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仁川アジア大会


第17回アジア競技大会(2014/仁川)

(7)階級超えて2連覇 柔道の井上康生
バンコク大会の男子100キロ級決勝で技を仕掛ける井上康生(右)

バンコク大会の男子100キロ級決勝で技を仕掛ける井上康生(右)

 東海大の2年生だった井上康生は1998年バンコク大会でアジアの舞台を踏んだ。日本代表として出場する初の国際大会だった。階級は100キロ級で、最重量級の100キロ超級にはこの年4月の全日本選手権決勝で井上を一本勝ちで退けた篠原信一が代表に選ばれていた。井上は得意の内股に頼らず、多彩な技を繰り出してすべて一本勝ちで決勝に駒を進めた。金メダルをかけた一戦の相手はアトランタ五輪で銀メダルを手にしているアルメン・バグダサロフ(ウズベキスタン)だったが、臆することなく大内刈りから送り襟絞めに展開して一本勝ちを収めた。この優勝をきっかけに井上は世界に羽ばたき、翌年の世界選手権、さらには2年後のシドニー五輪でも金メダルを手中にした。篠原もバンコク大会を制したが、シドニー五輪は世紀の大誤審といわれたダビド・ドイエ(フランス)との決勝で敗れ、銀メダルにとどまった。

井上は釜山大会では無差別級を制した

井上は釜山大会では無差別級を制した

 篠原の後継者として、日本の重量級を引っ張る存在となった2002年釜山大会では、2大会ぶりにアジア大会に復活した体重制限のない無差別級に出場した。ここでも準決勝まですべて一本勝ちを収め、決勝ではアブドゥロ・タングリエフ(ウズベキスタン)を伝家の宝刀、内股で仕留めてアジア最強の柔道家となった。2大会連続の金メダルを狙った2004年アテネ五輪では4回戦で敗れ、再起を期した08年北京五輪は出場権を逃して引退。現在は男子日本代表の監督として、金メダルなしに終わった2012年ロンドン五輪からの立て直しに取り組んでいる。(共同)

 
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