MENU ─ コラム/インタビュー
2025.07.11 Athletes’ Voices

【真の女王へ笑顔で挑む】さまざまな経験を自信と力に変えて(坂本花織・スケート/フィギュアスケート)

坂本 花織

 2022年から世界フィギュアスケート選手権女子シングルで3連覇。名実ともに世界女王となった坂本花織選手は、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックで悲願であるオリンピックの頂点を目指す。あふれる笑顔でフィギュア界に君臨する女王の素顔に迫る。

課題を自信に変えて

――オリンピック前年となる今季が終了しました。シーズンを振り返ってみていかがでしょうか。

 昨季は、ほとんどの国際大会で優勝するなど、結果としてすごく良かったシーズンでした。その次となった今季ですから、もちろん昨季のような結果を望んで挑んだのですが、試行錯誤の多いシーズンとなりました。例年とは違い、チャレンジが多い部分もあったので、なかなかうまくはまらなかったというのもあったのですが、こういう経験がオリンピック直前にできたことは、良い経験と自信になりました。結果としてはそこまで良くなかったようにも見えると思うのですが、私にとっては新たに経験できたことも含めてとても良いシーズンでした。

――試行錯誤する中で得た、新たな手応えや課題もありましたか。

 何事も順調にうまくいくより、行き詰まることもあった方が、より頭を使います。あの時はこうしたら良かったという経験がどんどん増えて、いざオリンピックシーズンとなった時にも、力になる材料が増えた感じはします。

――素晴らしいですね。坂本選手は、世界選手権を3連覇するなど世界を代表するフィギュアスケーターとなりました。それでもオリンピックは特別な大会と感じるのでしょうか。

 4年に1度のオリンピックのためにこの3年間頑張ってきたといっても過言ではありません。これまで2大会に出場させていただきましたが、それぞれその大会ごとに目標が全く違いました。最初はオリンピックに出られただけでうれしかったのですが、出るたびに欲が出てきます。次こそは、真剣にメダルを目指して取り組みたいと思っています。

――前回大会である北京2022冬季オリンピックでは、団体で銀メダル、そして女子シングルで銅メダルと2個のメダルを獲得されました。メダルをとる前ととった後で、何か変化はあったのでしょうか。

 フィギュアスケートは、私たちの親世代から注目されやすい競技で、同世代の若者たちの層はファンが多くないというのが実情です。それでも、通っていた大学で、オリンピックでメダルをとってからは「坂本や!」と気づいてもらうことが増えたのはうれしかったです(笑)。年齢が近い層の方々からの認知度が上がったと感じています。

MATSUO.K/AFLO SPORT

宮原知子選手からの学び

――これだけの成績が出せるようになったことについては、どのように分析していますか。

 試合で大きなミスもなく滑るということは、簡単そうに見えて難しいことです。しかも、それが1試合だけではなく何試合も積み重ねることでこの成績を収めることができていると思います。一発勝負というより蓄積が大切になりますし、そこが私の強みでもあるので、絶対に大切にしなくてはいけない要素だと感じています。

――振り返ってみて、自分の中でターニングポイントになったと感じることはありますか。

 平昌2018冬季オリンピックのシーズンがきっかけだったと思います。当時トップを走っていたのが宮原知子選手で、周りからも「ミスパーフェクト」と呼ばれていたように、本当にミスをしない選手でした。このシーズンから私もシニアの試合に参加するようになったのですが、拠点も違うので、なかなか一緒に練習する機会がありませんでした。そうした中で、2017年のスケートアメリカで、ありがたいことに一緒に試合に出ることになり、初めて練習を目の当たりにした時に「これがミスパーフェクトといわれる人の練習量なのか」とびっくりしたんです。ずっと知子ちゃんの曲が流れているというくらい、本当に何回も繰り返し練習していて、自分の中に落とし込めるまでやり抜くところを見て、私だけでなく中野園子先生も驚いていました。これだけやらないとトップにはいけないと分かってからは、練習の量を増やし、内容も濃くなっていきました。

――やはりそれだけ練習量が必要だということですね。

 はい、その時は量が重要でしたね。私もまだ17歳くらいでしたし、やればやるほど良くなる時期でしたので、ただひたすら練習をしていました。

――それだけたくさんの練習をするにも、体力が必要でしょうし、ケガもしやすくなるといった問題にもつながりそうですよね。

 もちろん最初は体力が持たなかったので、練習が終わったらすぐに寝てしまうくらいすべての体力をスケートに奪われていました。ただ、だんだんやっていくうちに少しずつ慣れてきて、以前まできつくてできなかったことが今はできるとか、前よりはちょっと成長できたといったように、積み重ねることで少しずつできることが増えていきました。また自分自身、身体は強い方だと思っています。一度だけ大きなケガをしたことはあるのですが、それ以外は大きなケガもなく、やれるところまでやってしまおうと競技に向き合ってきました。

――ちなみに、当時、宮原選手とのコミュニケーションはとられたのでしょうか。

 初めて見たスケートアメリカの時は、本当に大先輩でしたし、おしゃべりするなんて考えられませんでした。でもそれから数カ月後、平昌2018冬季オリンピックに出場することになり、同部屋になったことでやっと打ち解けて、「練習って毎日あんな感じでしているの?」といった感じでお話を聞くことができました。

――そうして得たものはまた大きかったのでしょうか。

 はい、とても大きかったです。

――今後は坂本選手にとっての宮原選手と同様に、坂本選手が後輩選手たちの憧れの対象という立場になりそうですね。

 どちらかというと私は先生から言われてやらされてきたタイプだと思うのですが、今のジュニアの選手たちを見ていると、決してやらされているのではなく一人一人自分から取り組んでいる選手が多いと感じています。本当に意識の高い選手が多くて、逆にこちらの方が学ぶことばかりかもしれません。

Dave Carmichael/AFLO
   

雰囲気が変化したフィギュア界

――坂本選手にお話を伺っていると、何事もポジティブに捉える意識を感じますよね。それは持って生まれたものなのでしょうか。

 考え方は勝手にポジティブに変換されてしまうんです。

――天才的ですね!(笑)

 もちろん本当に悔しくて、ものすごくしょげてしまうこともあるのですが、1回寝ればポジティブに変換できます。

――クヨクヨしないというのは、アスリートにとって非常にいい才能ですよね。

 はい、引きずらないタイプです。周りからもよく「羨ましい」と言われます(笑)。

――北京2022冬季オリンピックの際にインタビューをさせていただいた際は、樋口新葉選手と仲良くお話しされていた様子が印象的でした。また、今年4月に行われた世界フィギュアスケート国別対抗戦でも坂本選手が率先してチームを盛り上げる姿が注目を集めましたよね。フィギュアスケートの選手たちはライバル意識以上に、みんなで競技を盛り上げていこうという雰囲気が伝わってきます。実際、選手間の雰囲気はどんな感じなのでしょうか。

 中学1年で初めて推薦していただいて全日本選手権に出場したのですが、その年はソチ2014冬季オリンピックの最終選考となる全日本選手権だったこともあって、とにかく空気が張り詰めていて何か声を出したら響いてしまいそうなぐらいに感じ、「これがオリンピックにかける人たちの気持ちか」と思った記憶があります。
 その後、時代の変化とともに、少しずつ和気あいあいとした雰囲気になり始めました。それでももちろんライバルなので、試合の期間におしゃべりするようなことはそれほどなかったです。ただ今では試合期間でも、同じカテゴリー同士でも、一緒にご飯を食べたりするようになってきました。一緒に頑張ろうといった感じで競技に向き合う雰囲気がすごくあります。
 海外選手も含めて、更衣室はすごく賑やかです。とくにアメリカの選手は明るいキャラクターの選手が多く、「今日の練習はみんな〇〇だったよね」といった感じでフィードバックまで一緒にするくらいです(笑)。とにかく雰囲気が明るいです。

――坂本選手的には、そうした変化をどのように捉えているのでしょうか。

 私は緊張するとつい口数が増えてしまうのですが、なにか会話をしてほしいというわけではなくて、とにかく誰かに聞いてほしいだけなんです。ですから、話しやすい雰囲気になっているのは、私もすごくいいなと思っています。

いざ、ミラノ・コルティナへ

――そして、このたび新たにTEAM JAPANシンボルアスリートとして選出されました。その点についてどのように受け止めていらっしゃいますか。

 これまで、フィギュアスケート界のTEAM JAPANシンボルアスリートといえば、やはり宇野昌磨選手というイメージでした。それが私に変わるということで、最初はすごく不思議な感じがしましたが、選んでいただきとてもうれしかったです。

――今後は、坂本選手を目標にしながらフィギュアスケートを頑張ろうという子どもたちも、さらに増えてくると思います。フィギュアスケートを、ぜひこんな風に楽しんでほしいといった気持ちはありますか。

 フィギュアスケートは難しいとか、とっつきにくいイメージがあると思います。私も最初は遊びで滑りに行ったのがきっかけでしたが、何がきっかけで花が開くか分かりません。まずはスケートに触れていただき、こんな感じのスポーツだとちょっとでも知ってもらえたらうれしいです。そして、そこからまた世界に羽ばたく選手が一人でも出てきてくれたら、それこそ最高です。ぜひ気軽に、いろいろなリンクに滑りに行ってほしいと思っています。

――いよいよ、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックまで、1年を切りました。改めて、大会に向けての意気込みを聞かせてください。

 オリンピックに向けた最終選考が12月の全日本選手権となります。そこまでの成績も大事になってくるので、どの試合も自分のベストな演技をして、オリンピックに出場できる条件を揃えていきたいと思います。そしてオリンピックに出場できた時には、団体でも個人でもメダルをとれるようにしたいと思います。

――ありがとうございます。周囲の期待も大きいと思いますが、坂本選手らしく笑顔で楽しんでいただいて、最高のオリンピックにしてください。こういう言い方をするとプレッシャーになってしまうかもしれませんが、オリンピックでまたメダルを獲得していただき、こうしてインタビューできることを楽しみにしています。

 はい、今だったら大丈夫です(笑)。ありがとうございます!

YUTAKA/AFLO SPORT

■プロフィール

坂本 花織(さかもと・かおり)
2000年4月9日生まれ。兵庫県出身。4歳でスケートを始める。16年ジュニアグランプリファイナル及び17年世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得。17年にシニアクラスで出場するようになると17年全日本選手権2位、四大陸選手権優勝といった成績を残し、18年平昌2018冬季オリンピックに出場を果たし6位入賞。22年北京2022冬季オリンピックでは、日本フィギュア界史上初となる団体戦銀メダル獲得に貢献、女子シングルでも銅メダルを獲得した。同年、自身初となる世界選手権女子シングル優勝を果たすと、23年、24年と世界選手権3連覇の偉業を達成した。25年、TEAM JAPANシンボルアスリートに選出。シスメックス所属。

注記載
※本インタビューは2025年4月21日に行われたものです。

お気に入りに追加

お気に入りに追加するには
会員ログインが必要です。
ログイン会員登録はこちら
お気に入りに追加するには
会員ログインが必要です。
ログイン会員登録はこちら
お気に入りに追加するには
会員ログインが必要です。
ログイン会員登録はこちら
ページをシェア

CATEGORIES & TAGS