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トリノオリンピックへ向けて / vol.1 スピードスケート&ノルディック・コンバインド編

自分との戦い
極限の緊張感の中で力を出し切る

-- お二人ともオリンピックの経験が豊富ですが、オリンピックという大会に出たいと意識されたのは、何歳くらいのことですか。

青柳:レイクプラシッド大会(1980年)、エリック・ハイデンが大活躍したオリンピックですが、そのとき漠然とオリンピックに出たいと思ったことを覚えています。小学生のときです。その後は、そういう気持ちは消えてもっと身近なところに目標がありました。ジュニアの頃は、すぐ目の前の先輩を追いかけるような感じでした。

-- 河野さんは野沢温泉村という非常にスキーの盛んな土地に育って、村の人たちにもオリンピック選手が数多いので、子供の頃から比較的オリンピックが身近なところにあったんじゃないかと思いますが。

河野:そうですね。ジャンプの大会になると笠谷幸生さん、八木弘和さん、秋元正博さんといった名選手が村にやってきましたから、身近ではありました。ただ、僕自身は子供の頃それほど強い選手ではなかったので、オリンピックを意識したことはあまりなかったです。

-- ところが、出場した2度のオリンピック、アルベールビルとリレハンメルの両大会で2度ともノルディック複合団体の金メダルを獲得しましたね。

河野:最初のアルベールビルのときは幸運でした。当時は団体戦に出場できるのは3人だけで、僕は4番目の選手でした。ところが団体戦に向けた練習のときに、多少僕の方が調子が良かったので、エース格の阿部雅司さんではなく私がメンバーに入れてもらえた幸運と、荻原(健司)さんと三ヶ田(礼一)さんがいいジャンプをしてくれた幸運に恵まれました。おそらく僕が出ても阿部さんが出ても、金メダルが取れたことには変わりなかったと思います。だから、今振り返ると本当に「阿部さん申し訳ありませんでした」、という感じですね(笑)。

-- では2度目のオリンピックはいかがでした?

河野:リレハンメル大会のときは実力もついてきたので、じゃあ今度は最初から金メダルを目指そうという形で、取りに行って取った金メダルです。その意味では自分としてはちょっと重さが違いますね。

-- 今振り返ってみてオリンピックの金メダルというのは、その後の人生にどのように影響していますか?

河野:一言で言えば、自信ですね。メダルを取るまでは何に対しても自信が持てなかったんですが、まわりの助けもあってメダルが取れました。それ以降は、自分がすることに対して少しずつ自信を持てるようになりました。

-- オリンピックには魔物が棲んでいる、とよく言われますね。それは4年に1度しかまわってこない大舞台なので、何が起こるかわからないということだと思います。しかもスキーやスケートの場合、ヨーイドンで全員が一斉にスタートするのではなく、タイム、あるいはポイントと戦う競技です。その分、1回だけの勝負という意味合いが増すように思いますが。

青柳:スピードスケートの場合、予選、準決勝と経ていくわけではないし、レーンに7人の敵が見えるわけでもありません。そういう意味で、他の競技に比べて自己との戦いという要素が強いですね。当然、緊張感も極限まで高まります。そのなかでいかによい状態の緊張感を保って、自分の力を出し切るかということでしょう。

-- 今でも覚えているのはサラエボ大会(1984年)のスピードスケートで北沢欣浩さんが銀メダルを獲得したときのことです。前の組で優勝候補の黒岩彰さんが失速して、日本の関係者全員ががくっとしたときに、その何とも言えない失望感のなかを北沢選手がスタートした。私は1コーナーの外側で写真を撮っていたんですが、カーブを抜けていくときの彼の表情が、とても穏やかで楽しそうだったのが印象的でした。

青柳:あれほど明暗を分けたレースというのは珍しいです。北沢選手は最高に集中した精神状態で滑れたのでしょう。

-- 自分のなかの感覚が異常なほど研ぎ澄まされた状態。そうした境地に入った選手は、考えられないほどの力を発揮する。そういう巡り会わせというか、不思議な力というのがオリンピックにはありますよね。

河野:そうですね。北沢選手と正反対の例がリレハンメル大会の荻原健司さんの複合個人戦だったと思います。あのシーズンの彼はまさに無敵の強さで、オリンピック前のワールドカップで6戦中5戦で優勝していました。ところが、オリンピックの個人戦に限って結果を出せなかった。ジャンプのときに追い風が吹いてしまったからです。ふだんはあまんまり風の影響を受けないジャンプ台なのですが、その日に限って前から吹いたり、後ろから吹いたり。しかもたまたま彼が飛ぶときに追い風になった。かりにあの日の風向きが一定だったら、荻原さんが優勝してもおかしくありませんでした。これがオリンピックの怖さだと思いました。

-- スピードスケートもスキーも、4年に1回のオリンピック、そして2年に1回の世界選手権(スケートの場合は毎年開催)というビッグイベントがあって、その一方でワールドカップのようなシーズンを通したシリーズ戦があります。一般的にはオリンピックの方が注目度や認知度が高くて、ワールドカップがサッカー以外にもあることはあまり知られていない。でも選手本人としては1年を通して戦う、あるいは1年を通して勝つということの意義は、オリンピックと同等かあるいはそれ以上に高いのではありませんか。

河野:いやオリンピックはやっぱり大事です。オリンピックで勝つに越したことはないと思いますが、4年に1回しかないので、その4年に1回のために、ずうっとモチベーションをキープするのはむずかしいことです。もちろん世界選手権もワールドカップも大事、全部同じですが、同じ勝つのであればオリンピックで勝ったほうがいいと思います。

青柳:1度オリンピックを経験していると、世界選手権が少し楽になります。さらにワールドカップになると、もっとリラックスして臨めるようになります。そうなると競技カレンダーが過密なインシーズンのなかに調整レースを作れるようになるわけです。

-- 長いシーズンのなかでのペース配分ということですね。

青柳:そうです。すべての競技会に全力を出すことはほとんど不可能ですから、いかに調整用のレースを作り、目標とする競技会にピークを合わせることができるかということです。周囲には調整しているように見せないで(笑)、いかに自信を持って調整することができるかというのも大事なポイントでしょう。もちろんレースでは、ピストルが鳴った瞬間から全力で滑ることは間違いないのですが、そこまでのコンディショニングでは、意図的にピークをずらすということです。私の場合は、特に連戦になると体力も集中力も落ちてしまうので、いかに目標とする競技会へピンポイントでピーキングできるかということを考えていました。ですから周囲からは勝負強い選手という印象が強かったようです。

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