平昌2018冬季オリンピック、北京2022冬季オリンピックを経て3度目のオリンピックで金メダルを掴んだ戸塚優斗選手と、初出場で銅メダルに輝いた山田琉聖選手。リヴィーニョの表彰台に先輩と後輩が並び立った。互いをリスペクトし合う同志がたどり着いた頂から見えた景色とは。
――戸塚選手はオリンピック金メダリストとなりました。まずはその率直なお気持ちからお聞かせいただけますか。
<戸塚> 幼い頃からオリンピックで金メダルをとることを目標に掲げてやってきたので、本当に夢が叶ったというのはすごくうれしいです。平昌2018冬季オリンピック、北京2022冬季オリンピックと出てきましたが、本当に納得する滑りはできていませんでした。今回ようやく自分の納得できる滑りができて、そこが一番気持ち良かったです。悔しかった気持ちがスッキリと晴れたような気持ちになりました。
――ゴールドのネイルも素敵でしたね。どのような思いを込めて塗るのですか。
<戸塚> ありがとうございます。ネイルアートは普段からずっとしているのですが、今回はオリンピックの練習があったので、日本に帰れず、やり直すことができませんでした。オリンピックには何もない状態で入ってきたのですが、決勝前日にちょうどネイルを塗ってもらえることになって。自分はいつも青とか水色とか薄い緑とか入れることが多いのですが、今回はオリンピックということもあり、両手の指に1本ずつ金色を入れようと思いました。実際に金メダルをとることができて、メダルと一緒になった時に色が合っていて、金色を入れて良かったです。
――スノーボードの選手たちは、おしゃれも競技に含まれている感覚がありますね。
<戸塚> そうですね。自分が好きなものを表現できていると思います。
――平昌2018冬季オリンピックでは大ケガがありました。それから、北京2022冬季オリンピックではメダル候補と言われながら10位という結果でした。何回も競技を辞めようと思ったとおっしゃっていましたが、金メダルを手にしてどんな思いが蘇りましたか。
<戸塚> 一番つらかったのは、北京2022冬季オリンピックの前年2021年、そして、オリンピックが終わった年から2年くらい……、その2、3年が本当につらかったです。練習してもうまくならない、最高のルーティンを組めないのに大会でも着地することができないといった状態が続いていて、それがなぜなのか自分も分からなくて……。辞め時なのかなと思った時期もあったのですが、母親、コーチ、同じチームの(平野)流佳だったり(平野)歩夢君だったり、本当にいろいろな人たちに声をかけてもらって続けることができました。滑りの部分についても「ここを直した方がいいんじゃないか」というアドバイスをもらい、なんとか耐えることができて、ここまでやってこられました。本当にあの時はつらかったのですが、続けてきて本当に良かったとメダルをとった瞬間に思いました。
――普段クールな印象が強い戸塚選手だけに、涙されているシーンや、表彰台で君が代を聞きながら脱帽していたシーンも話題になりました。
<戸塚> 表彰式でうれし泣きをするのも人生で初めてのことでした。自分にとって夢だったオリンピックの舞台で、自分が活躍することによって国歌を流せたことがすごく光栄でしたし、すごくうれしくて、自分でもつい感極まってこらえ切れず勝手に涙があふれ出てしまった感じでした。
――ありがとうございます。山田選手も、改めまして銅メダル獲得おめでとうございます。
<山田> ありがとうございます。
――オリンピックメダリストになったお気持ちはいかがですか。
<山田> 銅メダルが確定して表彰台に立った時は、うれしい気持ちと決め切れなかった悔しい気持ちがあって、本当に複雑な感情だったのですが、今になってみると銅メダルがとれて本当に良かったと思います。
――お二人が表彰台の上で顔を見合わせて、笑顔を見せている姿も印象的でした。あの時はどのようなお話をされていたのでしょうか。
<山田> 何の話をしていましたっけ……、全然覚えていないですね(笑)。カメラマンがたくさんいたので、これどこを見ればいいんだろうといった話をしていたと思います。
<戸塚> みなさん、「次、お願いします」と言ってくださるんですけど、全員が手を挙げるんで(笑)。
<山田> それで、どこを見ればいいんだろうって(笑)。
――普段の大会とオリンピックではカメラマンの数も違いましたか。
<二人> 全然違いましたね。
――今大会、実際に競技を振り返っていただこうと思います。山田選手の予選はルーティンも完璧に見えましたが、実際に90.25の高得点で3位通過でした。ご自身の感覚としてはどのような感じだったのでしょうか。
<山田> 自分は予選が一番緊張するのですが、1本目にやった技は、公開練習でもすごく調子が良いルーティンだったので、不安もなく決めることができました。すごくホッとして楽しかったというのが、予選での感覚でした。
――戸塚選手は2回目にトリプルコークを決めて、2位通過となりました。ご自身の予選での手応えとしてはいかがでしたか。
<戸塚> ワールドカップでの点数の出方などと比較しながら周りの選手を見ていて、1本目は余裕で上がれるだろうと思っていたのですが、あまりにもみんなのレベルが高くて驚きました。
スタートが前の方だったこともあり、後からみんなが攻めているのを見て、「そんなに攻めるのか、やばい、やばい」と思っていました。
そこで、これはトリプルコークだったり、キャブ1440だったりを入れたルーティンに変更しないといけないと思い、2本目は攻めました。ただ、トリプルコークは自分の今の実力の中ではそれほどレベルの高いものではなかったこともあり、気負うことなく冷静に決めていこうという気持ちで臨むことができました。
――そして迎えた決勝。山田選手が1本目から92.00点と非常に高い得点でトップに立ちました。多くの選手たちが高回転の技で攻めがちな中、山田選手らしい技で、本当に素晴らしい演技だったと思いますし、そこが評価されました。ご自身はどのように自分のパフォーマンスを評価していたのでしょうか。
<山田> 1本目は、いろいろなルーティンを考えた中でも最も自信のあるルーティンの一つ。まずは、しっかり1本目を決めようという気持ちでした。ただ、オリンピック前、1月の大会ラークスオープンでもこのルーティンをやろうとして転んでしまった部分もあったので、不安がなかったかと言われるとそういうわけでもなかったんです。少し不安もあったのですが、クリーンにきちんと決めることができました。試合でもやったことがないルーティンだったので、得点がどの程度出るのかは正直なところ分からなかったのですが、自分で思った以上に得点につながってくれたとは感じました。すごく良かったと思います。
――戸塚選手は1本目91.00点で2位につけました。そして、2本目95.00点を出す本当に素晴らしい演技で、トップに立ちました。ご自身としては、どのような意識で試合に臨んでいたのでしょうか。
<戸塚> 意識することはいろいろあったのですが、これまでオリンピックを2大会経験して一番の課題だと感じていた部分が「精神面」でした。追い詰められると、自分の制御範囲を超えてしまうような滑りをしてしまうところが、自分の一番良くない部分だと思っていたので、スピードを抑えても、高さを落としても、しっかりと下まで1本目を滑り切る。そこで少しでも高い得点を出して、心に余裕をつくるというのが、今回のオリンピック決勝で最も大切なことだと思っていました。コーチや周囲のいろいろな人とも話して、1本目はスピードを少し抑えて臨みました。前半はトリプルコーク、後半はアーリーチャックからスイッチバックという少し難易度の高いテクニックを必要とするルーティンでした。前半はスピードを落として制御して、後半はうまく滑らないとスピードが出なくなるので、しっかりスピード出していこうということは意識しながら滑っていました。2本目のランでは、トリプル・トリプルをつないだ時もうまく制御できましたし、後半までうまくつなぐことができて、95.00点を出すことができてすごく良かったです。また、3本目は決めることはできなかったのですが、自分のさらなる伸びしろ、先の可能性を示すことができたことは良かったと思っています。
――素晴らしかったですね。山田選手は、ご自身の順番が回って来た時点でメダル確定の状況での3本目になりました。どのような気持ちで最後チャレンジされたのでしょうか。
<山田> 2本目、3本目でやっていたルーティンは、2、3年前くらいからオリンピックでどのようなルーティンをやりたいかをずっと考えてきたもので、この技を決めるのが今回の大きな目標の一つでもありました。2本目、3本目の前はこのルーティンを決めることに集中していて、順位とかはあまり気にしていなかったかなと思います。
――点数の出方に対して、もう少し高く出してくれてもいいのにといった感覚はありませんでしたか。
<山田> いえ、点数は自分でもすごく出た方じゃないかなと思います。3本目はスイッチ・アーリーウープ・ロデオなど着地のズレもありましたし、手をついちゃったことも含めて92.00点でした。逆にそこがクリーンに決まっていればさらに点数が出たのかと思うと、クリーンに決めたかったなというのが最も悔しい部分だと思います。
――TEAM JAPANのみなさん、男子4人ともハーフパイプ決勝に進みました。ライバルでありながらもお互いたたえ合い刺激し合う仲の良さのような感覚が伝わってきていました。お二人は互いにどのような印象を持っていらっしゃいますか。
<戸塚> 普通の選手とは違う滑りで独創性があってすごいと感じる部分が多く、そこは自分でもとり入れるべき部分でもあります。変わっていて面白い子ですが(笑)、それが誰もしない滑りにつながっていると感じます。ハーフパイプの世界を今後どういう方向性で発展させていくべきか、新たな可能性、違う道を示してくれるパイプライダーの一人だと思っています。新しい風が吹くことも、彼のように下から追い上げられることもうれしいです。新たなものを見習い自分にとり入れていくことを意識しながら琉聖の滑りを見ています。本当にいい後輩で、しっかりプッシュされていますよ(笑)。
<山田> 平昌2018冬季大会、北京2022冬季大会と、オリンピックはテレビで見ていた対象の存在なので、今こうして一緒に競技をしていること自体がすごく光栄でうれしいです。優斗君はすごく優しい先輩です。僕がチームに入ったのは2、3年くらい前で最近のことなのですが、優斗君をはじめ、流佳君、歩夢君など、みんながすごく快く受け入れて仲良くしてくれて、チームの一員として認めてもらったのはすごくうれしかったです。
滑りに関しても、優斗君の練習を見ていると何に対しても妥協しないところが一番の良さかなと思います。最後の一人まで残るほど練習時間も長いですし、その内容も本当に細かいところまで妥協せずにやります。そういうところを尊敬していますし、自分にもすごく影響しています。
――平野流佳選手も試合後は涙に暮れていました。本当に難しいルーティンをこなして、着地も決めた中で、ジャッジの得点について納得のいかないところもあったかと思います。山田選手は同部屋だと伺いましたが、その後、何かコミュニケーションはとられたのでしょうか。
<山田> 流佳君のルーティンは、おそらく誰もが納得する滑りだったと思いますし、あの得点を見て納得いかない気持ちは理解できます。滑り終えてから流佳君と話す機会がなくて、どのような言葉をかけたらいいだろうと考えていたのですが、部屋に帰って流佳君に会った時、本当にいつも通りに接してくれて、特別な言葉もいらない感じで話ができたかなと思います。
――そう伺って私もホッとしました。勝つ人がいれば必ず悔しい結果となる人も出てくる、これはスポーツの宿命です。そういう中で切磋琢磨しながら、また次のステージに向かってみなさんが進んでいっていただけるとうれしいです。山田選手は「お祭りだと思って楽しむ」とおっしゃっていました。大舞台では緊張しがちな人が多いと思うのですが、どのようにしたら緊張を楽しさに変えられるのでしょうか。
<山田> 何かありますか。
<戸塚> 俺は、緊張しちゃう人だから(笑)。
<山田> 自分は、好きなことをやっているからこそ楽しさになると思います。スノーボードが好きだからこそ、緊張より楽しさが勝つというのは大きいです。ほかの大会以上にオリンピックは緊張感がありましたが、本当に夢見てきた舞台の一つだったからこそ、出場できるうれしさも含めて楽しさにつながったのかなと思います。緊張感がある時は、大会本番前日の夜にあらかじめ緊張してしまうようにしています。それによって、次の日は緊張感ゼロでやろうといった感覚です。
――すぐには難しいかもしれませんが、誰でも参考にできそうですね。戸塚選手は、「自分自身最高のパフォーマンスがしたい」「それがメダルにつながれば、あるいは、滑りを見て一人でも多くの人にかっこいいと感じてほしい」なんていうことをおっしゃっていました。まさにその通りになりましたね。スノーボードに興味を持ってくれたファンの方々やお子さんたちに向けてメッセージがあればお願いします。
<戸塚> スノーボードは、自由なところが楽しいスポーツです。自由にパイプを駆け回り、どんな技をやってもどれだけ飛んでもいいし、自分だけの表現をできるところが面白いんですよね。スノーボードはもちろん競技なのですが、そこにしばられるのではなく、つねに楽しむ気持ちをもって自分なりの道を見つけていくのが上達の近道だと思います。どういう滑りが好きで、何をしたら楽しみに感じるかを見つけられると、スノーボードも早くうまくなるし、さらに難易度が高い技に手を出せるようになっていくはずです。
――危険も伴うスポーツですから、真剣さも大事ですが遊び心も大事ということですね。
<戸塚> そうですね。
――ありがとうございます。スノーボード界を牽引するメダリストとして頑張っていってください。
<二人> はい、ありがとうございます。
戸塚優斗(とつか・ゆうと)
2001年9月27日生まれ。神奈川県出身。2歳でスノーボードを始める。小学校低学年でハーフパイプに出会う。小学5年で日本スノーボード協会公認プロ資格を取得。平昌2018冬季オリンピックでは決勝2本目で転倒し無念のリタイア。20-21シーズンWinter X Gamesスーパーパイプで初優勝。21年世界選手権では金メダルを獲得した。北京2022冬季オリンピックでは10位。ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピック男子ハーフパイプで悲願の金メダルを獲得した。ヨネックス所属。
山田琉聖(やまだ・りゅうせい)
2006年3月25日生まれ。北海道出身。両親の影響もあり5歳でスノーボードを始める。小学3年で地元のさっぽろばんけいスキー場の巨大ハーフパイプに出会い競技の道へ進む。23年全日本選手権初優勝、24年江原道2024冬季ユースオリンピックで銅メダルを獲得。ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックでオリンピック初出場を果たすと男子ハーフパイプで銅メダルを獲得。国際スノーボード&スケートボード専門学校在学中。
※本インタビューは2026年2月15日に行われたものです。
お気に入りに追加
CATEGORIES & TAGS