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2014.02.18 オリンピック

【メダリスト会見】葛西選手「みんなで取ったメダルに涙が出そう」

【メダリスト会見】葛西選手「みんなで取ったメダルに涙が出そう」
長野大会以来16年ぶりにメダルを獲得したスキー・ジャンプ陣(写真:アフロスポーツ)
【メダリスト会見】葛西選手「みんなで取ったメダルに涙が出そう」
個人戦で銀メダルを獲得した葛西選手はメダルをかけて会見に臨んだ(写真:アフロスポーツ)

 ソチオリンピックのスキー・ジャンプ男子ラージヒル団体で、1998年長野大会以来16年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得した葛西紀明選手、伊東大貴選手、竹内択選手、清水礼留飛選手が18日、ジャパンハウスで記者会見を行い、メダル獲得から一夜明けた心境を語りました。15日に行われたラージヒル個人で獲得した銀メダルを手に会場に現れた葛西選手は、チームで勝ちとった2つ目のメダルに笑顔を見せました。

――メダル獲得から一夜明けた今の心境は?

竹内選手 まだメダルを取ったという実感は湧いていません。先ほどジャンプ台から帰ってきたような感覚なので。ただ、メダルを取れてうれしいです。

伊東選手 まだ僕も実感はないんですが、オリンピックでのメダルというのは初めてなので、自分のスキー人生においてすごくいい経験になったなと感じています。

葛西選手 みんなとメダル取ったということですごくうれしい気持ちが大きいですし、取れたということを考えるとまだ涙が少し出そうになってしまいますね。非常にうれしく思っていて、早くメダルを持って日本に帰りたいです。

清水選手 初めてのオリンピックで銅メダルを取らせていただいて非常にうれしく思っています。メダルをもらったらすごく実感すると思うんですけど……。(メダルが決まってから)時間が経って落ち着いて、メダルを取ったんだなと(今は)少しずつ思っています。

――葛西選手に伺います。“年を取ったロックスター”のような存在かと思いますが、改めて年齢と成績について自分ではどのように思っていますか?

葛西選手 自分では年はあまり感じていないので、金メダルという目標がありますし、その夢というか目標に向かってまだまだ頑張っていきたいと思っています。

――葛西選手以外の皆さんにとって、葛西選手はどのような選手でしょうか?

竹内選手 本当に尊敬する大先輩ですし、頼りがいのある先輩です。

伊東選手 僕は同じ地元(北海道下川町)の先輩で昔から仲良くさせていただいていますし、尊敬する頼れるお兄さんという感じです。

清水選手 皆さんが(葛西選手を)レジェンドと言うだけあって、本当に素晴らしい先輩ですし、スキー・ジャンプにおいて長年世界のトップで居続けているというのは素晴らしいと思います。葛西さんを目標に今後のスキー人生を歩んでいきたいと思います。

――昨日の夜は皆さんで話す機会はありましたか?

竹内選手 選手村では一切アルコールが飲めないので、記者会見が終わった場所でみんなで祝杯をあげて、久々にアルコールを飲みました。酔った勢いで帰って本当にみんなでメダルを取れてよかったねと話してすぐに寝ました。

――チームワーク作りはどのようにされましたか?ソチに来てからチームの絆を感じたことがあったら教えて下さい。

葛西選手 特にチームワークを作るということはしていません。ずっと一緒に遠征を回っていますし、言わずもがなということで自然とチームワークはついてくると思います。

伊東選手 これといって何か話し合ったりというわけではなくて、日頃から何年も一緒にいる仲間なので、そういうことを確認しなくても自然と強い絆で 同じ気持ちで過ごせていました。言葉にするのは難しいような絆で僕たちはつながっていると思います。

【メダリスト会見】葛西選手「みんなで取ったメダルに涙が出そう」
今のメンバーは「家族同然のような存在」という伊東選手(写真:アフロスポーツ)

――チームメートは、どのような存在ですか?

竹内選手 切磋琢磨して良きライバルでありますし、刺激し合える仲だと思います。すごく感じるのは、みんなで強くなっていこうという思いが選手内で感じられて、いい相乗効果になっていると思います。
 個人スポーツなので、同じチームであっても「あの選手より飛びたい」というのも個々にあると思うのですが、そこに落とし合いは一切なく、自分たちのことを考えるときは自分のことを考えて、ほかの選手が苦しい時は支えあいながらという良いスタンスで、バランスが取れたチームだと思います。

清水選手 本当に日頃から可愛がってくれて素晴らしい先輩たちなんですけど、親しき仲にも礼儀ありということで、一線を超えないように(笑)。チームの雰囲気はすごくいいので、それがいい効果になって今回もメダルが取れんたんじゃないかと思います。

伊東選手 択も礼留飛も言ったように、簡潔に言えば切磋琢磨し合える仲間、信じあえる仲間だと思っています。択も言いましたが、個人競技なので基本的にはここにいる4人とも「絶対自分が1番になりたい」と思って試合をに臨んでいますが、それはお互いに分かっていることです。休みの日にリフレッシュする時も、「自分が一番リフレッシュする」という気持ちで、みんながオンとオフをともに楽しんで生活できる仲間ですね。家族にたとえたらどんなポジションかと言われると難しいですが、家族同然のような、何も隠しごとはないですし、お互いに何でもさらけ出せる仲間だと思います。ただ、礼留飛は一番下なので、いろいろ隠していることや、僕らに言えないこととかまだあると思いますが(笑)。

葛西選手 択と大貴は僕にとっては友達以上恋人未満、いや、恋人に近いかもしれないですね(笑)。礼留飛はまだ若くてアホなところがあるので、これからもうちょっと付き合って、仲を深めていきたいなと思っています。

【メダリスト会見】葛西選手「みんなで取ったメダルに涙が出そう」
竹内選手は長野オリンピックを見てジャンプを始めた(写真:アフロスポーツ)

――長野オリンピック後の16年間を、競技者としてどのように見ながら過ごしてきましたか?また、チームでメダルを取れたということは全体の底上げができたということだと思いますが、その要因はどこにあると思いますか?

竹内選手 僕が長野オリンピックを見たのは小学校4年生の冬で、その時に衝撃を受けてジャンプを始めました。そこから16年ということは、それだけメダルがなかったということなので、すごく不思議な気持ちがあります。ずっとメダルを取りたいと思ってやってきましたし、こうやって取れて本当によかったなと思います。

 僕自身は高校時代にフィンランドにスキー留学をしました。帰国後すぐに、日本のヘッドコーチにフィンランド人のコーチ(カリ・ユリアンティラ氏)が就任して、バンクーバーまで見ていただきました。僕たち日本チームにはフィンランドという国が密接に関わっていると思っていて、言葉として合っているか分かりませんが、今回のメダルは半分フィンランドに分けてもいいんじゃないかと思うくらいです。フィンランドに留学して、フィンランドの方からいろいろと教わることがあって、僕の中のベースができました。日本チーム全体なのかは分かりませんが、僕の中では、培われたものは大きいと思います。

伊東選手 長野オリンピックは現地で見ていました。その時はジャンプを始めていましたが、夏は野球、冬はジャンプをやっていて、正直、野球の方が好きだったので、そのシーズンの春から中学校に入って野球部に入る気満々でした。でも、長野オリンピックを見てやっぱりジャンプがいいなと思い、ジャンプ1本にしました。
 自分がジャンプ1本にして、中学、高校とジャンプに熱中して社会人になり、ワールドカップに出られるようになってから、成績が出せずにどんどんジャンプがマイナーなスポーツになってしまたのが、やっていてすごく悔しかったです。2006年のトリノオリンピックと2010年のバンクーバーオリンピックに出させていただきましたが、そこでもメダルを取ることができなくて、いろんな方を裏切ってしまっている気持ちがありました。今回はチームの雰囲気も今までにないくらい一致団結して、上は葛西さん、下は清水と年齢の幅が大きいチームですが、僕がワールドカップを回っている中で、今までのスキー生活の中で一番いいチームだなと思ってます。それがメダルにつながったと思いますし、それぞれいろんな思いがあったので、心からうれしく思うソチオリンピックでした。

 日本が強くなったのはたくさん要因がありますが、1人1人の意識がすごく高くなってきているというのがあると思います。僕らは企業に所属してスキーをやらせてもらっていますが、プロではありません。プロのような環境の中でやらせてもらっていますが、僕の目から見たら、やはりプロ意識が欠けている選手が日本人の選手には多いと感じていました。そういう甘い気持ちではなくて、プロではないですがプロ意識を持って、いろんな方に支えてもらっているので、その方に恩返ししたいという気持ちと、何よりも世界のトップを取りたいという強い気持ちが個々にあるところが、すごくレベルアップにつながっているんじゃないかなと思います。

【メダリスト会見】葛西選手「みんなで取ったメダルに涙が出そう」
チーム最年少の清水選手(右)は仲間から可愛がられる存在(写真:アフロスポーツ)

――長野オリンピックから16年、これまでの経緯を振り返っていかがですか?

葛西選手 長野ではノーマルヒルだけ出場して非常に悔しい思いをしたわけですが、そのころから比べると、今の世界レベルは別格に違うと思います。マテリアルの変更や毎年変わるルールの中でやってきたわけですが、ルールに対応するのがすごく楽しくて、自分の中で進化していくということが目に見えて分かってきてたので、苦労というのはなくて、楽しい16年間だったと思います。

 また、日本人の資質というか、そういうものがジャンプには適しているんじゃないかと思います。どんなルール変更でもすぐに対応できる能力があるからこそ、72年の笠谷幸生さんのメダルから始まって、アルベールビルのノルディック複合団体のメダル、長野の金メダル、そして今回新しく、レベルの高い中で日本チームが対応して世界で活躍できた、そういう技術を得られる資質があります。これから少しずつルール変更やジャンプの質が変わっていくと思いますが、金メダルという目標ができているので、そういうものに対応してまたやっていきたいと思います。

清水選手 僕は長野オリンピックの団体の日、当時4歳で見に行っていたみたいなんですが、ほとんど記憶がなくて。ソルトレークもほとんど記憶がなくて、トリノくらいからやっと「オリンピックってこういう感じなんだな」とテレビで見始めたので、長野から16年の日本ジャンプ陣の経緯はよく分かっていません。ですが、最近オリンピックが近づいてきて、長野の映像が流れたりするのをテレビで見て、僕も頑張ってソチでメダルを取りたいなと思いましたし、そのためには先輩たちの助け、力が必要だなとすごく実感していました。

 日本チームの底上げについては、先輩たちがワールドカップで上位に入る素晴らしい先輩たちばかりで、とにかく僕は、ただ追いつこうと思って、同じくらいの成績を出せるようにするのに必死でした。それが良かったのか、こうやってメダルを取れてよかったし、チーム全体のレベルは確実に上がってきていると思っています。

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