
競技の歴史
オリンピック史上では、1896年のアテネ大会で、片手ジャーク、両手ジャークの2種目が行なわれています。
さらに1904年のセントルイス大会でも片手ジャーク、両手ジャークの2種目が行なわれましたが、当時は体操競技の1種目として実施されていて、階級分けもありませんでした。
その後1920年のアントワープ大会で初めて単独正式競技となり、種目は片手ジャーク、両手ジャーク、片手スナッチの3種目と増え、階級もフェザー級(60kg)、ライト級(67.5kg)、ミドル級(75kg)、ライトヘビー級(82.5kg)、ヘビー級(82.5kg以上)と5階級に分けられました。
日本からは1952年のヘルシンキ大会に、愛媛県の白石勇選手が単身参加したのがはじめてです。また、女子は1987年から世界選手権が開始され、2000年シドニー大会で正式種目となりました。
日本での競技の歴史
1933年(昭和8年)、嘉納治五郎IOC委員がウイーン会議の帰途バーベルを購入。また翌年にはオーストリアから国際基準のバーベル2個が到着。安東熊夫は仏文を原文とする重量挙競技法、および1936年の第11回オリンピック競技大会ベルリン大会を前に大日本体育協会宛に送られたルールブックの中から、重量挙競技に関するルールの翻訳を行ないました。
1936年5月31日には全日本体操連盟主催のもと、第1回全日本重量挙競技選手権大会を開催。また同日、日本重量挙連盟が結成されました。大谷武一はベルリン大会を体操競技総監督として参加、重量挙競技を視察しています。
翌1937年には全日本体操連盟から独立創立された日本重量挙連盟が誕生。1938年には国際重量挙連盟に加盟。戦後の1946年には名称を(社)ウエイトリフティング協会と改称。その後1950年に国際ウエイトリフティング連盟に再加盟。連盟としては1952年の第15回ヘルシンキ大会に初参加することとなりました。
1956年のメルボルン大会では、大沼賢治選手(L級)が4位、白鳥博義選手(Fe級)5位、南部良雄選手(B級)6位と入賞しました。その勢いは1960年のローマ大会へと続き、三宅義信選手(B級)が銀メダルを獲得。初のメダリストが誕生しました。
1964年東京大会では三宅義信選手(Fe級)が金メダルを、一ノ関史郎(B級)、大内仁(M級)の両選手が銅メダルを獲得し、以後、オリンピック競技において、ウエイトリフティングはメダル獲得の有望種目のひとつに加わりました。
女子は2000年シドニー大会から競技種目となり、日本からは3選手が出場しました。
過去の入賞者、メダル獲得については、「オリンピック歴代日本代表選手全記録」で検索できます。

Photo:AFLO SPORT
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