときに受けた福岡県タレント発掘事業で、世界で活躍する選手になるという目標を掲げ、様々な競技を経験しました。いよいよ高校から本格的に行う競技を決めるときになり、私は競技適性を認められたフェンシングと、9年間頑張ってきたバスケットボールのどちらかで悩んでいました。しかし、私が世界で活躍しオリンピックに出場するためには、フェンシングしかないと思い、ゼロからスタートのフェンシングを始めることに決めました。その後、競技を始めて2年で全国高校選抜大会団体戦優勝、U-17日本代表選出。そして、高校3年時にはインターハイ個人優勝と、順調に競技成績を残すことができました。
二つ目は、目標に向かって粘り強くコツコツ努力することができます。私は昨年、怪我が相次ぎ、思うような競技成績が残せない時期がありました。しかし、その中でも怪我をしない体を作るために、地道なトレーニングに励みました。また、世界選手権を2連覇している江村美咲先輩の動画を何度も分析し、試合で勝つことができているときは、どのようなプランで試合が進んでいるのか。自分自身に落とし込むために、どのシチュエーションのときに役に立つのかを常に考えて練習を行いました。その結果、国内のランキングを決める大事な大会の一つであり、9月に開催された東京都シニアフェンシング選手権で日本代表選手2人に勝ち、準優勝を飾ることができました。
三つ目は、この笑顔と明るい性格です。よく周りの友人や先輩後輩からも、私と話していると、元気になれる、前向きになれるよと言ってもらえていて、ポジティブな空間作りをすることができます。
私は今後の目標であるロサンゼルス2028オリンピックのメダル獲得に向けて、更なる努力をしていくとともに、プレーや競技に対する姿勢で多くの人の活力となれるような存在を目指し、日々精進することをお約束いたします。
皆様の企業に入社させていただいた際には、私自身の試合での活躍を通して、会社全体の一体感の創造と感動をお届けできるようにしたいと考えております。また、私自身の明るさや競技に対する努力を見ていただき、社員の方々のモチベーションアップに貢献できるよう努めてまいります」

■藤井源選手(スキー/フリースタイル)
「私の強みは二つあります。まず一つ目は、諦めず全力で挑戦する精神力です。私は10歳のときに父の影響でスキーを始め、12歳のときにオリンピックに出たいと思い、競技を本格的に始めました。高校2年生のときに選考大会で優勝し、ナショナルチーム入りを果たし、北京2022冬季オリンピック出場に向け、多くの国際大会に出場してきました。
しかし2021年、22年度のオリンピック出場をかけたシーズンでは思うような結果が残せず、北京オリンピック出場にはあと一歩届きませんでした。オリンピックに出場できなかったことが本当に悔しかったのですが、それでも自分に足りないものは何だったのかを考え、自分を見つめ直すきっかけとなるシーズンともなりました。同時に、このままでは絶対に終われないという気持ちが強く湧き上がってきました。
そして2026年のミラノ・コルティナオリンピックには絶対に出場して金メダルを取るという思いで、また一から競技を始めました。昨年、コーチやトレーナーと私に足りないものは何なのか、世界で活躍するためには何が必要なのかを話し合い慎重に準備を進めてきました。その結果、昨シーズンのコンチネンタルカップでは準優勝を果たし、世界の最高峰の大会でもあるワールドカップにはフル参戦し、世界選手権にも出場することができました。
そして、世界選手権のビッグエア種目では、世界で3人ほどしかできない後ろ向きから縦に3回、横に4回転半という大技を成功させ、14位という結果を残すことができました。まさにオフシーズンの努力が実った瞬間でした。世界選手権の後、私は自分の成功している姿がイメージできるようになり、挑戦することがとても楽しくなりました。
そのことがきっかけで、『その瞬間、瞬間を全力で挑戦し続ける』ことが私のスローガンとなり、何事にも逃げずに全力で挑戦する精神力が私の強みとなりました。
二つ目は、強い向上心で、自ら道を切り開いていくところです。ウィンタースポーツは雪国を拠点とする選手が多い中で、私は雪の少ない滋賀県出身ということもあり、練習時間が限られていました。だからこそ、練習中に常に目標を設定し、限りある時間をどう有効活用するかにこだわって競技を続けてきました。そのため、周囲の選手たちより効率良く、質の高いトレーニングを行い、結果を出すことで、私は強くなりました。このようにして目標や目的を持ち続けることの大切さを、私は体現したいと考えています。
私の競技はマイナースポーツであり、他のスポーツに比べて、練習環境が整っていないこともありました。しかし、私はこれを言い訳にせず、いろいろな壁も自分次第で乗り越えていけるということを証明し、マイナースポーツにもスポットライトが当たるような活躍や活動をしていきたいと思っています。
こういった逆境の中でも、自分が活躍する姿を多くの人に知ってもらうことで、影響を与え、スポーツでもっと日本を元気にしたいと思っています。皆様にはその一員になっていただけましたら幸いです。皆様の企業にご採用いただいた際には、競技にも仕事にも全力で取り組みます。そして私の活躍や挑戦する姿を見ていただき、会社のイメージアップにも貢献したいと考えています」

JOCの就職支援「アスナビ」:企業説明会を実施
安藤勘太選手(写真:フォート・キシモト)
JOCの就職支援「アスナビ」:企業説明会を実施
加藤響選手(写真:フォート・キシモト)

■安藤勘太選手(トライアスロン)
「ロサンゼルス2028オリンピックのメダル獲得を目標に掲げ、現在厳しいトレーニングを継続して行っています。私は幼少期から野球や体操、空手など様々な競技に取り組みました。父の影響でトライアスロン競技も始めましたが、本気で取り組みたいと思ったのは中学2年生のときでした。広島で行われたリオデジャネイロ2016オリンピックの選考会を見に行き、熱いレースをする選手を見て、自分もこの競技でオリンピックに出場したいという気持ちが芽生えました。
その選考会で優勝し、私が影響を受けた選手は、現在の指導者であり監督です。大学進学の際、そのときのオリンピアンが、指導する大学を選び、トライアスロン競技を本格的に始めました。大学の練習はとても厳しく、毎日必死でついていきました。
大学1年時には、U-19日本選手権で優勝することができ、3年時には、国際大会へ出場するなど少しずつ力をつけてきました。しかし、順調と思われたその矢先の今年5月、自転車の練習中に転倒し、右肘を骨折してしまいました。
全治3ヶ月の診断で、練習もできなくなりました。ですが、この競技から離れた期間を前向きに捉え、自分を見つめ直し、改めて競技を頑張りたい、怪我に負けたくないという気持ちを再確認しました。そして、復帰に向けて準備を進めてきました。万全な状態ではなく、まだ痛みもありましたが、7月に行われたU-23の日本スプリント選手権で優勝することができました。その優勝は、メンタル面の強化がプラスになっていると思います。私は元々、メンタルが弱く、緊張するとマイナスな気持ちになってしまうことがありました。その課題を克服するため、大学のゼミでは心理学を専攻しました。自分自身を分析し改善することで、前向きに考えられるようになり、『ここが勝負だ!』という強い気持ちでレースに臨むことができるようになりました。
皆様の企業にご採用いただけましたら、トライアスロン競技を通じて培った、困難でもあきらめない姿勢で、新しいことに挑戦し、そこで成果を出し貢献していきたいと思います。競技においては、サポートしていただいている皆様への感謝の気持ちを忘れず、未来の選手の希望となり、憧れの選手となれるよう頑張っていきたいと思います」

■加藤響選手(フェンシング サーブル)
「私のフェンシングとの出会いは、小学生のとき、オリンピックで活躍する太田雄貴選手の姿を見てこの競技を知りました。小学生の私はフェンシングを何も知らない中、自分もオリンピックで活躍する選手になりたいという夢を持ち、フェンシング部のある愛知工業大学名電中学校へ進学しました。愛工大名電は中高一貫校のため、部活も特殊で、高校生を交えながら練習を行っており、上下関係のとても厳しい環境の中、フェンシングとコミュニケーションを学びました。
中学3年生では、全国中学生大会で優勝し世代別の日本1位となり、アルゼンチンで開催されたユースオリンピックに出場と、小さな目標を少しずつ達成しましたが、高校では、1学年上になかなか倒すことのできない先輩がいました。インターハイではその先輩に予選で勝つことができず、高校3年生になるまでインターハイ本戦への出場は叶いませんでした。そして最初で最後のインターハイでは準優勝と、自分の望んだ結果を出すことができず、とても悔しい思いをしました。
大学ではU-24日本代表選手に選出されていましたが、1・2年時はコロナの影響で試合ができず、私は何のためにフェンシングをしているのだろうというネガティブな気持ちと、オリンピックという最大の目標に向けて、この悔しい思いを忘れず頑張ろうという気持ちが入り乱れ、とても苦しい時期がありました。コロナが少しずつ落ち着くと、大会が始まり、フェンシングの1本1本がこんなにも楽しかったものだと改めて感じることができ、より一層力を入れることができました。
私は昨シーズンの世界ランキングで、日本人選手の中で4番目。先日行われた全日本選手権では3位入賞と着実に順位を上げています。そして現在、パリ2024オリンピック出場に向けて力を入れている最中ですが、その2年後、地元愛知で開催されるアジア大会では必ずメダルを獲得し、2028年のロサンゼルスオリンピックでは金メダルを獲得する姿まで思い描いています。
皆様の企業に採用されましたら、私も御社の一員として、一体感醸成や企業価値向上に貢献できるよう、また誰に対しても明るく振る舞い、当たり前のことを当たり前にできる人間になりたいと考えています。ぜひ宜しくお願いいたします」

JOCの就職支援「アスナビ」:企業説明会を実施
篠原琉佑選手(写真:フォート・キシモト)

■篠原琉佑選手(スキー/スノーボード)
「私は父の影響でスノーボードを始め、雪と密接なアルペン競技に魅了されて、約15年。競技とともに生きてきました。私が魅了されたスノーボードアルペン種目は、陸上のようなフラットなグラウンドではなく、環境の変わる自然の中、2人の対戦形式で行われます。シビアなタイム差が醍醐味であり、特に選手層の厚い男子は予選2本滑走の決勝進出者16名が、たった1秒の中に凝縮されるほどタイム差が少なく、決勝においては、1分近いコースにおいて0.00秒まで同着となり、優勝者が2名となる信じられないケースもあるほどです。このようにシビアで何があるかわからない競技に対して、私は最後まで手を抜かない、とことんやることを頭に置き望んでいます。
そして私が競技だけでなく、私生活においても軸としているのが、信頼と挑戦です。私は大学1年から2年時まで怪我の影響で、1シーズンの完全治療と、さらに1シーズン海外挑戦ができず、実質2年間まともにスノーボードができない状況でした。その時間はあまりにも長く、同世代のライバルから突き放される現実はとても苦しいものでした。しかし、コーチとの信頼関係のもと、小さな目標に一つ一つ挑戦していくことで成長し、結果、2年ぶりの海外挑戦となった昨シーズンで結果を残したことから、世界選手権の切符をつかみ取り、全日本での初優勝を果たしました。私は信頼と挑戦の重要性を再認識するとともに、忍耐力を培うことができました。
今では、2年間の怪我の経験があったからこそ、私は強く成長できたと胸を張って言うことができます。私が皆様の企業にご採用いただいた際には、信頼と挑戦を軸に、競技で培ってきた忍耐力で貢献していきます。また、大学ではスポーツ科学部に在籍し、トレーナーの資格取得にも挑戦しています。これは私がアスリートとしての能力を高めるために始めたものですが、企業の社員の皆様の健康面についても貢献できる知識であると考えています。そして、私が企業のシンボルアスリートとして、世界へ挑戦していく姿をお届けすることは、企業の一体感醸成を高め、間接的には社会貢献に繋がるものと考えております。私のオリンピック金メダル挑戦の応援とともに、採用のご検討を宜しくお願いいたします」

5名のアピールが終了すると、参加企業の皆様から選手たちへ「オフの過ごし方」や「苦しいときのモチベーション維持」「海外遠征で大変だったこと」などの質問が寄せられました。選手たちはそれぞれ笑顔を見せながら、ざっくばらんに質問に回答し、説明会は終始和やかに進みます。

JOCの就職支援「アスナビ」:企業説明会を実施
阪神酒販株式会社 ストラテジックディストリビューション事業本部 首都圏本部 東京支店 管理部 マネージャー 梶川洋平氏(写真:フォート・キシモト)

終盤には、「アスナビOBが考える“企業とアスリートの可能性”」と題し、阪神酒販株式会社 ストラテジックディストリビューション事業本部 首都圏本部 東京支店 管理部 マネージャー 梶川洋平氏(陸上競技 三段跳)が登壇。自身が「アスナビ」を通じ企業に採用された経験を活かし、参加企業の皆様へ同社の採用背景や持続可能なアスリート支援について解説しました。またアスリートに向け「ただ競技をするだけでなく、仕事ができるアスリートを目指してほしいと思います。仕事で活躍するのに必要な要素というのは、アスリートの皆さんは持っていると思います。今日のプレゼンの際にも皆さんがアピールしていましたが、目的と目標を明確にして、それに対して行動がしっかりできるというところです。関係者や他の部署の人々を巻き込んで応援者を増やしながら、企業と関わってどういう価値が提供できるかを皆さんも考えながら、WIN-WINの関係を築いていただければ、アスナビのOBとしてこれに勝る喜びはありません」と貴重なアドバイスを送りました。

説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。

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