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【東京2020インタビュー #2】上野 由岐子:東京で再び頂点に輝くために

カテゴリ:オリンピック
2019.06.14

 開幕が迫ってきた2020年東京オリンピック。JOCが年1回発行している広報誌「OLYMPIAN」では、今大会の追加種目である野球、ソフトボール、スポーツクライミング、空手道、サーフィン、ローラースポーツでオリンピックを目指すアスリートにインタビューを実施しました。ここでは誌面に掲載しきれなかったアスリートの思いをさらに詳しくお届けします。


【東京2020インタビュー #2】上野 由岐子:東京で再び頂点に輝くために
ソフトボールの上野由岐子選手(写真:魚住貴弘)
【東京2020インタビュー #2】上野 由岐子:東京で再び頂点に輝くために
2008年北京オリンピックでは悲願の金メダルを獲得(写真:アフロスポーツ)

ソフトボール:上野 由岐子選手

2008年北京オリンピックでの「上野の413球」から12年の時を経て、再びオリンピックのマウンドで栄光を目指すレジェンド。日本ソフトボール界をけん引してきたエースが葛藤と苦悩の先に見据えるものとは。(Text/中村聡宏)

■12年ぶりの金メダルへ

――東京2020大会に向けて、上野選手は今、どんな気持ちでいますか。

 まさか、またオリンピックを意識することになるとは思っていなかったです(笑)。2008年の北京オリンピックで自分のソフトボール人生が完結し、やり切った感がありました。今も現役ですが、今のチームでは自分が活躍すること以上に、若い選手にもっと経験して活躍してほしいと思っています。それでも、自分が競技を続けることによって注目していただけますし、必要としてくれる人たちがいるからその期待に応えたい、ソフトボールに恩返しをしたいという思いで現役を続けています。意識をしていなくても、周りが勝手に意識させてくれますよね。取材などでもオリンピックの話が必ず出ますし、身近になってきました。街中でもオリンピックムードを感じるようになり、自然に気持ちが引き締まってきています。

――2回のオリンピックを体験しましたが、それぞれ感じ方は違いましたか。

 2004年のアテネは初めてのオリンピックでしたし、自分自身も若かった。責任感やプレッシャーを感じることもなく、自分の力が世界でどのくらい通用するかということだけを考えて投げていました。失敗もしましたが、アテネオリンピックの経験があったからこそ北京オリンピックの時はこういう準備をして臨みたいとか、何があるか分からないとか、相手チームの雰囲気がこう変わるとか、準備すべきことが分かっていました。ソフトボールがオリンピック競技として最後ということで、金メダルをとるラストチャンス。これで駄目だったら自分にはその力がなかったと思う、そういう状況でしたので、ソフトボール人生全てをかける思いもありました。

■自分自身を見つめて

――北京オリンピックでは2日間・3試合で413球を投げきり、「上野の413球」とも呼ばれ大きな話題となりました。

 ピッチャーというポジションは投げるのが仕事で、自分は自分の仕事を全うしただけ。4人いるピッチャーの代表としてマウンドに立っていて、試合に出られない選手もいましたから、みんなの思いも全部背負っていましたし、自分一人で頑張っている感覚はなかったです。ただ、オリンピックにかける思いは人一倍強く持っていると思っていたので、マウンドを譲る気はなかったです。これでソフトボール人生が終わってもいいと思うくらい全てのものをかけてあそこに立っていました。
 一方で、自分一人の力で勝てたわけではないので、自分ばかりが注目されているのはすごく嫌でした。全試合で完全試合を達成したわけでもない。失点してもみんなが取り返してくれて接戦の中で勝利を重ねてきた。「上野が頑張ったから勝った」と言われると、「自分だけじゃないのに」というのは当時強く感じていました。


【東京2020インタビュー #2】上野 由岐子:東京で再び頂点に輝くために
準決勝からの3試合を投げ抜いた「上野の413球」は印象に残るシーンとして語り継がれている(写真:アフロスポーツ)
【東京2020インタビュー #2】上野 由岐子:東京で再び頂点に輝くために
2018年のジャカルタ・パレンバンアジア大会では旗手を務めた(写真:アフロスポーツ)

――2020年、東京オリンピックを目指す上で葛藤などはありましたか。

 イチロー選手や吉田沙保里選手など、同じ時代に第一線で戦ってきた選手たちが引退していくことで、自分自身について考えさせられることもあります。しかも、アテネオリンピックから北京オリンピックまでの4年間は人生の中で一番苦しかった。あの思いをもう一度味わうことを考えるとなかなか腹をくくれませんでした。最大のきっかけは宇津木麗華監督が日本代表チームの監督に就任されたこと。監督に会っていなかったら、北京オリンピックの金メダルもなかったと思う。一番恩返ししたい人に恩返しできるチャンスができたと思ったのが、腹をくくったきっかけでした。
 ソフトボールは一人の力で勝てるスポーツではありません。ソフトボールという団体競技だからこそ36歳になっても現役を続けられている、そんな環境に感謝しています。若い頃は勢いで体が動いていたけれども、今は加減を考えなければいけない状況。まだまだやれると思う時もあれば年かなと感じる時もある。どういう状況になっても対応できるような知識と技術を身につけて、これで勝てなかったら自分に力がなかったと思えるだけの準備をして臨みたい。
 ただオリンピックに出ればいいと思っているわけではありません。やるからには勝ちたいですし、後悔したくないですし、中途半端な思いでは臨みたくない。どう結果を出すか、今の自分に何ができるか、自分自身が自分の体を操れるように状態を把握しなきゃいけない、今一番難しいところと向き合っていると思います。オリンピックが終わった時の自分に会いに行くために、今はとにかく前に進むつもりで頑張ります。

――オリンピックは特別な大会ですか。

 特別な雰囲気がある世界選手権やワールドカップと比較しても大きく違います。選手村で他の競技や他国の選手と交流できるのも特殊ですし、国民の注目度も高いですよね。 
 自分自身、北京オリンピックを機に、注目度が変わり大変な思いをしました。街を歩く時に顔を見られて指を差されることに不快感を覚え、気がつくと下を向いて歩くようになっていて。そういう自分も嫌でしたが、人から注目されることが好きではなかったのでストレスを感じる日々でした。その一方で、試合の観客が2倍3倍と増えて注目されるようになり、マイナー競技だったソフトボールについて、あえて説明しなくても多くの人たちが認識してくださるようになったことはうれしかったです。今では注目されることにも慣れてきましたし、自分の感情は別として、理解して対応していかないとソフトボールの発展もないと感じています。オリンピックの力、そして、メディアの力に衝撃を受けました。

――現在日本代表メンバーとして戦う選手たちのほとんどがオリンピックを経験していません。北京オリンピックを経験している上野選手から伝えたいのはどんなことでしょうか。

 いえ、伝えようがないというか、言っても伝わらないというか、むしろ、直接感じてほしいという感覚でしょうか……。アテネオリンピックに初めて出た際、2000年のシドニーオリンピックを経験した周りの先輩たちからいろいろなことを聞かされました。でも結局「オリンピックはこういう場所だ」というのは、実際にその場に立ち、自分の肌で感じたからこそ分かったことでした。アテネオリンピックを自分自身で経験したから、北京オリンピックで十分に準備できたこともあったと感じます。
 オリンピック競技ではなかった12年間の空白によって、オリンピックを経験している選手はどの国も一握り。条件は同じだと思いますし、いろいろな意味で強い者が勝つことになると思います。海外選手のオリンピックに対する集中力やモチベーションが違うことは、身をもって経験しています。オリンピックの雰囲気を思い出しながら準備をしていますが、蓋を開けてみないとどうなるか分かりません。なるべく想定外のことが起きないようにしっかり準備をしたいと思います。


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オリンピックの経験者としてチームを引っ張る上野選手(写真:フォート・キシモト)

――外国人選手が本番になるとまた違う力を出してくるとなると、対戦相手としても手強さを感じますね。

 スポーツには必ず勝てるというような前提がありません。つねに勝負は紙一重で、どちらが勝ってもおかしくないですし、大量失点で負けるかもしれない。アメリカ、中国、オーストラリアだけではなく、ヨーロッパの国々も上達スピードが早くて、以前とは大きくイメージが変わってきています。いい結果を得るために、つねにベストを尽くせるかが大事になってくると思います。
 海外チームは、調整で試合をしている時と、ここ一番で本気を出す時が全然違います。相手チームが想像以上に変化してくることで生まれる動揺や不安は、悪い結果へと結びついてしまう。これは、グラウンドで感じとるしかない雰囲気だと思っています。自分自身は経験で知っているので対応する準備ができますが、若い選手たちはそれを知りません。もちろん伝えていきたいと思いますが、言葉では十分に伝わらないので経験して感じてほしい。東京オリンピックでは自分がフル稼働するのではなく、後ろに自分がついて、若い選手を送り出す役割だと思っています。

――北京オリンピックのように、これがラストチャンスと考えることで重圧に感じる人と、逆に奮い立つ人もいると思います。上野選手はいかがですか。

 自分の出来の良し悪しが、必ずしもチームの出来の良し悪しに直結するわけではない。そこが団体競技の良いところです。自分が打たれても仲間が取り返してくれたり、点が取れなくても自分が踏ん張れたり……。グラウンドには9人しか出られませんが、北京オリンピックではベンチにいる選手も含めて15人全てが同じように「最後は絶対にここで金メダルをとろう」という強い気持ちを持っていたことが、結果として強さになったと思います。ソフトボールや野球は、一人一人のピッチャーとバッターが対戦する個人競技の連続という面と、チームプレーの面と両方の魅力があると感じます。心の環境がプレーにすごく大きな影響を与えるので、お互いの信頼関係や、全員が同じ方向を向いていることはすごく大事。チームの結束が、強さにも脆さにもなります。みんなが守ってくれるから思い切って投げられたり、みんなが理解してくれているということが自分を支えてくれたりするので、周りの存在は大きかったですね。

――体と気持ち、チームと自分自身と、それぞれに向き合ってすべてを統合しようとしているように感じます。2020年、その先に向けてどんなことを望んでいますか。

 東京オリンピックでいい結果を出して「ソフトボールはやはり強いな」と感じてもらい、ソフトボールがブームになるとうれしいです。金メダルをとるつもりで戦わないととれないので、まずは準備をしっかりしたい。自分自身もチームとしても、やるべきことがまだ本当にいっぱいある状況です。集大成と思って向き合うべきなのか、通過点と思って取り組むべきなのかまだ悩んでいる自分がいますが、その先は、終わった時に自分が何を感じたかを一番大事にしようと思います。


【東京2020インタビュー #2】上野 由岐子:東京で再び頂点に輝くために
(写真:魚住貴弘)

■プロフィール
上野 由岐子(うえの・ゆきこ)

1982年7月22日生まれ。福岡県出身。小学3年でソフトボールを始める。以来、ピッチャーとして活躍し、九州女子高校(現福岡大学附属若葉高校)2年時には、世界ジュニア選手権に最年少で出場、エースとして活躍し、優勝に貢献。2004年アテネオリンピックでは銅メダルを獲得。08年北京オリンピックでは準決勝から2日間、3試合で413球を一人で投げ抜き、金メダル獲得に大きく貢献した。世界トップクラスのスピードを誇るストレートを武器に、日本代表チームをけん引する。ビックカメラ高崎所属。





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