女子ノーマルヒルで銅、混合団体でも銅。本大会、日本勢メダル第1号となった丸山希選手は、北京2022冬季オリンピック直前の大ケガから再起したオリンピック初出場で2個のメダルを手にした。亡き母に捧げる27歳のジャンパーが描いた「ありがとう」の物語。
――2個の銅メダル獲得、本当におめでとうございます。
<丸山> ありがとうございます。
――メダル獲得から時間も少し経ちましたが、改めてどんなお気持ちですか。
<丸山> 正直なところ、試合直後はあまり実感が湧かなかったのですが、日を重ねていくごとに、「メダルをとれた」という実感が湧いてきているところです。
――個人と団体それぞれで、実感や手応えに違いはありましたか。
<丸山> 初戦だったこともあって、個人戦のノーマルヒルの時はすごく緊張しました。でも、緊張しながらも自分のパフォーマンスを発揮することができたので、すごく楽しかったなと思います。団体戦は、個人戦に比べたら緊張もしませんでした。きっとそれは本当に心強いメンバーが後ろにいたからこそだと思います。自分のパフォーマンスに集中することができました。
――個人ノーマルヒルは、観ていて2本とも完璧に見えるジャンプでした。ご自身の手応えはいかがでしたか。
<丸山> 公式練習ではあまり調子が良くなかったのですが、当日に1本練習をしたところで、「あ、これはいけるぞ!」という状態になりました。ですので、手応えはすごくありました。
――実際に試合で飛んだ時も、「よし」という感じでしたか。
<丸山> 1回目を飛んだ時点で全体3位につけることができたので、「これはいけるんじゃないかな」と思いました。
――そして2回目、後ろから3番目で飛んでトップに立って、この時点で銅メダルが確定しました。スコアが出るまで電光掲示板を見ながら待っている時は、どんなお気持ちでしたか。
<丸山> 1本目より緊張していなかったこともあり、To Beatラインがはっきり見えていました。飛び終えた感覚は、ラインを超えたか超えていないかギリギリくらいかなという感じだったのですが、(髙梨)沙羅さんと(伊藤)有希さんがジャンプ台の下でガッツポーズして待っていてくれたので、「あ、これはいけたんだ」と確信に変わりました。
――初めてのオリンピックにもかかわらず、周りがよく見えていらっしゃったのですね。
<丸山> ワールドカップでは、私はほとんど緊張していないので、オリンピックを迎えて1本目の時は「久々に緊張しているな」と感じました。でも、その緊張感も久しぶりのことだったので、それさえもすごく楽しかったです。
――頼もしいですね。振り返れば、4年前の北京2022冬季オリンピックの時は、直前に大ケガがありました。そこからリハビリを乗り越えてメダルまでたどり着きました。今、振り返ってみてどのような思いがありますか。
<丸山> 4年前は、ようやく歩き出せるようになったというくらいの時期だったと思います。そこからまたスキーを履いてジャンプを飛んで、こんなに素晴らしい舞台まで来ることができてメダルをとれたので、自分のことを本当に褒めてあげたいですし、4年前の自分にもこの喜びを伝えてあげたいと思います。
――私からもぜひ褒めさせてください(笑)。本当におめでとうございます。
<丸山> ありがとうございます。こんな姿は想像していなかったので、本当にたくさんの人に支えていただき、この競技に戻ってくることができて良かったと思っています。
――この結果が、何よりの恩返しになっているかもしれませんね。みなさんが喜んでくださっていると思います。
<丸山> はい。私が喜んでいる以上に、たくさんの人からメッセージをもらえて、それもすごくうれしかったです。早く日本に帰って、みんなにメダルをかけてあげたいなと思っています。
――混合団体では、「メンバーが心強かった」と先ほどもおっしゃっていましたが、トップバッターということで、個人とはまた違う緊張感があったのではないかと思います。
<丸山> 緊張もゼロではなかったですし、混合団体は個人とはまた違うものがありました。ただ、雰囲気のいいチームの中で、その一員として飛ぶことができました。(二階堂)蓮君が男子ノーマルヒルで銅メダルを獲得できた時点で、メンバー全員がオリンピック個人種目のメダリストということになりましたが、そんなチームはおそらく日本だけだったと思うので、すごく心強かったです。トップバッターを任されましたが、「みんなの足を引っ張らないようにしよう」とは思いながらも、「私が何かやらかしても大丈夫」と思えるほど後ろのメンバーが素晴らしかったので、自分のパフォーマンスに集中することができました。
――2本ともジャンプを揃えて、銅メダル獲得に貢献されましたね。
<丸山> 個人と比べると、課題も残るジャンプにはなってしまったのですが、それでもみんなのおかげで団体でも2個目のメダルをとることができたことは、うれしかったです。混合団体ということで、男子のスタッフも女子のスタッフも総動員で戦うので、チームのみんなに心から感謝したいと感じています。
――TEAM JAPANのジャンプチームはすごく仲が良くてアットホームな雰囲気が伝わってきました。実際のところ、チームの雰囲気はどのような感じだったのですか。
<丸山> 本当に楽しくて、ずっとワイワイしている感じのチームでした。私もその一員になれたことがうれしかったです。
私がトップバッターだったので最初にキャビンを出発したのですが、みんながキャビンの外まで出てきて、「行ってらっしゃい」「行ってきます」とグータッチをして送り出してくれました。(小林)陵侑さん、沙羅さん、蓮くんと同じチームの一員で戦えることは本当に幸せだなと思いながら出発しました。
――観ている私たちもその一員に混ぜていただいたような気持ちで拝見していました。
<丸山> 良かったです。もうみんなTEAM JAPANの一員です!(笑)
――丸山選手が高校生の時に亡くなったというお母様も、丸山選手がメダルをとった姿を頼もしくご覧になっていたかもしれませんね。ご家族とは、どのようなお話をされたのでしょうか。
<丸山> 今日は朝早くに出発することになっていたので、現地まで応援に来てくれていた父と姉には、昨日プレダッツォの街で会いました。みんなの首にメダルをかけて「おめでとう」と言ってもらえて、「本当に頑張って良かったな」と思いました。そこには、きっと母も来てくれていたんじゃないかなと思っています。「母の首にメダルをかけてあげたい」という思いはかなわなかったのですが、日本に帰って改めて母に報告したいと思います。
――丸山選手はご自身のことを「突っ走ってしまう性格」とおっしゃっています。実際、どんなふうに突っ走ってしまうのでしょうか。
<丸山> 今回の試合もそうだったのですが、いつもチームで私たちを見てくれるのが金城芳樹コーチと作山憲斗コーチです。私は基本的に納得していないことはやらないのですが、その二人の意見が合えば私も信じるようにしています。
ノーマルヒルの試合直前に、いつもフォーカスしてきた足裏からスネの角度についてもっと深く入れようという話が出ました。金城ヘッドコーチから「憲斗も言っているからやってみよう」と言われ、「だったらやるか」となったのです。でも心の中では、「試合直前のこのタイミングで、これをやるんですか」とも思っていて、正直なところ「やりたくない」という気持ちもありました。ただ、二人から同じ意見を言われたので、そこはしっかりやるようにしました。
一方で私は、自分がビデオを見て感じたことをすぐやってしまうところもあります。ラージヒルのトレーニング中には、普段と違うスタートに挑戦したことがありました。コーチたちは、それに対して「なんでいつもと違うことをしたの」と問いただしてきます。無線でコーチたちからの指示を聞いていて、その時は「はい、わかりました」と言いながら、ジャンプ台に上がっていく間に考えていて、自分の中で「違うな」と感じたらその指示とは違うことにチャレンジしてしまうこともあります(笑)。
――それは「突っ走る」というか、ご自身にしっかりとした軸や芯があるということなのかもしれませんね。
<丸山> でも、自分の考えで突き進んで失敗してしまい、「はい、もとに戻しましょう」と言われて、「1本ジャンプを無駄にしてしまった」となってしまうこともあります(笑)。
――それでも、コーチからの指示に対してただ言いなりになって従うだけでなく、自分自身でも考えて試行錯誤するというのは、仮に失敗しても次につながることも多いと思いますし、アスリートとして大切な姿勢のようにも感じます。
<丸山> はい、そうですね。その時は「この考えはダメだった」と理解できましたし、オリンピックの公式練習の場で自分なりの考えでチャレンジできたことは良かったと思います。
――オリンピックを終えて、少しプレッシャーから解放される時間ができるかと思います。何かやってみたいと思っていることはありますか。
<丸山> 日本に帰れることがすごく楽しみです。お世話になった方々に直接会いに行きたいと思っています。
――みなさん、首を長くして待っていらっしゃると思います。ぜひメダルを見せて、喜びを分かち合ってください。お疲れのところ本当にありがとうございました。
<丸山> はい、ありがとうございます。
丸山 希(まるやま・のぞみ)
1998年6月2日生まれ。長野県出身。地元・野沢温泉村でスキージャンプを始める。北京2022冬季オリンピックでの日本代表入りを目指す中、シーズン序盤の全日本選手権女子ラージヒルで転倒、大ケガを負い戦線離脱。長期にわたるリハビリを経て競技復帰を果たし、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックでは女子個人ノーマルヒルで銅メダルを獲得。TEAM JAPANメダル第1号となった。混合団体でもトップバッターとして銅メダル獲得に貢献。初のオリンピック出場で2個のメダルを獲得した。北野建設スキークラブ所属。
注記載
※本インタビューは2026年2月16日に行われたものです。
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