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長野1998


採れたて長野通信

現地直送! 観戦レポート ジャンプラージヒル団体(白馬)

日本が悲願の団体金メダルを獲得!
舞い飛ぶ雪が、紙吹雪に見えました。すでに日本の勝利を確信して、スタンドが大歓声に染まります。飛び終えた船木選手が、祈るような表情で会場の電光掲示板を見上げています。次の瞬間、地鳴りのような大歓声のボルテージがさらに上がりました。「1 JAPAN」。日本が金メダルです。

船木選手がガッツポーズをしながら、背中から雪の大地に倒れ込みました。原田選手、斉藤選手、岡部選手。日本チームのメンバーが、抱き合い、飛び上がって喜んでいます。原田選手が、先頭を切って船木選手に駆け寄りました。一度は立ち上がって仲間を迎えた船木選手が、原田選手と抱き合ったまま、再び地面に倒れ込みます。

会場はこの上ない熱狂の渦に包ました。グオオオと、わき上がるような歓声の中に「はらだー!」「ふなきー!」と選手たちを祝福する叫びが聞こえます。観衆の声も震えています。誰からともなく起こった「ニッポン!ニッポン!」という大合唱が、いつ終わるかもともなく白馬の山にこだましました。

白馬の競技会場は最悪のコンディション
この日、白馬には激しい雪が降っていました。競技場に到着した取材班。ジャンプ台を見上げても、選手のスタート地点が見えないほどの悪天候です。係員がけんめいに整備をしても、新しい雪がすぐに降り積もります。予定されていたトライアルラウンドは中止が決まり、本番の開催が危ぶまれる状況だったのです。

ジャンプは風の影響が強い競技だということはよく知られていますが、降り積もる雪も競技には大きな影響をもたらします。まず、90km前後の猛スピードで滑り、飛ぶ選手たちにとって、激しい雪で視界が妨げられるのはとても危険。さらに、助走路に新雪が降り積もると、スピードがあがらず飛距離は伸びません。

取材班にもこの天候はこたえました。かぶっている帽子のつばに積もった雪が、いつの間にか凍り付きます。カメラを構えた手袋に積もった雪までが凍てついて、手が動かしづらくなってしまうのには驚きました。しかし、最悪の天候とはいえ、トライアルラウンドの中止が発表されるころには、すでにスタンドは超満員。このまま競技は中止されてしまうのではという不安もありましたが、予定より30分遅れの10時から、なんとか1本目の競技が始まりました。

ああ原田! リレハンメルが頭をよぎる
1本目のジャンプ。日本の1番手・岡部選手の飛距離は121.5m、続く斎藤選手が130mの大ジャンプで、2位のオーストリアに44ポイントの大差をつけて首位に立ちました。やはり日本は強い。残す2人はラージヒルのメダリストコンビ。さらなる大ジャンプを期待して、スタンドには楽勝ムードが漂います。

でも、神様はそんなにお人好しではありませんでした。3番手の原田選手が登場するのを待っていたかのように、雪がいっそう激しくなったのです。会場に原田選手の名前がアナウンスされました。でも、取材班が観戦していたランディングバーン近くの位置からでさえ、スタート地点の原田選手の姿は見えません。

大丈夫なのか? 取材班は競技が続行されるのかどうか心配でしたが、日本は参加した13チームの最後に飛びます。3番手のジャンプを残しているのは原田選手だけ。しばらくして、原田選手の姿は見えないまま、スタートしたことを告げる「ピーン」という音が会場に響きました。「ハラダ! ハラダ!」という応援の大歓声が、白い風に吸い込まれます。

ところが、雪の合間からうっすらと見える90m付近のランディングバーンに姿が見えたとき、原田選手はもう着地している状況でした。飛距離は79.5m。こわばった表情で電光掲示板を見上げる原田選手。ハイテンションだった大歓声が、一瞬で凍り付いたように鈍い響きに変わりました。

このとき、日本中の人々の脳裏には、4年前、リレハンメルオリンピックの悪夢がよぎったことでしょう。最後のジャンパーとして登場した原田選手がまさかの失敗ジャンプ。ほぼ手中にしていた金メダルを逃してしまった出来事です。
あれから4年。原田選手はリレハンメルの雪辱を果たすために、あらゆる努力をしたはずです。それが・・・・・・。

神様が仕組んだドラマの結末
雪の勢いは弱まりません。セカンドラウンドが始まって8人目。チェコの選手が飛んだところで競技は一時中断されました。20分後の11時20分、セカンドラウンドだけの記録を一度キャンセルして、競技は再び開始されます。できることなら「もう一度最初から」やり直してくれないものか。原田選手に、もう一度チャンスをあげたい。

しかし、神様が、いや原田選手は、さらに感動的なドラマを用意してくれていたのです。競技2本目。逆転劇の幕開けは、岡部選手。日本選手1番手の岡部選手が137mという驚異的な飛距離をマークしたのです。

15日、個人のラージヒル2本目に原田選手がマークした136mというバッケンレコードを更新したのです。原田選手がビデオによる飛距離測定器の範囲を越えたため、この日は手書きの飛距離表示板を増設、142mまでスムーズに判定できるようになっていたのですが、さっそく役に立ったのです。

続く斉藤は124mの安定したジャンプ。日本は再びトップに立ちました。あとは原田選手と船木選手のジャンプに期待。金メダルの夢が、再びはっきりと視界に入ってきたのです。そして、原田選手。ついさっき岡部選手が樹立したばかりのバッケンレコードに並ぶ137mのスーパージャンプ。そして、猛烈なプレッシャーの中で着実に決めた船木選手のジャンプは125m。興奮が永遠に続くのではないかと思うほど、感動的なドラマにすべての観客が酔いしれました

原田の涙に記者たちも泣いた
自ら137mのジャンプを決めてから。そして、船木が期待に応えるジャンプを決めてから、原田選手は、もうずっと泣いていました。本当にうれしかったのでしょう。この4年間、本当に苦しかったのでしょう。リレハンメルの悪夢は、原田にとって本当に重かったのでしょう。 フラワーセレモニーが終わり、ほかの選手が引き上げた後も、原田は会場にいたあらゆる人の祝福を受けます。ボランティアの人たちが原田を胴上げします。泣きながら観客と抱き合います。
やっと会場をあとにしようとしている原田選手に、取材班はコメントをもらうことができました。ずっと泣いたまま、しゃべるのがやっとという状態の原田選手に、そんなに多くの質問はできませんでした。おめでとうございますという一言に、原田選手が答えてくれました。

「(・・・泣きながら何度かうなずいて)・・・みんなが祝福してくれるのがうれしくて・・・・・・・2本目、また失敗するのかと思って、みんなにまた迷惑をかけるのかと思って・・・できるだけ、できるだけ遠くに飛ぼうと思いました。・・・最高です・・・日本チームの歴史的瞬間にいられてよかった・・・・日本は、まだまだこれから強くなる・・・さすが船木。さすが岡部。さすが斎藤」。
これ以上、もうなにも聞くことはありません。今日の勝利はもちろん日本チーム全員の力です。
ただ、原田選手のコメントに、ひとつだけ足りない言葉があったのです。
それは「さすが原田!」。おめでとう、あなたは本当に最高です。

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