日本オリンピック委員会(JOC)は、日本オリンピックミュージアム(JOM)で開催中の昭和100年記念企画展「東京1964大会から東京2020大会へ」の関連イベントとして、7月18日(土)、特定非営利活動法人日本オリンピアンズ協会(JOA)の協力のもと、独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)と共催で「オリンピアントークショー&ギャラリートーク」を開催しました。
本イベントのゲストとして、東京1964大会に出場した半田百合子さん(バレーボール)と東京2020大会に出場した三宅宏実さん(ウエイトリフティング)が登壇しました。
■半田百合子さんインタビュー
――東京1964大会まではどのように練習をしていましたか。
「東京1964大会には6人制バレーボールで出場しましたが、実はそれ以前は9人制バレーボールをやっていました。1960年にブラジルで行われた世界大会の6人制バレーボールで2位になったのをきっかけに、正式に9人制から6人制の練習に切り替えました。9人制と6人制ではネットの高さやローテーションの有無などが異なるため、大松(博文)監督は指導に大変苦労されたと思います。技術を習得するため、6人制バレーボールの強豪国であるソ連やポーランド、ルーマニアへ教えてもらいに行ったこともありました。強豪国に勝つために、回転レシーブや木の葉落とし(サーブ)など、新しい技術を身に着けました」
――6人制バレーボールに移行してから、公式戦258連勝という成績を残されました。当時のチームの強さには、どういった要因があったのでしょうか。
「海外に練習をしに行ったことも要因の一つですが、特に大松監督が回転レシーブやコンビネーションバレーなど、新しい技術を生み出してくれたことが大きかったと思います。回転レシーブに関しては、練習当初、転んだりぶつかったりして難しかったのですが、習得してからは『転んでもすぐ立ち上がって次の動作に移れる』という大きな武器になりました」
――今お名前が出た大松監督とは、どのような監督でしたか。
「指導自体は厳しかったのですが、身体を傷つけるようなことは決してされなかったので、あまり怖さは感じませんでした」
――東京1964大会では見事に金メダルを獲得されましたが、決勝で対戦したソ連との試合を振り返っていかがですか。
「日本国内だと大柄とされていた私たちですが、ソ連の選手たちの体格はさらにがっちりとしていました。しかし、バレーボールはネットを挟んでやる競技なので、直接対戦しない点がバレーボールの良いところです。私はチーム内では小さい方だったので、大きな選手のように力強いアタックは打てませんでしたが、技術を使って一生懸命プレーしていました。例えば『木の葉落とし』と言われるサーブは、ボールがクルクルと回り、相手の手の中で弾かれるというもので、色々工夫しながらやっていました」
――東京1964大会に臨むにあたって、当時のチームの雰囲気や練習の様子はいかがでしたか。
「個人的には、練習があまり苦ではありませんでした。体育館で同じような練習を何度も繰り返して完成させていき、それが6人集まることでチーム全体のレベルアップにつながっていきました。やはり大松監督の指導力は凄まじいものがあったと思います。1人では一つしかできなくても、6人が集まったら100%、150%の力が発揮できるように、練習の段階から人間関係を含め、前向きに指導してくれたのが大松監督でした」
半田さんの貴重なエピソードを聞き、三宅さんは「1964年当時のお話を直接伺えるのは非常に貴重で、お聞きしたいことがたくさんありました。私の叔父(三宅義信氏)からも、非常に厳しい指導を受けた時代だったと聞いています。そんな時代の中、公式戦258連勝と勝ち続けたことは素晴らしいですし、その偉業が今のスポーツ界、バレーボール界に繋がっていると思いました」とコメントしました。
■三宅宏実さんのインタビュー
――5大会連続出場となる、東京2020大会への出場が決まった時の心境はいかがでしたか。
「やはり嬉しかったです。オリンピックは選手にとって夢の舞台なので、そこに挑戦できる喜びを感じました。一方で、当時は体力の限界を感じていたり、ケガが続いていて思うような記録が出せない時期でした。結果として、トータル0(順位なし)で終わってしまい悔しさもありますが、私自身としては一生懸命やりきれたと思います」
――東京2020大会は新型コロナウイルス感染症の影響を受け、オリンピック史上初の1年延期での開催でした。延期となった1年間についてはどう感じましたか。
「長いようであっという間の1年間でした。当時は2020年の開催に向けてカウントダウンをしながら準備をしていたので、コロナ禍になり『本当に開催されるのか』と不安でした。
実は延期が決まった時、一度落胆してしまいました。『2020年に向けて積み上げてきたのに、さらに1年は長い』と感じてしまったのです。そんな時、コーチである父(三宅義行氏)が練習を促してくれました。私は思わず『練習したくない』と返してしまったのですが、『最後まで何があるか分からないから、準備はちゃんとしておこう』と言ってくれ、練習を再開しました。
いざ練習をして体を動かしてみると、汗が出て気持ちが良くなってきて、スポーツの良さを改めて感じました。そして、1年延びたことを『大好きなウエイトリフティングが1年長くできる』とプラスに捉え直し、当時痛めていた腰をしっかり治すことへ気持ちを切り替えていきました。結果として思ったような記録を出せなかったものの、たくさんの仲間と合宿を行うなど、記憶に残る、そして私をまた一つ成長させてくれたオリンピックだったと感じています」
――東京2020大会を機に現役を引退されましたが、大会を終えられた際の率直な気持ちをお聞かせください。
「『やりきった』という気持ちでした。結果に対する悔しさもありましたが、ずっとケガに苦しんでいたので、『ようやくその痛みから解放される』という気持ちも大きかったです。減量していたので、大会が終わった後はケーキをたくさん買って、それを食べながらオリンピックを見ていたことを覚えています。
でもやはり、ここまで現役を続けられたのは監督・コーチをはじめ、皆さんの支えがあったからです。競技を通じて出会ってきた先輩や仲間など、多くの人たちから応援メッセージをいただきました。スポーツを通じて多くのことを学ばせていただき、素晴らしい仲間に出会えてよかったと感じた大会でした」
三宅さんのお話を聞き、半田さんは「コーチであるお父様や周りの人の助けがあったからここまでの記録を残せたのだと思います。私は団体競技でしたので、助けたり助けてもらったりして自分のポジションを守っていました。私たち二人の力を合わせればもっと強くなれましたね」と話し、会場は温かな笑顔に包まれました。
次に、今回の企画展のテーマの一つである「オリンピックビレッジ(選手村)」について、二人がそれぞれの思い出を語りました。
■半田百合子さん
――選手村の思い出を教えてください。
「私の場合は団体競技で金メダルがかかっていたので、選手村をうろうろと歩いて楽しむことはできませんでした。常に団体行動だったので、選手村の食堂に入る時もチームメンバーが一緒で、1人で行動することはなかったです。
そのため、選手同士でお話をしたり、ご飯を一緒に食べたり選手との交流はありませんでした。でも、その中でも三宅さんの叔父さんは非常に優しく、私たちに唯一話しかけてくれた男性でした」
――お話しに出てきた三宅さんの叔父、三宅義信氏について詳しく聞かせてください。
「話しかけてくれたことは嬉しくて、よく覚えています。当時、他の人は誰も私たちに寄ってきてくれなかったので、よほど『東洋の魔女』は怖かったのだろうと思います」
■三宅宏実さん
――東京2020大会はコロナ禍ということで、選手村への滞在期間が非常に限られていたそうですが、何か思い出はありますか。
「東京2020大会での私のスケジュールは、7月22日の夕方に入村し、23日はウォーミングアップ程度の練習、24日に試合を行って、25日に退村するというものでした。なので、ゆっくりできる時間はなく、あっという間の滞在期間でした。そんな中でも限られた時間を使って選手村を探索し、今までの大会と同じく日本の選手棟は清潔で、ご飯もおいしくてとても過ごしやすく、心地が良かったことを覚えています」
――短い滞在期間の中で、チームジャパンの選手間での交流はありましたか。
「交流はあまりなかったです。練習時間や試合時間などスケジュールが競技ごとに異なるため、なかなか会える時間がありませんでした。それでも、時々選手村の外や食堂でばったり会った時に、話したり写真を撮って交流していました。チームジャパンの団結感や温かさによって、アットホームな雰囲気だったと思います」
――最近のオリンピックでは、選手間で「ピンバッジ交換」が流行っていると聞きました。三宅さんは体験しましたか。
「しました。『ピンバッジおじさん』と呼ばれるほど、たくさんバッジを持っている人もいました。選手同士でお互いの国のピンバッジを交換して集めるなど、楽しい時間を過ごしました」
同じ東京開催でも時代によって大きく異なる、お二人の選手村での思い出話で会場が盛り上がった後、お二人がお互いに質問を送り合いました。
――半田さんから三宅さんに質問はありますか。
半田さん
「コーチがお父さんという関係性の中で、葛藤もあったかと思います。その葛藤を、選手として、親子としてどのように乗り越えていきましたか?」
三宅さん
「私は中学3年生まで他の競技をやっていましたが、ウエイトリフティングに出会ってからは父が師匠となりました。最初は尊敬という気持ちでついていっていたのですが、何年か経つと喧嘩をすることもありました。親子だからこそ、お互いに言いたいことを言い合えてしまうからです。でも、二人とも『オリンピックでメダルを獲得する』という目標があったので、喧嘩しても必ず練習場に集まりました。
父は指導者として非常に我慢強かったです。指導者は、忍耐力や広い心がないと選手を見守れないと思います。
父は私のことを尊重してくれて、もし間違った方向へ行きそうになった時は正しい道へ戻してくれました。今でも尊敬しています」
――次に三宅さんから半田さんに質問はありますか。
三宅さん
「『鬼』と呼ばれた大松監督の指導について、厳しいトレーニングをされていたと思いますが、精神力の保ち方や、トレーニングの内容について教えてください」
半田さん
「私たちのチームメンバーの大半は紡績関係の企業の社員でした。全国からバレーボールの上手なメンバーが集まる形で、大松監督のもとでチームを組みました。
他の女工さんとお給料も同額で、選手だからといって特別賃金はなかった時代でしたので、その点においては恵まれていたとは言えませんでした。
普段、メンバーは糸紡ぎをしたり事務作業をしたり、それぞれ部署に分かれて働いていました。夕方頃まで仕事をして、それから体育館に集まって練習をしました。大松監督も同じです。バレーボールはチームプレーなので、練習がうまくいかないと終了時間が長引くこともありました。実は朝5時頃、早番の女工さんが出勤する頃まで練習していたこともありました」
三宅さん
「とんでもない練習時間ですね。今は企業に所属しながら一日中練習できる環境が整っていることが多いので、仕事の後にそこまで練習するというのは今では考えられない環境です。『仕事をしながらでは金メダルは獲れない』と思ってしまいます。仕事終わりで疲れている中でも練習して、勝ち続けて金メダルを獲るというのは、ものすごい練習量だったのだと思います」
半田さん
「当時はアマチュア精神というか、誇りを持っていたのだと思います。チームには20~30人ほど選手がいました。ただアタックを打つ人のみでボール拾いをする人がいなかったら、練習は成り立ちません。一人一人のつながりがあってこそ、一つのチームがあるのだと思います。みんなのつながりによって、だんだんと上を目指せるようになり、オリンピックや世界大会での金メダル獲得につながったのだと思います」
トークショーの最後には、参加者からの質問タイムが設けられました。
――当時はどのような食事をとっていたのでしょうか。
半田さん
「今の選手は、栄養士さんがついて食事の管理をしてもらうと思うのですが、私が現役の頃はマネージャーや補欠のメンバーが用意してくれました。お惣菜を買ってきてくれたり、野菜や肉を調理して練習終わりに出してくれたものをみんなで満腹になるまで食べていました」
三宅さん
「私は脂質を控えるように気を付けていました。バランスの良い食事をとる必要があったので、糖質やたんぱく質の量も計算していました。たんぱく質は毎日、必要とされる量の2倍を摂取していたり、脂質は40g以下に抑えるなど、栄養士さんからの優しい指導を受けて管理すると、体重がきれいに落ちました。独学で減量すると、体のエネルギーが落ちて競技に悪影響が出るので、食事は地味ではありますが競技力向上につながっていると思います」
――世界選手権など様々な大会が行われていますが、それらの大会とオリンピックで違うと感じる部分はありますか。
半田さん
「私たちはあまりそういうことは意識していなかったです。とにかく定期的に開催される国内の大会で勝つためにトレーニングをしていました。
1~2年に1回ほど海外遠征があり、当時強かったルーマニアやチェコ、ソ連などに行きました。優しく親切に迎え入れてくれて楽しい思い出ばかりです」
三宅さん
「私は、4年に1回開催されるオリンピックと、毎年開催される世界選手権ではまったく異なると感じていました。『1年でやり直せる。すぐに再挑戦できる』世界選手権と違って、オリンピックは次の出場までに4歳分、年をとります。もし出場権を逃してしまうと、4年間で体力が変わってしまうので、開催スパンが長いオリンピックだからこそ出場することがとても難しい舞台だと感じていました」
イベントの後半は、JOMとJSC秩父宮記念スポーツ博物館の学芸員によるギャラリートークが行われました。学芸員の展示解説を聞きながら、半田さん、三宅さんと一緒に東京オリンピックにまつわる展示物を鑑賞しました。めったに見ることのできない展示物の数々に、参加者からは驚きの声や笑顔があふれる時間となりました。
なお、昭和100年記念企画展「東京1964大会から東京2020大会へ」は、日本オリンピックミュージアム 1階「ウェルカムサロン」で2026年8月30日(日)まで開催しています。
企画展の詳細はこちら
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