日本オリンピック委員会(JOC)は5月11日、味の素ナショナルトレーニングセンターウエストで、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。
アスナビは、アスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、アスリートと企業をマッチングする無料職業紹介事業です。年間を通じて「説明会」を複数回実施し、企業に対してトップアスリートの就職支援を呼びかけています。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまでに219社/団体368名(2023年5月11日時点)の採用が決まりました。今回の説明会ではJOC主催のもと、13社22名が参加しました。
最初に主催者を代表して田口亜希JOC理事が、アスナビ説明会が開催されることへ感謝の言葉を述べました。続けて、JOCでは選手の強化活動サポートはできている一方、選手個別の生活基盤までは手が回っていないことを伝えて、「個人競技にしてもチーム競技にしても、選手たちは生活基盤や経済基盤など、色々な環境が整うことで最大のパフォーマンスを発揮できますので、ぜひとも皆様にはTEAM JAPANの一員となって、アスリートと一緒に前に進んでいける関係を構築していければ」とアスリートの採用を呼びかけました。
続いて、柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクターがスライド資料をもとに、アスナビが無料職業紹介事業であることや登録するトップアスリートの概略、その他、就職実績、雇用条件、採用のポイント、アスリート活用のポイント、カスタマーサポートなどの説明をしました。
その後、就職希望アスリート7名がプレゼンテーションを実施。映像での競技紹介やスピーチで、自身をアピールしました。
■中尾春香選手(スキー/フリースタイル)
「私は誰にも負けない強みが三つあります。一つ目は、どのような状況でも前向きに捉え、達成に向かう力です。中学3年生の頃に左足前十字靭帯を断裂する大けがを負いました。しかし、誰よりも早く復帰すると心に誓い、毎日強い覚悟でリハビリに取り組みました。そして、高校3年時に日本代表に入り、世界ジュニア選手権で準優勝を果たすことができました。昨年行われたW杯はフル参戦し、世界選手権にも出場しました。このように、どのような困難にも立ち向かう完遂力と粘り強さが武器となりました。二つ目は、リーダーとして周りの模範となり、チームを引っ張る力です。私は、大阪でモーグルチームのキャプテンを5年間務めてきました。日本代表かつ、雪の無い地域を代表する選手として誇りを持ち、誰よりも早く準備し練習することや当たり前のことを当たり前にできるよう、心を込めて取り組んできました。チームメンバーと切磋琢磨し合った結果、チーム力の向上に繋がったと感じています。三つ目は、調整力です。私が通っていた学童保育ではイベントを開催するにあたって一から自分たちで計画を立て準備をするルールがありました。私たちは夏のキャンプ開催を目標に、役割分担して現地情報から準備物まで徹底的に調べました。何度もプレゼンを重ねるうちに自分に何が足りないのかを分析し、何ができるのかを理解する状況把握力を養いました。自分の意見主張に固執することなく、他者の意見の良いところを取り入れてチームも最適解を生み出すうちに傾聴と柔軟な姿勢を学びました。私の夢は、オリンピックを通してたくさんの方に平和と挑戦することの楽しさを届け、仲間と達成する喜びを分かち合う世界にすることです。私がどんな困難にも立ち向かい、努力し続ける姿で企業の一体感を醸成し、イメージアップに貢献したいと思います」
■菊地真結選手(バレーボール/ビーチバレーボール)
「私は春の高校バレーに出場するため名門校に進学しましたが、結果を残すことができぬままバレーボールを諦めてしまいそうだったときにビーチバレーに出会いました。ビーチバレーの挑戦はすべてが楽しく、新鮮な気持ちでした。ビーチバレーを始めたことがきっかけで思いやりの大切さに気づき、パートナーにかける言葉やパスに対して思いやりを意識するようになりました。そして、再びバレーボールの楽しさに気づくことができました。ビーチバレーの全国大会であるマドンナカップと国体の少年少女の部に東京代表として出場し、ともに優勝することができ、現在のペアとともに明海大学へ進学しましたが、結果を残すことができませんでした。そこで3年時は筋力作りに励み、練習時間を増やすなど、自分なりに努力を重ねました。その結果、昨年の学生選手権では準優勝、ブラジルで行われた世界大学選手権には日本代表として出場することができました。14年間、バレーボールを続ける中で、悔しい思いをすることや、うまくいかないことの方が多かったと思いますが、そのたびに前を向き、自分を変える力をつけてきました。この経験をしたからこそ、私は今の自分に自信があります。私の目標は、世界でも戦える選手になること。そして、2028年のロサンゼルスオリンピックに出場することです。そのために自分の可能性を信じ、これからもビーチバレーに全力を注いでいきたいと思います。皆様の企業にご採用いただけましたらスポーツで培ってきた行動力や自分を変える力を活かし、どんなときも前向きに仕事もビーチバレーも頑張ります」
■切久保仁朗選手(スキー/アルペン)
「私には、オリンピックでメダルをとることとともにもう一つの目標があります。それは感動をもたらす選手になることです。羽生結弦選手が何度も震災地に訪問し、アイスショーをすることでたくさんの人に勇気や感動を与える姿を見たことをきっかけに、次は私が結果と行動で感動をもたらせるような選手になりたいと思うようになりました。この目標に対して、たくさんの人とコミュニケーションをとることに力を入れてきました。私は大学3年時にアルペン種目の取りまとめ役を担い、トレーニング時には選手のモチベーションを上げるための雰囲気作りや相談に乗りました。4年時には、主将としてチームの先頭に立ち、まとめ役や全体が強くなるように行動してきました。また、支えてくれる人たちとのコミュニケーションを通して決して一人では競技ができないということを実感し、感謝の気持ちを持つことで応援されるような人間性や信頼関係を構築することができたと自負しております。その結果、今年のインカレでは回転、大回転の2種目で優勝することができました。優勝した瞬間は部員だけでなく、コーチやライバル、支えてくれる人たちが泣いて喜んでいる姿を見て、初めて私がたくさんの人に感動をもたらすことができたと実感しました。皆様の企業に採用されましたら、私の活動で勇気や感動が生まれること、応援してもらうことで社員同士の親交も深まるのではないかと考えます。問題解決力、強いメンタル、コミュニケーション力の三つの能力を生かし、どんな職務でも真摯に取り組み、企業への貢献に努めてまいります」
■上原瑠果選手(アーチェリー)
「私は、中学1年生でアーチェリーを始め、日本記録樹立や様々な全国大会で優勝することができました。高校1年生で出場した世界ユース大会では日本初となる団体金メダルを獲得し、オリンピックという大舞台への憧れが目標に変わるきっかけとなりました。大学では、ひたすら練習するという考えを捨て、調子が悪い時でも休養をとり、忙しくても睡眠時間の確保を徹底し、練習の質の高め方や効率の良さを見つけることができました。技術や精神面においては、自らが持つ知識の中で試行錯誤を繰り返し、最高のパフォーマンスを発揮するための最善策を常に考え、努力を積み重ねてきました。その成果として、昨年は日本代表として様々な試合に出場することができました。しかし、4月に行われた代表選考会ではあと一歩で代表の座を逃してしまい、悔しい気持ちでいっぱいです。この悔しさを忘れず、技術面を磨くことはもちろん、自信を持ち、堂々とプレーするには何が必要か考え、精神面の強化を図り、パリ、ロサンゼルスオリンピックに向けてさらなる進化をしてまいります。私は『謙虚』と『常に前向き』という姿勢を大切にしています。謙虚を大切にしている理由は、のびのびと競技ができているのは、家族や支えてくださる方のおかげであることを常に念頭に置いておくためです。常に前向きを大切にしている理由は謙虚さだけでは通用せず、向かっていく精神を持ち続けるためです。努力しても結果がついてこない時があってもどんな経験も自分の財産になる、と前向きに捉えることで、日々の練習が濃いものとなり、今後に繋がると信じています。企業に採用していただいた際には、社員の方々と積極的に交流を図り、会社の一員として競技だけでなく仕事においても全力で取り組みます。そして、私の活躍や努力している姿を見ていただき、多くの方を笑顔にすることで会社に貢献していきたいと考えております」
■若月夕果選手(スキー/アルペン)
「私は姉の影響でスキーを始め、高校は単身で北海道にわたり、技術に磨きをかけました。寮生として自分でなんでもこなさなければならないことはとても大変でしたが、甘えない自分を構築できたと思います。そのような生活の中、高校2年生の時に出場した大会中に転倒し、膝に大けがを負いました。その結果、懸命なリハビリにも関わらず回復が遅れ、シーズンは雪上に立つことすらできませんでした。世界の同世代から取り残される絶望感が大きく、このまま終わってしまうのかと思いました。諦めかけた時、自分の気持ちに『このままでいいのか、もう十分やりきったのか』と自問自答しました。私の答えは『アルペンスキーが好き。もう一度勝利に挑戦したい。滑ることの楽しさを終わらせたくない』という気持ちでした。絶対に復帰して雪の上に立つという強い思いを持ち続け、大学2年生の頃から膝を思うように動かすことができるようになりました。そして、二年間を取り戻すことを誓い、初めて挑んだ全日本学生選手権では3位入賞を果たすことができました。その後の好成績により国内強化選手に選出されたときは諦めずに努力を続けることの大切さを感じました。この経験から、諦めないこと、努力が報われるということを学びました。それは社会に出ても同様だと考えます。しかし、一人で成し遂げたことではなく、たくさんの人の協力があったことを忘れずに感謝したいと思います。私の強みは明るく物怖じしないところです。社会人になっても諦めず努力を惜しまないこと、協調して物事に取り組むところに興味を持っていただけましたら幸いです。そして、私のスキーに対する思いやスキーの魅力も理解していただけましたらさらに嬉しく思います」
■小林未奈選手(カーリング)
「私は小学4年生の時に札幌にカーリング場が設立されたのをきっかけに競技に出会いました。小学6年生の時には、北海道タレント・アスリート発掘・育成事業のタレント生として選出していただき、カーリングの技術だけでなく、トップ選手や他競技選手との交流の機会を通じて、行動や考え方を学ぶことができました。高校2年生で男女混合競技の日本代表に選ばれ、初めての世界大会へ出場しました。しかし、結果は2mmの差でプレーオフ進出を逃してしまいました。この悔しさをバネにトレーニングや練習を積み重ね、2020年のユースオリンピックで銀メダルを獲得することができました。目標としていたメダルを獲得できた嬉しさはありましたが、世界の舞台の決勝で勝ち切ることの難しさや、日本代表として日の丸を背負うことの責任感を痛感しました。この経験により、オリンピックでは絶対に金メダルをとりたいという思いがより一層強くなりました。高校卒業後は、知識を深めるためにパーソナルトレーナーの専門学校へ進みました。トレーナーの資格を取得するために得た知識や技術は練習やトレーニングを効率よく行ううえで役に立っていると実感しています。また、専門学校の二年間で継続的に学習をしながら競技の両立をできた根気強さは私の自信になっていると思います。そして、2021年に現在のチームに加入しました。チームの目標は、オリンピックでの金メダル獲得であり、私は世界で戦うには何が必要かを常に考えています。基礎練習の積み重ね、ウエイトトレーニングによるフィジカル面の強化、コミュニケーションを大切にし、粘り強く前向きに取り組んでいます。皆様の企業に採用していただけた際には、支えてくださる皆様へ感謝の気持ちを忘れずにカーリングで培ってきたコミュニケーション能力や根気強さを生かして貢献していきたいと考えております」
■木村幸大選手(スキー/ノルディック複合)
「私は9歳の時に兄の影響で競技を始めました。そして、オリンピックで金メダル獲得という目標を明確に立てたのは、中学3年生の時です。世界ジュニア選手権の日本代表に選ばれ、初めて世界の舞台に踏み入れた時でした。手も足も出ないような結果でしたが、悔しい気持ちよりもワクワク感が強かったことを覚えています。高校2年時の世界ジュニア選手権で自己最高の8位となり、初めてのW杯出場となりました。目標に一歩近づいたかのように感じましたが、現実は自分が考えるほど甘いものではありませんでした。そこから私は北京2022冬季オリンピックに向けて努力の日々が始まりましたが、5人選考される中の6番目となり、叶わぬものとなってしまいました。そこで私には何が足りないのか自問自答が続きました。私は3大会連続オリンピックメダリストである渡部暁斗さんに『本気度が違う。まだお前は本気には見えない』と言われました。正直ショックで、これほど努力してもダメなのかと思いました。しかし私は努力している自分に酔い、練習量に満足しているだけだったのです。質の伴っていない練習をいくらしても進歩しないということに気づくことができました。このように尊敬する大先輩に言われた一言は、私の競技に対する考え方を大きく変えました。そして、現在、3年後のミラノオリンピックに向けて取り組んでいます。競技や目標の達成に向けて私が努力する姿こそが企業様に提供できる価値です。そこで着実に結果を残し、企業に活気を届け、社員の皆様の貢献度の向上に大きく貢献したいと考えています。微力とは言わず、主力となるような人材として、全力で頑張ります」
プレゼンテーション終了後には、会場内の就職希望アスリート7名へインタビューを実施。司会進行を務めた早水俊樹JOCキャリアアカデミー事業プランニングディレクターの質問に答える形で、7選手が自らの考えを述べ、最後に自己PRをしました。
続いて、アスナビを通じて採用され、現役時は平昌冬季オリンピック、北京2022冬季オリンピックにスキー/フリースタイル(ハーフパイプ)で出場し、現在は城北信用金庫コミュニケーション開発事業部パブリックコミュニケーションズグループで勤務している鈴木沙織氏が登壇し、アスリート目線から企業および登壇アスリートへ採用の体験談やメッセージを話しました。
鈴木氏はまず、アルバイトを掛け持ちし、お金の心配をしながら競技に打ち込んでいた中でアスナビを通じて同庫に採用された経緯を話しました。初めて出場した平昌冬季オリンピックでは思うような結果を残せず、同庫への感謝の思いをオリンピックの舞台で伝えられなかった後悔から北京2022冬季オリンピックを目指すことになったことを語りました。
現役時は上司に言われていた「アスリートが競技へ取り組む姿勢で職員全体に刺激や変化をもたらす。だから採用している」という言葉を実感できていなかったが、引退後に同庫所属の他アスリートたちの試合を見に行った際、自分自身がアスリートから刺激や変化をもたらされた一人になることで上司の言っていた言葉の本当の意味を理解することができたと話しました。
登壇アスリートへ、報告・連絡・相談など社会人として必要なことは確実にやるべきと述べたうえで「現役アスリートが本気でオリンピックを目指し、その中でもメダルを目指すことはものすごく大変なことだと知っています。しかし、社会に出たら所属する会社が求める最低限のことはしっかりやっていきましょう。そうすることで、今後の皆さんのやりたいことを周りが応援してくれるようになります」と話し、「私自身がアスナビで救われた一人です。私のように一人でも多くのアスリートが救われ、ここから更なる良い縁が生まれることを願っております」と語りました。
説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。
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