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2012.07.30 オリンピック

【メダリスト会見】三宅選手「ウエイトリフティングに出会えてよかった」/平岡選手「複雑な心境もホッとした」

【メダリスト会見】三宅選手「ウエイトリフティングに出会えてよかった」/平岡選手「複雑な心境もホッとした」
「自信を持って試合に臨めた」というウエイトリフティング女子48キロ級で銀メダルを獲得した三宅宏実選手(アフロスポーツ)

 ロンドンオリンピックで銀メダルを獲得した柔道男子60キロ級の平岡拓晃選手とウエイトリフティング女子48キロ級の三宅宏実選手が29日、ロンドン市内のジャパンハウスで会見し、メダル獲得から一夜明けた心境を語りました。

平岡選手 悔しい思いもありますし、ほっとした気持ちもあって複雑な心境というか、気持ちの整理がついていない状況です。

三宅選手 夢の大きなオリンピックという舞台で、念願のメダルを手にすることができて、本当にうれしく思っています。自分自身がメダルを取ったことにまだ実感が湧いていないのですが、うれしく思っています。

――三宅選手に質問です。ジャークの1本目で110キロを挙げれば、ほぼ銀メダルが決まると分かっている状況でしたがどんな思いで臨みましたか?

三宅選手 110キロに挑む時は、ジャークは3本しかできないので、一本一本を成功させる気持ちで緊張していて、とにかく絶対に110キロをミスしないでという気持ちが強かったので、あそこでしっかり決められたことはうれしく思いました。3本目の113キロについては、練習でも何度も触っていたのですが、結構失敗していることも多く、それが試合に響いてしまったので、そういうところを練習で一から直していきたいなと思いました。

――最後に113キロを挙げる前に、112キロをパスされましたがそれはどういった意図だったのでしょうか?

三宅選手 (トータルで)200キロを目標にやっていたので113キロにトライしました。失敗してしまったので197キロとなってしまいましたが、2005年に日本記録を更新してから1回も伸ばせていなかったので、今回また日本記録を更新することができてよかったなと思っています。

――ジャークの1本目の前に試技をした選手の判定に時間がかかっていましたが、混乱はなかったでしょうか?

三宅選手 いつもだったらあわててしまうところですが、110キロというのは練習で何度も成功していましたし、昨日は落ち着いて自信に満ちていたのでできると思っていました。

【メダリスト会見】三宅選手「ウエイトリフティングに出会えてよかった」/平岡選手「複雑な心境もホッとした」
「悔しい思いもありますしほっとした気持ちもあって複雑な心境」という柔道男子60キロ級銀メダルの平岡拓晃選手(アフロスポーツ)

――平岡選手に質問です。午前中の試合から調子はどうでしたか。最後の試合でよかったところ悪かったところを振り返ってください。

平岡選手 調子は良かったと思います。決勝戦では自分らしさを出すためにガンガン行こうと思っていましたし、一瞬の判断ミスで投げられてしまって、その一瞬だけが悔やまれます。

――一夜明けて、今日の気持ちは?

平岡選手 たくさんのメールを頂き、「胸を張って帰ってこい」と言って頂いて少し報われたかなと思っています。

――“複雑な心境”というのをもう少し説明してください。

平岡選手 北京で負けてからすごくきつくて、(1回戦負けの)借りを返すにはロンドンで金メダルを取るしかないと考えて、4年間このことだけを考えてしっかり練習をしてきたのですが、結果が欲しい色のメダルではなくて、試合に負けた後は後悔がありました。試合後「感動した」だとかたくさんの人からメールをもらい、「俺でも、あんな柔道をしてよかったんだ」と思うことができたので、それで報われたというか、ほっとしたという感情が出てきたんですが、やはり悔しい思いが強いです。

――三宅選手に質問です。北京とロンドンオリンピックで一番違った点は?

三宅選手 北京の時は力不足であったり、けがで十分な練習を積めなくてその時は194キロがベストでした。父からは「196キロで銅メダルだよ」と言われていたのですが、(当時は調子の)波が激しかったので、試合の当日はどこかしら不安や緊張があって、自信のない顔をしていました。今回は全日本(選手権)をけがで欠場したこともあり、この3カ月間、一生懸命トレーニングに励むことができて、その自信から試合当日はこのような舞台に立つことができて、たくさんの方々に応援してもらった感謝の気持ちでいっぱいになり、とても幸せに感じました。

――今回は自分の顔を鏡でみて「イケるな」という感じでしたか。

三宅選手 4年前と違って自信に満ちていたというか、なによりもたくさんの日本の方々の顔を見ると安心するので、こんなにもたくさんの方が私の周りにはついていて、「見守られている」という中で試合ができて、今回はみんなで一緒に挙げられたじゃないかなと思っています。

――行きの飛行機の中でアイスクリームを食べるか、食べないか考えている姿をお見受けしましたが、その辺の苦労はいかがでしたか。また、試合終わってからお父さんとどんな言葉を交わされたのですか?

三宅選手 減量に関しては50キロぐらいでずっと練習していました。(48キロ級は)4年のブランクがありましたが、今まで積み上げてきたものがあるので、試合前まで蓄えてそこで一気に落として臨もうと計画していました。前日は何も食べられない状態でしたが、試合の時は力が落ちてるという気はしなかったので、本当に昨日は私の中では最高の試合ができました。(アイスクリームは)すごく迷ったんですが、一口だけ食べて終わりました。

 父とは12年間二人三脚でやってきて苦労をかけることが多かったのですが、3大会目のこのロンドンオリンピックで笑顔で終われて、また銀メダルをプレゼントすることができてとてもうれしく思いました。

【メダリスト会見】三宅選手「ウエイトリフティングに出会えてよかった」/平岡選手「複雑な心境もホッとした」
親子2代でのメダル獲得となった三宅選手。父親の義行さんとの2ショット(アフロスポーツ)

――この12年間の中で頭によぎる出来事はありますか?

三宅選手 この12年間、やはりいい時は一瞬しかなくて、父とけんかをしたこととか、練習がうまくいかなかったこととか、けがをしたこととか、そういった思いはあります。それが昨日、一気に吹き飛ぶ試合になりました。

――改めてウエイトリフティングというものは自分にとってどんなものですか。

三宅選手 2000年のシドニーオリンピックを見てとても感動して、この世界に入ったのですが、スポーツをやったことがなかったので改めてスポーツの厳しさを知り、それ以上に感動することとか、いろんなことを学び、私にとってウエイトリフティングがなくなってしまったら、何も残らなくなるぐらいのものなので、本当に出会えてよかったなと心から思っています。

――平岡選手に質問です。昨日の2戦目、隣の畳では福見選手の試合が行われていましたが福見選手が敗れてしまい、プレッシャーは感じなかったでしょうか。

平岡選手 プレッシャーは感じていました。それも全部受け止めて、昨日の試合に合わせてきていたので。ただ、福見が負けたというのは考えていなくて、本当に自分のことだけを集中していました。(福見選手が)準決勝で負けたというのは聞いていましたが、3位決定戦で負けたというのに気付いたのは、自分の試合が終わってからでした。

――メダルの報告を一番最初に誰にしましたか。その方からどのような言葉をもらったかを教えてください。

平岡選手 表彰式が終わって、一番最初に嫁に電話をしました。嫁から「お疲れ様でした」と言われて、僕からは「ここまで応援してくれて、またロンドンまで来てくれてありがとう」と伝えました。

――お二人に。いま一番したいこと、またこれからの目標を教えてください。

平岡選手 いま一番したいことは、娘が1歳なのですが(ロンドンまで)見に来てくれていて、まだ試合終わってから会えてないのでだっこしたいですね。次の目標は、柔道ではないのですが、大学院に通っておりまして、オリンピックに集中するために現在休学していて、オリンピックが終わったら修士論文をやらなければいけなくて、そっちが大変だなと今から焦っています。

三宅選手 まだオリンピックが始まって間もないので、まだまだ試合は続きますし、選手たちの試合を見てみたいのと、昨日応援してくださったみなさんに日本に帰ってからお礼を言いたいです。また、父の実家である宮城県の被災地にボランティアに行きたいなと思っています。
 次の目標はしばらく休息をしてから、ウエイトリフティングというものをもう一度一からやりたいなと考えています。

――次のリオデジャネイロオリンピックは目標としますか?

平岡選手 今はまだ全く考えてないです。

三宅選手 リオのころには30歳になってしまうので、そこまで体力が持つか分からないので、まだ何も考えてないです。

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