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2026.07.09 Milano Cortina2026 Medalists’ Voices

失望の闇から抜けた先の光
4年前の悲劇を乗り越え、4度目のオリンピックで手にした栄光と絆(髙梨沙羅)

髙梨沙羅(スキー/ジャンプ)

北京2022冬季オリンピック混合団体で味わったジャンプスーツ規定違反による失格。あれから4年、「ここに戻ってこられたこと自体が奇跡」と語る29歳のレジェンドは仲間に支えられながら表彰台へとたどり着いた。失意にピリオドを打った髙梨沙羅選手の心の内に迫る。

奇跡、ピリオド、銅メダル

――混合団体銅メダル獲得、本当におめでとうございます。北京2022冬季オリンピックでは本当につらい思いをされたと思いますが、あれから4年、見事にメダルを獲得されました。改めてどんなお気持ちでしょうか。

<髙梨> はい、そうですね。やはり「ホッとした」というのが、最初に出てくる言葉です。この4年間、またこのオリンピックの舞台に戻ってこられるとは想像もしていなかったので、まずはこのオリンピックの舞台に戻ってこられたこと自体が奇跡だと思っています。本当にたくさんの人たちの力で戻ってこられたという気持ちです。加えて、こうして混合団体のメンバーに選んでいただきました。最後の最後まで、メンバーたちに背中を押してもらい助けてもらってここまでたどり着いたという感覚です。このメダルもみんなでとることができたものだと思いますし、メダルをとった4人だけでなく、飛ばなかった選手やチーム全員の力があってとれたメダルだと思います。
 今まで出場してきた数々のオリンピックの中でも、最も記憶に残る瞬間でした。正直なところ、オリンピックはそこまで好きになれなかった大会だったのですが、今回の混合団体はそのような自分の中でも「ピリオドを打てた瞬間」だったと感じています。

――4年前、Instagram上で真っ黒の画像を投稿されていました。あの投稿を拝見して改めて、髙梨選手の苦しい胸の内がひしひしと伝わってきました。最近、スポーツ新聞紙上で『あの時の自分へ』という手紙の記事が掲載されました。手紙の最後は「ちゃんと楽しいよ」というメッセージで締められていましたよね。改めてこの4年間、苦しさをどのように乗り越えてこられたのでしょうか。

<髙梨> 苦しさなどという前に、こうしてこの舞台に帰ってくる時、本当に変わらずに迎え入れてくれたTEAM JAPANのメンバーのみなさんに本当に感謝しています。そうじゃないと、そもそもスキージャンプ界自体に戻ってきていないと思うんですね。変わることなく、今までと同じように一緒に飛んでくれた仲間や、支えてくれるスタッフのみなさんの言葉や雰囲気が変わらなかったおかげで、「自分もここで飛んでいいんだな」という気持ちにもなりましたし、続ける以上はスキージャンプ界にとって何か力になることをしていきたいと思っていました。
 これまでも、スキージャンプ以外にいろいろなことをやってきたつもりではあったのですが、その全てが「合っている」「正解だった」と自信を持って言えるものがどれだけあっただろうと思ってしまうくらい不確かなものでした。それでも、オリンピックに戻ってきて、こうしてメダルをとることができて本当にホッとしました。
 オリンピックは、たくさんの方に見ていただけるイベントの一つです。見ている方に何かを与えられるようなパフォーマンスをすることで、スキージャンプ界に入ってきてくれる未来のスターや子どもたちの活躍の場がもっともっと広がっていったらいいなと思っています。

心強かったTEAM JAPANの存在

――個人、女子ノーマルヒルは13位でした。それでも、丸山希選手の銅メダルを一緒に喜んでいらっしゃる姿が、すごく印象的でした。あの時、どんな気持ちで丸山選手と接していらっしゃったのでしょうか。

<髙梨> 純粋に「初めてのオリンピックを楽しんでもらいたい」という気持ちで見ていました。あの舞台でしっかり力を出せる希ちゃんはさすがだなと思いますし、希ちゃんのメダルからTEAM JAPANのメダルラッシュになったと言っても過言ではないと思います。見ていて自分も刺激になりましたし、TEAM JAPANの士気が上がった瞬間だったと思うので、その場に立ち会えたことが本当に幸せでした。

――混合団体は男女2人ずつの編成でした。髙梨選手にはどのタイミングでメンバー入りのことが知らされたのでしょうか。

<髙梨> 個人戦を終えた後、金城(芳樹)コーチから発表がありました。全員の前での発表ではなく、バスで試合会場から帰っている途中に「3番手でお願いできるかい」という話がありました。私はその時に即答することができず、次の日に練習があったので「そこで見てから決めてください」と返答させていただきました。

――実際に練習を見てもらってから、ということですね。

<髙梨> 選抜チームに選んでいただいたことを知らされた時点でも、そこまで自信があったわけではありませんでした。すごく緊張もしていましたし、「このままでは前回大会とまた同じようなことになってしまう」とも感じたので、考えるための時間が必要でした。そうやって考えていた中で、一緒に飛んでくれたTEAM JAPANの仲間たちが支えてくれたからこそ、本番を迎えることができたのだと思います。

――とはいえ、ジャンプ台に向かう時には、迷っているわけにもいかなかったのだと思います。どうやって気持ちをつくっていったのでしょうか。

<髙梨> 順番的には、私の次が二階堂蓮選手でした。私が緊張している様子を見ていたのか、ジャンプ台に向かう時に後ろから肩を叩いてくれて、「沙羅さん大丈夫です。僕がなんとかしますから」と言ってくれたことがすごく心強かったです。私の前は希ちゃんだったのですが、希ちゃんのジャンプを見て勇気づけられました。そして、(小林)陵侑(選手)とは一緒のゴンドラだったのですが、ゴンドラに乗ってジャンプ台まで上がっている最中もずっと寄り添って励ましてくれていました。この団体戦を戦っている間、本当にチームに支えられていたなというのが実感で、自分のパフォーマンス以上のもの、実力以上のものが出せたのだと思います。

――伊藤有希選手など、混合団体には選ばれなかったメンバーも含めて、TEAM JAPANが一つになっていたように感じました。アットホームな雰囲気やファミリーとしての感覚が外から見ていても伝わってきて、本当にいいチームだなと思いました。

<髙梨> 有希さんは、TEAM JAPANのお母さん的存在でした。実際にはお姉さんなんですけど(笑)、もはやその器がお母さんという感じで、本当に有希さんがいてこそのこのチームの雰囲気だったと思います。それこそ、私がちゃんとお姉さんになりきれなかったのですが、希ちゃんもすごくしっかりしているので、本当に周りに助けられながらこのチームにいさせてもらっているという感じです。

Yohei Osada/AFLO SPORT

ジャンパーたちへのリスペクト

――前回大会の失格を経て、「スーツのチェックに関しては徹底的に準備をした」とも伺いました。具体的にはどのようなことを気にかけていらっしゃったのか教えていただけますか。

<髙梨> 今年に入ってからは、それこそ1ミリでも大きいと失格になるという感じでした。日々変化する自分の体重や体と向き合う必要があるのですが、それは毎日……、いえ、それこそ半日でも変わっていくため、そのことを前提に自分でもできる限りのことをしました。スーツメーカーにプロフェッショナルのパタンナーの方々がいらっしゃるのですが、試合当日の朝にはその方々のところへ行ってボディチェックをして、スーツを測ってミリ単位で調整していただく。そんなことをずっと繰り返してきました。

――なるほど……。そこまでのシビアさが求められているのですね。

<髙梨> 現実には、測る側のメジャーの締め具合次第という部分もあります。ですから、今はギリギリというよりもなるべく安全な感覚で確認するようにしています。

――そうしていろいろとつらい思いを乗り越えてきた髙梨選手だからこそ、その涙や笑顔は、本当に多くの人に勇気を与えたと感じます。悩みを抱えていらっしゃる方、何かに失敗して落ち込んでいる子どもたちなどに、「こんなふうに乗り越えるといいよ」というメッセージはありますか。

<髙梨> 私自身、この4年間に一生懸命全力を尽くしてきたつもりです。それは周りで一緒にジャンプを飛んでくれた選手やスタッフのみなさんも同じ気持ちだと思います。そして、もしかしたら応援してくださっているみなさんもそうかもしれません。そこには、全力を投じてきた人たちにしか分からない何かが絶対にあると思います。ここまで投じてきた時間や努力、向き合ってきた覚悟は絶対に裏切らない。また、そうした思いに共感してくれる人たちも必ずいます。何かにつまずいても、その痛みを分かって助けてくれる仲間たちが絶対に周りにいると思い、頑張ってくることができました。
 私はすごく幸せな立場で頑張ることができました。すべての人に言えるかどうかは定かではないのですが、投じる時間や自分のエネルギーは絶対に無駄にならないと思うので、ぜひみなさんも貫いてほしいと思います。

――髙梨選手が飛び終えた後、TEAM JAPANの面々だけではなく、髙梨選手に駆け寄ってきた海外選手たちもいらっしゃったのは印象的なシーンでした。一方で、今大会、思うような結果を残せなかったポーラ・ベルトウスカ選手(ポーランド)に対してSNS上での誹謗中傷が相次いでいたことに関して、髙梨選手がそれをかばうようなメッセージを出されていらっしゃいましたよね。ライバルや仲間との存在について、感じていることを教えてください。

<髙梨> そういう仲間がいないと、そもそも私たちは戦えません。ジャンプは個人スポーツなので、スタートを切る時は孤独で一人です。でも、飛び終えた後には、ともに戦った戦友たちのジャンプに対して称賛する気持ちがあります。すごく危険なことに挑戦している仲間たちを一緒に盛り上げている感覚もあるので、ビッグジャンプをすれば「おー!」という気持ちになってみんなでたたえ合うのがこの競技の良さだと思います。素晴らしいパフォーマンスをした人たちに対して、純粋に共感し、喜び合い、たたえ合うところが、私自身この競技の好きなところです。

――そういったみなさんの姿を知ることで、スキージャンプのことを好きになる人たちがもっと増えそうですね。髙梨選手はスキージャンプ界を背負っていく存在であり続けると思いますが、かといってプレッシャーを感じ過ぎることなく、笑顔でこれからもジャンプの魅力を伝えていってほしいと思います。

<髙梨> はい、頑張ります。ありがとうございました。

Yohei Osada/AFLO SPORT

■プロフィール

髙梨沙羅(たかなし・さら)/1996年10月8日生まれ。北海道出身。小学2年でスキー・ジャンプを始める。オリンピックは、ソチ2014冬季オリンピックを皮切りに、平昌2018、北京2022、ミラノ・コルティナ2026と4大会連続出場を果たし、平昌2018冬季オリンピックでは女子ノーマルヒルで銅メダルを獲得。ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピック混合団体では、丸山希選手、小林陵侑選手、二階堂蓮選手とともに出場し、銅メダル獲得に貢献。同種目では日本史上初のメダル獲得となった。株式会社クラレ所属。

Yohei Osada/AFLO SPORT

注記載
※本インタビューは2026年2月18日に行われたものです。

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