公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)は7月23日、味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)ウエストで、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。
アスナビは、アスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、アスリートと企業をマッチングする無料就業紹介事業です。年間を通じて「説明会」を複数回実施し、企業に対してトップアスリートの就職支援を呼びかけています。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまで253社/団体461名(2026年7月23日時点)の採用が決まりました。今回の説明会ではJOC主催のもと、6社11名が参加しました。
はじめに柴真樹JOCキャリアカデミー事業ディレクターがアスナビの概要を、スライド資料をもとに紹介。アスナビが無料職業紹介事業であることや登録するトップアスリートの概略のほか、就職実績、雇用条件、採用のポイント、アスリート活用のポイント、カスタマーサポートなどを説明しました。
続いて、新日本ウエックス株式会社管理本部人事部部長の中前雅人氏による採用事例紹介が行われました。はじめに、事業内容やトップアスリートを採用した経緯とその3つのポイントである人材投資・セルフマネジメント力・巻き込む力について説明し、さらに現役時代の活動実績や社内に与えた良い影響、そして「引退後こそ真の活動が始まる」という考えのもとでアスリート社員であった増田氏が人事に残りDX推進や採用業務等でコア戦力として活躍している成功事例について語りました。最後に「アスリート社員は単なる支援対象ではなく、現役時代は会社のシンボル的存在であり、引退後はコア戦力になる。そういった世界にチャレンジしているマインドが会社の成長へとつながり、アスリートの挑戦が企業の『持続可能な力』になるのではないかと考えております」と魅力を語り、参加企業に採用を呼びかけました。
その後、就職希望アスリート10名がプレゼンテーションを実施。映像での競技紹介やスピーチで、自身をアピールしました。
■川又玲瑛選手(スポーツクライミング)
「私は小学2年生からクライミングを始め、小学校6年生で初めて大会で優勝することができ、高校2年生まで多くの大会で優勝を重ねることができました。しかし、高校3年生の世界ユース選手権直前に怪我をしてしまい、目標としていた3連覇を達成することができず挫折しました。しかし、そこで諦めたくないという強い気持ちで練習に励み、翌年のワールドカップに出場することができました。
私はスポーツクライミング競技を通して課題解決力が身につきました。クライミングは個人競技であるため、自分の競技の課題に対して自分で解決する術を考えなければならず、様々な情報や他者との議論から解決へ導くための方法と考えていく過程の中で、緻密なトレーニング等を計画して課題解決能力が身につきました。その結果、ワールドカップで表彰台に立つことができたと感じています。
また、競技活動を行う中で妥協せずに忍耐強く取り組む力を身につけることができたと考えています。ワールドカップでメダルを獲得した後も選考会での失敗や怪我、不調が続き、上手く結果が出ない時期が長くありました。しかしそこで諦めずに自分のトレーニングや生活を見直し、自分を信じながら諦めずに努力を積み重ねました。その結果、今年ワールドカップで初めての銀メダルを手にすることができました。
現在はロサンゼルス2028大会に出場し、優勝することを目標とし、トレーニングに励んでいます。今年はとても成長を感じていて、世界ランキングも5位まで上げることができ、日本人では2番手につけており、オリンピックを狙える位置にいると感じています。
このように、スポーツクライミング競技を通じて、課題解決力や妥協せずに忍耐強く取り組む力を身につけることができました。入社した際にはこの力を活かし、より一層成長し、自身の競技で最善を尽くしながら、企業に貢献したいと考えております」
■山﨑妃奈乃選手(フェンシング・サーブル)
「私は、2027年FISUワールドユニバーシティゲームズでのメダル獲得、そしてロサンゼルス2028大会出場、ブリスベン2032大会でのメダル獲得を目標としています。
小学5年生の時、母の影響でフェンシングに出会い、そこから10年以上競技に打ち込んできました。その中で常に大切にしてきたことは、文武両道の徹底と、出会いを大切にすることです。何事も手を抜かず、当たり前のことを大切にできる人こそが人として魅力的であり、応援される人になれるのではないかという考えに基づいています。
文武両道については、渋谷教育学園幕張高校に入学して以降、その意識がより高まりました。勉強も競技も、限られた時間の中で効果を最大限にすべく、何をすべきか考えて行動する力が養われました。その結果、高校2年時にインターハイで個人優勝を達成することができ、また海外においても、ジュニアワールドカップで団体銅メダルを獲得することができました。
このような何をすべきか考えて行動する力は、自身だけでなく、大学での団体戦においても発揮しています。チームを引っ張る立場として何をすべきか考え、コミュニケーションを取り、積極的に働きかけを行っています。その結果、昨年は大学団体日本一を獲得することができ、今年もリーグ戦完全優勝、フェンシング王座選手権2連覇を達成することができました。
出会いを大切にすることについては、様々な人とのつながりを広げ、それを力に変えられる強みにつながっています。それを特に感じたのが、ジュニアからシニアに移行する中で、世界はおろか日本でも全く勝てない時期でした。その時でも、一つひとつの出会いを大切につないできたからこそ、多くの方が私に力を貸してくれ、乗り越えることができました。現在では、シニア国内ランキング4位まで浮上することができ、海外においても回数を重ねることで、徐々に手応えを感じられるようになってきています。
秋から始まる新シーズンでは、結果にもこだわり、コンスタントに勝っていける力をつけたいと考えています。これまで培ってきた、何にも負けないと言えるような強み、そしてコツコツ積み重ねられる力を活かし、企業に貢献するとともに、目標達成に向け、精一杯努力していきたいと思っております」
■神谷龍之介選手(レスリング)
「私は日本体育大学レスリング部フリースタイル主将として、世界で活躍する選手を目指しレスリングに取り組んでいます。今まで、これまで全日本学生選手権優勝、全日本選手権2連覇などを達成し、現在はロサンゼルス2028大会での金メダル獲得を目指し競技に取り組んでいます。
私の強みは、分析力と周りを巻き込む行動力です。レスリングは個人競技ですが、1人では強くなれません。主将としてチーム全体の競技力向上を考え、1人ひとりと向き合いチームをまとめてきました。競技力や考え方が違う選手たちをまとめるのは大変ですが、相手の立場に立って考え、信頼関係をつくることを大切にしています。この経験から周りを巻き込む行動力を発揮することができました。
また、自身の競技力向上に向けて試合や練習の映像を振り返り、分析し改善を積み重ねてきました。その積み重ねが優勝につながったと考えています。特に印象に残っているのは全日本選手権決勝です。2点差で負けている状況からラスト5秒でタックルに入り、逆転で優勝することができました。
この勝利は日々の追い込みと改善の積み重ねの結果だと思っています。苦しい状況でも冷静に状況を分析し、最後まで諦めないことの大切さを学びました。この経験は仕事でも活かすことができると考えています。
今後は国際大会で結果を残し、オリンピック金メダルを目指します。
そのために競技力だけでなく、一社会人として成長し続けなければならないと考えています。もしご縁をいただいた際には、これらの力を業務に生かし、会社に貢献したいと考えています。また、競技活動を通し企業名を国内外に発信し、社員の皆さまとともに高め合える存在を目指します」
■大島ひなの選手(スキー/スノーボード)
「私は、長野1998冬季大会が開催された長野県白馬村で育ちました。遊びの一環で始めたスノーボードでしたが、ソチ2014冬季大会後に行われた祝賀パレードで、初めてオリンピックメダルに触れる機会があり、その重みと選手の姿に憧れ、私も世界の舞台に立ちたいと夢を持ちました。
その夢と憧れに向かって進んできたつもりでしたが、思うような成績が残せず、このまま競技を続けてもいいのか悩んだ時期がありました。しかし、迷いながらでも今できることを精一杯やり遂げようと気持ちを切り替え、その後に出場した国際大会で世界選手権の出場枠を獲得することができました。
世界選手権は、憧れのトップ選手が勢揃いで、そのオーラや滑りに圧倒されました。自分とトップ選手との実力差を感じましたが、その強さこそが小学校の頃憧れた姿だったことを思い出し、改めて次は私が世界のトップに立つと決意しました。
帰国してからは、コーチやトレーナーの協力を得ながら、トップ選手との差を徹底的に分析し、生活とトレーニング内容の再構築を図りました。また、目標に向かうための計画を、短期・中期・長期に分けることで、定期的な見直しと自己分析を心がけてきました。
昨年度は、短期計画として掲げていた『アジア女王になる』という目標を達成し、ワールドカップの個人枠を獲得することができました。現在は、大学4年間の中期計画である『ワールドカップチームとして活動する』という計画達成に向けて、夏場のトレーニングに励んでおります。
ご採用いただいた際には、競技に真摯に向き合う姿勢はもちろん、時には躓きながら前に進もうとする姿も含めて知っていただき、企業の士気向上に貢献できる存在でありたいと考えております」
■山根慧希選手(トライアスロン)
「私は小学1年生から16年以上トライアスロンに取り組んできました。初めて出場した大会では泳げず、ビート板を使って完走したことを今でも覚えています。しかしその経験からトライアスロンに夢中になり、オリンピック出場を目標として挑戦を続けてきました。
中学では全国大会に初出場し、強化指定選手にも選ばれました。高校ではオリンピアンである監督の指導の元で練習を積み、寮生活を通して人間性を磨くことを目標に親元を離れて県外の高校へ進学しました。苦労することも多くありましたが、充実した環境のおかげでインターハイ準優勝という結果を残すことができました。環境にこだわるという成功体験から大学進学時は、さらに競技に専念できる環境を求めて上京し、オリンピック選手や日本代表が在籍するチームへの加入を目指しました。監督に何度も思いを伝え、熱意を評価いただき加入を認めてもらうことができました。
大学では教職課程も履修し、一般学生より多い単位数をこなしながら競技との両立に励みました。授業前の早朝練習、授業後の分割練習など工夫を重ね、どれだけ忙しくても練習を休まないことを徹底してきました。どんな日でも必ず練習を行い、この積み重ねが私の自己マネジメント力と強い忍耐力を育んでくれました。
私には2つの大きな目標があります。1つ目は、世界の舞台で自分がどこまで通用するか試すため、ブリスベン2032大会に出場することです。現在はその実現に向け、世界ランキングの向上に力を注いでいます。2つ目は、スポーツを通じて人の心を動かせる選手になることです。これまで多くのアスリートから感動を受けてきたように、今度は私が届ける側になりたいと考えています。
もしご縁をいただけましたら、これまで培ってきた行動力、自己マネジメント力、忍耐力を生かし、競技と仕事を両立するデュアルキャリアを実践します。そして自身の強みを起点に新たな挑戦を起こし、組織に変化と成長をもたらす存在を目指します」
■大島愛実選手(フェンシング・サーブル)
「私がフェンシングを始めたきっかけは、小学生の時に参加した埼玉県の育成プログラム『プラチナキッズ』です。非日常的な楽しさと格好良さに魅了されてフェンシングを始めました。中学2年生で、初めての国際大会となるU17の試合で優勝を果たし、オリンピックという夢を持つようになりました。
大学生になってからは、『自分の武器は何か』を改めて探す中で、メンタルトレーニングに出会いました。 出会う前の自分は、過度な緊張や不安や他人との比較から自身への評価が非常に厳しく、失敗を恐れてしまう癖がついていました。しかし、『過去や未来にとらわれず、今この瞬間だけに集中する』というメンタルトレーニングの考え方を何度も繰り返すことによって、自分自身を認め、信じられるようになりました。
その成果が大きく発揮されたのが、パリ2024大会銀メダリストとの対戦です。 相手は非常に強く、自分よりも体格が上の選手でしたが、点数を取ることよりも『試合の主導権を握る』という考え方を徹底して試合に臨んだところ、15点マッチ中14点を獲得することができました。まだ未熟ではありますが、世界のトップレベルの選手にも自分は通用すると感じ、『一番の武器は自分自身を信じる力だ』とそこで確信しました。
今年5月に前十字靭帯を断裂してしまいましたが、私はこれをネガティブに捉えるのではなく、『自分をレベルアップさせる機会だ』と捉えていました。 怪我直後の団体戦では、チームへの声掛けや相手の分析を積極的に行い、今の自分にできる役割に徹しました。その結果、チーム目標やそれぞれの役割の認知が統一されてチームワークが活性化し、3位という成績を残すことができました。
この怪我を経て、オリンピックへの思いはより一層強くなりました。ブリスベン2032大会はもちろん、ロサンゼルス2028大会への挑戦も諦めていません。
ご縁がありました際には、自分を信じて挑戦し続ける姿勢で、新しい価値を生み出せる存在を目指してまいります」
■長谷川大翔選手(トライアスロン)
「私がトライアスロンに出会ったのは大学1年生の時です。小学校1年生から6年生まで水泳に取り組み、中学校、高校では陸上部に所属し中長距離専門で活動してきました。競技レベルは県大会出場を目指す程度でしたが、大学入学とともに『新しいことへ挑戦したい』という思いからトライアスロンを始め、3種目という競技の奥深さに夢中になっていきました。
競技人生の転機となったのは、大学2年生で出場した日本選手権です。苦手だった水泳で大きく出遅れ、結果を出せず、周回遅れという形で終わってしまいました。懸命に練習してきた成果を発揮することができず、私はその場で泣き崩れました。
その悔しさを原動力に、私は翌日から『事実や数字で自分を見つめ直す』と決意しました。まず行ったのは、3種目のタイムをトップ選手と比較し、数値化することです。その上で、コーチや仲間たちから客観的なフィードバックをもらい、自分で優先順位をつけながら実行に移していきました。その結果、水泳の技術、レース戦略、トランジションの精度の向上などにつながり、翌年行われた日本選手権では全体10位と、前年度とは全く異なる結果を残すことができました。さらに、日本学生トライアスロン選手権では4位に入ることができ、今年行われるユニバーシアードの日本代表選手にも選ばれることができました。
私の競技目標は、ブリスベン2032大会への出場です。平坦な道のりではありませんが、継続力と自己分析力を武器に必ず実現させます。
もしご採用していただけましたら、競技で培った姿勢を持って組織の目標達成に全力で貢献し、社員の皆様とともに成長し続けていきたいと考えております」
■大坂谷明里選手(陸上競技・棒⾼跳)
「私の目標は、2年後のロサンゼルス2028大会に出場し、棒高跳日本人女子初の決勝進出を果たし、入賞することです。今まで日本選手権で3年連続2位という結果を残しました。優勝を逃す悔しさもありますが、それは私の負けず嫌いな性格を刺激し、成長の原動力となっています。自己新記録を更新し、自己タイ記録を跳ぶなど、安定したパフォーマンスを発揮し、競技力の向上を実感しています。
大学卒業時には、競技継続のためのポール購入のクラウドファンディングを立ち上げました。初めての挑戦で苦戦もありましたが、発信方法の工夫や、支援者の方々への丁寧な対応を積み重ね、最終的には目標金額を超えて170万円を達成することができました。支援者の方々への返礼として、高校生への技術指導や交流講演も行い、人とのつながりの大切さを学ぶ貴重な経験となりました。
現在はNTCで、世界陸上やオリンピックに出場する選手の背中を追い、日々挑戦を積み重ねています。また、子どもたちに走る楽しさを伝える活動も行っています。こうした取り組みを通じて、年齢や立場を問わず人と関わり合う力を養ってきました。
もしご採用いただけましたら、競技で培った挑戦心や粘り強さに加え、クラウドファンディングや指導活動を通じて得たコミュニケーション能力を活かし、企業の一員として貢献してまいります。また、社内外に良い影響を広げ、企業のイメージ向上にもつながる活動にも積極的に取り組んでまいります」
■嶋倉照晃選手(セーリング)
「私は競技活動を通して、『世界で戦うための環境を自ら構築することの重要性』を学びました。
私が取り組む49er級は、国内で活動する選手が少なく、年間を通してヨーロッパで活動し実戦経験を積むことが不可欠です。また、艇や用具は決して安価ではなく、新品で一式揃える場合には一定の費用負担が生じます。そのため、艇や用具の調達、海外輸送、遠征計画など、活動全体のマネジメントが競技結果を大きく左右します。
実業団や専任スタッフの支援を受けて競技活動に専念できる選手もいる中、私にはそのような支援体制がなく、競技活動と並行して必要な環境を自ら整えなければなりませんでした。
しかし、49er級を始めた当初は、技術力を高めることだけに集中していました。その結果、全日本選手権で手に入れた艇で大会に出場した際、艇のトラブルに見舞われ、本来狙えていたはずのメダルを逃してしまいました。
この経験をきっかけに、『勝つためには競技力を高めるだけでなく、世界で戦うための環境を整えることも自分自身の責任である』と考えるようになりました。それからは、海外遠征全体のマネジメントを自ら担っています。艇や用具の輸送計画、海外メーカーとの艇・パーツの調達や価格交渉、チャーター艇やコーチボートの手配まで、すべて英語で海外の関係者と調整を行っています。また、複数の海外大会を連続して転戦する計画を立て、費用対効果を考慮しながら、限られた時間と予算の中で実戦経験を最大化する工夫をしてきました。
その結果、継続的に海外大会へ参戦できるようになり、世界大会で上位を目指せる基盤を整えることができました。
私がこの経験を通じて身につけたのは、問題を環境や周囲のせいにせず、自ら課題を見つけ、解決策を考えて実行する姿勢です。社会に出てからもこの姿勢を生かし、限られたリソースの中で最適な方法を考え、成果を最大化することで、継続的に価値を生み出せる人材を目指します」
■髙橋大成選手(スキー/フリースタイル)
「元々、私はアルペンスキーという競技をやっていました。幼い頃からの夢はオリンピック選手になることで、目標は全国制覇でした。しかし実際のところ、私はどこにでもいる『凡人選手』でした。初めて出場した全国中学校スキー大会では、トップと10秒差もつけられてしまうようなスキー少年だったのです。 それでも『どうしても日本一になりたい』という想いに突き動かされ、10年という時間をかけて10秒の差を1年ずつ縮め、大学4年生の時にようやく日本一になることができました。ただそれと同時に、世界の壁の高さに一度心が折れてしまい、競技から退いた過去があります。
私には、自分自身の競技にかける目標のほかに、もう1つ成し遂げたいことがあります。それは、『困難に直面したときに挑戦を選択できる人間でありたい』ということです。
これまで歩んできた人生の中で、たくさんの辛いことや苦しいことに直面してきましたが、それらを乗り越えるにあたって、スポーツで学んできたことが非常に役立ちました。
世の中で様々な分野で成功している人たちについて調べてみると、ごく一部の天才を除いて、ほとんどの人が努力でそこまで進んでいることを知りました。私もそうでありたいと考えています。
自分自身の競技活動を通じて『努力の重ね方次第で必ず成長できる』ということを体現し、誰かの挑戦を後押しできるような選手でありたいと思っています」
説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。
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