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1996.10.01 オリンピック

困難を極めたシベリア横断

何日もブリザードのために前進することができなかったり、用を足すにも知恵が必要な零下25度から40度の中、朝食にはポーリッジ(オートミールにピーナッツやミルクパウダー等をいれ煮込んだもの)を食べ、その他はフリーズドライ食品などの粗食に耐え、寒さをしのぎながらシベリア大陸を横断してきました。地獄のような世界だったようです。しかし、そんな彼らをロシアの人々はあたたかく迎えてくれました。危険なところは道案内をしてくれたり、病気の時にはホームスティをさせてくれたりしました。
大変な道中でしたが、日本の野崎隊員はインマルサット海事衛星を使い、日本の小中学校とパソコン通信で環境問題などいっしょに考えて来ました。また、エスピン隊員は、電池は膨大な量となり使用後はゴミになるため、風力発電を活用。白夜の中を走るための前照灯の電源を、風力発電でまかなうなどしました。
最後のアンバルチック(ロシア)---ペトプロハバロフスク・カムチャッカキー(ロシア)間については、雪解けや日程などの関係で一部飛行機を使用しましたが、16,000kmに及ぶシベリア横断を無事終了。8月15日にペテロハバロフスク・カムチャッカキーから日本からの迎えの帆船「波切大王」号に乗船し、8月24日母港である三重県南勢町に補給のため一時寄港した後、9月13日横浜に上陸しました。横浜上陸後は自転車により長野をめざして、山梨県を経て、諏訪、松本、更埴と北上し、長野オリンピック開催5OO日前となる9月25日に長野市に到着する予定です。

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