17歳で初出場を果たしたトリノ2006冬季オリンピックから約20年。渡部暁斗選手は、経験と実績を積み重ねながら進化を遂げてきた。ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックで6大会連続のオリンピック出場を目指すレジェンドが、過去、現在、そして未来へ、自らの思いを語る。
――渡部選手はこれまでオリンピックに5大会連続出場していて、来年のミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックでは6大会連続出場を目指すということになります。17歳での初出場以来、TEAM JAPANシンボルアスリートに選ばれたり、前回大会ではTEAM JAPANの旗手を務めたりといろいろなご経験を積み重ねていらっしゃいました。ご自身の成長や変化を感じている実感はありますか。
競技に対する好奇心や探求心みたいなものは、17歳の時から変わっていないと思います。一方で、自分が置かれている状況は変化していますよね。10代、20代、30代と年を重ね、結婚したり、子どもが生まれたり。環境が変化していく中で、ある意味諦めに近い感覚もあるのですが、自分の心の中に余裕ができてきたという部分はありますね。
私ももちろん聖人君子ではないという前提でこのような仕事を引き受けています。すべてのアスリートがいろいろな面を持っていますし、アスリートとして発信していくにあたっては、むしろ、そういう人間らしさを世の中に伝えていったほうがいいと思っています。TEAM JAPANシンボルアスリートにしても、誠実に向き合いながら、お引き受けできる余裕を持てるようになってきたのだと感じます。その最たるものが旗手だったかなと思いますね。
以前であれば、開会式ですら「行く時間がもったいない」と考えてしまっていました。心の中に余裕ができてオリンピックを本当に楽しめるようになってきたから、開会式で旗手を務められるようになった。僕にとってはすごく大きな変化ですし、JOCからいろいろな仕事をいただく中で生まれてきた変化だとも思います。
――北京2022冬季オリンピックの際にお話を伺った時に、「メダルをとるかとらないかという結果も大事かもしれませんが、メダルをとることだけがオリンピックの価値ではありません。スポーツを見て面白いと感じたり、心が動いたりする瞬間があること自体に価値がある。本当の意味でオリンピックと向き合えて、改めていろいろなことを自分に気づかせてくれた大会でした」とおっしゃっていました。年を重ね、オリンピックへの出場を重ねながら、ご自身の感覚に変化が生まれてきたのでしょうか。
そうですね、かつてはメダルを獲得することがすべてと思っていましたが、プラスアルファの何かが必要と思えるようになりました。そういう選手の方が注目も浴びるだろうし、印象に残りやすいでしょうしね。自分としては、おそらく最後になると思われる次のオリンピックに向かうにあたっては、メダルを目指しつつもそれだけではなく、自らの競技人生のすべてを集約するような形にしたいという気持ちです。メダルをとるとか、とらないとか、そういう結果だけではなく、自分がどのような競技人生を歩んできて、何を見て、何を感じて、何を考えてきたのかというところも含めてパフォーマンスとして表現したいと思っています。すごく抽象的な話にはなってしまいますが。
――渡部選手は「プラスマイナスゼロ理論」を掲げて、人生のプラスとマイナスの総和はゼロとなるものだとおっしゃいます。仮にマイナスのことがあってもそれは必ずプラスにつながっていくという考え方ですから、ポジティブシンキングの一つの形だともいえそうですね。
ゼロに戻るというところが終着点です。オリンピックでメダルをとるとなったらものすごくプラスなわけですから、その分、その後はマイナスなことが間違いなく起きると思っています。だからこそ、あらかじめマイナスを得ておいた方が、オリンピックに向かう上でプラスが起きやすいと思うわけです。
――イタリアの地は、ご自身がワールドカップ初優勝を飾った場所でもあります。ある意味集大成のオリンピックが、イタリアで行われるということで秘めた思いなどはありますか。
実は、思いというものはそんなにないんです(笑)。すべてが整理された上で臨む1年という感じなんですが、ただこの2、3年、自分の競技人生を振り返る時間がかなり多いんですよね。そういう中で、こういうイタリアでのオリンピックと考えると、ストーリー性としてもいい流れが来ているという感覚はあります。競技人生の終盤に、思い入れのある土地でのオリンピックが巡ってくるというのは、なかなかあるものではないと思います。そのストーリーを信じたいという気持ちもありますし、自分自身で実現させたいという思いが、大きなモチベーションになっています。先程のプラスマイナスゼロ理論を考えてみても、そうしたストーリー性も含めて、自分のところに流れが来ているんじゃないかなと思えて、すごくワクワクしてきますよね。
――渡部選手は、選手が実力を示すという意味ではワールドカップの方に価値がある。オリンピックは4年に1度の巡り合わせもあり、実力だけではなく、運などさまざまな要素が左右するとおっしゃっていました。改めて、オリンピックをどのように捉えていますか。
やはりオリンピックの雰囲気ですよね。競技者みんながその雰囲気に飲み込まれていくのが、オリンピックの面白さ、素晴らしさであり、怖さでもある。競技者だけではなく、観客や取り巻く人たちに及ぼす影響も大きい。世界中が注目する4年に1回の祭典の力は、やはり特別だと思います。
――一人のノルディック複合の専門家として、選手はどのようなことを大切にすべきだと感じていますか。
単純に競技力が成長していくということはありますが、競技力そのものは、トップレベルの選手であればおそらくそれほど大きく変わらないと思うんですよね。ただ、オリンピックに関していえば、先ほどの「プラスマイナスゼロ理論」同様、その選手がどういう行動をしてきたかというのは、その日の流れにかなり影響してくると思います。普段出場しているワールドカップで「自分だけ得すればいい」という感じで戦っている選手は、ワールドカップでものすごく強くても、オリンピック本番だと肝心なポイントで何かミスをしているケースも多い。ジャンプの際には本当は向かい風が望ましいわけですが、大事な場面で向きが悪い追い風をもらってしまうといったこともあります。そういうことがオリンピックでメダルをとれるかどうかにかかわってきます。
誰も気づいていないようなすごく曖昧な話で、そういうことが「ある」と証明できるものではないのですが、僕自身はそういう目線で選手のことを見ています。競技中のことだけではなく、普段の所作とか振る舞いなども、最後の大事なところで影響しがちだというのも長年見てきて思うことですね。
――哲学的なお話ですね。自分を成長させるための「欲」も大事ですが、一方で、日常的に「得」を積み重ねている人こそが運を引き寄せるということですよね。
はい、そうですね。長い間、いろいろなものを見てくると、何が違うのかといって、やはりそういうところに行き着くのかなと思います。すべての選手が努力していますし、その量はそれほど関係ないのかなと。選手が持っている才能やポテンシャルももちろん大切ですし、それを最大限に引き出せるかどうかはトレーニングやピーキングによるものも大きいと思うのですが、最後に勝負を左右するのは目に見えない部分が大事なのではないかと感じています。
――以前、「努力は裏切る。でも、努力することには間違いなく意味はある」とおっしゃっていたことが印象に残っています。TEAM JAPANとして、団体戦でともに力を合わせる仲間たちも、個人戦ではライバルになります。そうした仲間たち、あるいは他国のライバルたちに対する思いを教えてください。
応援される選手について一緒に考えていけたらいいですね。TEAM JAPANとして考えた時に、ただ努力をして、結果を出して、メダルをとりました、バンザイ、というだけではなく、その先に、何か社会的に還元できるものとか貢献できるものがあるはず。競技結果が素晴らしいからその人の人間性が素晴らしいっていうわけではないと思います。競技結果も大事ですが、キャラクターも大切。TEAM JAPANのみんなが、多くの人から応援されて注目が集まるような選手になれば、TEAM JAPAN全体がもっと応援されるようになるでしょうし、ではそういう選手になるためにはどうすればいいのかということを、いろいろな目線から一緒に考えることが大事なのかなと思います。
十数年前、数十年前であれば、「自分はメダルをとるために全力を注ぐだけです」といった選手で良かったかもしれませんが、時代も変わって世の中が多様化してきた今、すべてのアスリートに求められる役割も変わってきていますから、そういう視点で物事を考えていかなければならないタイミングだと思っています。
――お話を伺っていると、改めて、オリンピズムやスポーツマンシップといった部分の大切さを感じます。渡部選手は気候変動や環境に対する危機感をもってさまざまな社会貢献的な取り組みをされていますよね。そういう行動からも、ただ競技力さえあればいいというわけではないというメッセージが伝わってきます。ソーシャルアクションとしてはもちろん、周囲の巻き込み方、アスリートの発信の仕方などを示していらっしゃいますよね。
実際にスキーヤーとして競技やトレーニングをする中で、雪の環境の変化を自分の目で見て感じてきました。何かアクションを起こさなくてはいけないというのは、つねに思っていたことでした。自分のヘッドスポンサーという大事なその広告枠を活用して社会に還元するという形が、単なる一人の競技者としてだけではなくて、これから必要になってくる新しいアスリートの一つのモデルとしてのアクションになるといいですね。ですから、単純に気候変動に対していいことをしているというだけではなくて、これからの時代に必要になる新しいアスリート像がどういうものかを考えるきっかけの一つにできればと思っています。
渡部 暁斗(わたべ・あきと)
1988年5月26日生まれ。長野県出身。98年長野1998冬季オリンピックのスキー・ジャンプ団体で金メダルを獲得したTEAM JAPANを見て、9歳でスキーを始める。中学から複合競技を始め、白馬高校在学中の2006年、トリノ2006冬季オリンピックでオリンピック初出場を果たす。10年バンクーバーに出場後、14年ソチ、18年平昌とノーマルヒル個人で2大会連続の銀メダルに輝く。世界選手権では09年ラージヒル団体で金メダルを獲得、ワールドカップでは17-18シーズンに初の総合優勝を飾った。22年、5大会連続出場となった北京2022冬季オリンピックではラージヒル個人、ラージヒル団体でともに銅メダル獲得を果たした。17年よりTEAM JAPANシンボルアスリートを務める。北野建設SC所属。
注記載
※本インタビューは2025年4月21日に行われたものです。
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